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#17 あなたがすべて
しおりを挟むまったく困ったことになった。
汚れた門扉と柱を見、アバルはため息をつく。べったりとそこを汚しているのは泥ではなく汚物だった。たぶん、馬とか牛の。
(なんでもいいけど、……朝から見たいものじゃないのはたしかだな。火を放り込まれるよりは全然マシだけど)
思いながら、アバルは掃除をはじめる。これが始まったのはアバルが侍所から北辰寺に戻ってきてまもなくだった。侍所からとくに広報はしていないはずだが、人の口に戸は立てられぬということだろう。
吸血鬼という理不尽に日々をおびやかされるなかで皆不安や不満のはけ口がほしいのだ。
「きゅうけつきめ! しね!」
「吸血鬼の仲間たちだぞ!」
もくもくと掃除をしているとどこからか子どもたちが歓声を上げながらやってきてアバルに石を投げ始めた。
「いたっ!? こら!」
このへんでは見ない顔だから町のほうからわざわざやってきたのだろうか。アバルは掃除の手伝いに出ていた弟妹たちに中へ入るよううながす。気持ちのいいものではないので手伝いを断ったのだが、首を横に振られてしまった。
「アバル兄はこんなにやさしいのに、どうして」
「どうして皆アバル兄をいじめるの?」
「何もしていないあたしたちに石を投げるあの子たちよりも、あたしたちはひどいことをしているの?」
理不尽さに憤り、あるいは深く悲しむ彼らの瞳にアバルはぐっと言葉をのみこむ。それらの問いに対するひとつの正解をアバルは知っている。知っているが、それをアバル自身が口にすれば彼らをもっと傷つけることを知っているので沈黙するしかないのだ。
(『俺といるから』だ)
肩のあたりと腰。しょせん子どもの力とナメていたのだが当たってみると意外と痛い。痛いうえに彼らの持ち込んだ武器はアバルが想像していたよりも大きさがあった。あわてるアバルの脇から石の一つが飛んできて小さな妹の一人に当たる。
「……っ」
さいわいだったのは当たったのが布のうえからだったのと小石だったことだ。が、一名の逆鱗に触れるにはじゅうぶんなできごとだった。避難行動の流れから一人はずれ、須王がその場に足を止める。
(あ、まずい)
アバルが予感したのと目に見えぬ風圧のようなものを感じたのは同時だったろうか、にわかには信じがたいことだが、飛んでくる投石がいっせいに、こちらへ到達する直前で砕けた。
「!?」
「!?」
「なんだなんだ!?」
それまではたしかに敵へダメージを与えていたはずなのに、パシンパシンと音を立てて破裂していく異様な光景に小さな投石兵たちが動揺する。しかし彼らがどれほど石を投げてみても、まるでアバルたちの前に見えない壁があるかのようにそれらはやはりこなごなになってしまうのだった。
どういうことなのか。青ざめた投石兵たちに須王がようやく言葉を発する。
「それ以上オレの家族に石を投げてみろ。次にこうなるのは貴様らだぞ」
言いながら、やおら足元の石を拾い、須王が手の上でかるく放った。アバルは瞠目する。須王の手から垂直に上昇し、最高点に達したと同時に砂と化したからだ。ごていねいに「パン」という痛そうな音つきである。
「ひぐっ……」
演出の効果は抜群だったらしい。石だった粉末がパラパラと風に散っていくころ、子どもたちが我先にと駆けだしていく。
「びゃあああああ!」
「わああああん」
「おかあさあん!」
ふん、と須王がつまらなそうに鼻を鳴らした。空になった手を具合をたしかめるように何度か握るしぐさをすると、アバル、といつものように呼んだ。
「あいつらまた戻ってくるかもしれないし、……あとはオレが手伝うよ。小さいのに出てこないように言ってくる」
「うん。……頼んでいいかな」
「まかせろ」
須王がニッと笑う。先に門の中へ避難をしていた弟妹たちをきびきびとせかし本堂へ誘導していく。見、アバルは小さく息をついた。
(今のあれ、……悪魔の力だよな)
須王の瞳は悪魔を示す氷色ではなく黒だったし声も子どもの須王のものだった。つまり、彼は「須王」のまま悪魔の力を行使したことになる。
いつのまに、どうやって。
(須王はアザゼルのことを知ってるのか? それとも、知らないまま使ってる?)
アバルはそこで先日の夢について思い出す。あまり思い出したくはないが、須王だと思ったらアザゼルでアザゼルだと思ったら須王だったあの不思議な夢だ。
夢にしてはやけに生々しいとは思ったが、あの時点からすでに須王がアザゼルの力を使いこなしていたとすれば、事後に須王がアバルに夢と思い込ませた可能性がないともいえない。だが、なんのために?
(朝市のあとの記憶が飛んでることと何か関係があるのか? 須王は何かを知っていて、俺にそれを隠している?)
任務を果たした須王が戻ってくる。ちょうどこの場には二人しかいない。聞くなら今だが、さてどのようにたずねたものか。
『いつのまにアザゼルのことを知ったんだ?』。『いつからアザゼルの力を使えるようになったんだ?』。『アザゼルは今はどうなっているんだ?』。
頭の中でいくつか文章を作ってみたものの、しかしどれも不合格の印とともに棄却してしまった。だってまず客観的に考えて「悪魔」という概念が口にしづらい。いくら目の前で見たとしても、しらふで問うにはちょっと勇気のいる内容だ。何も知らない人間が聞けばまずアバルの正気を疑うだろう。
それからもう一つ、仮にもし須王がアザゼルの存在を知り対峙する機会があったとして、自らのみの力で克服した場合だ。アバルは「家族だからそういう対象にならない」という自分の都合で須王を見捨てたことになる。
その事実に向き合う瞬間が怖い。そのとき須王の口から出る言葉が怖い。
「アバル?」
「その、……須王には、夢とかおとなになったらやりたいことってあるか?」
笑ってごまかすのも不自然と思い、とっさに出たのがそれだった。我ながらもっとほかになかったのかと思うけれども、須王とはこういう話をしたことがなかった気がする。
「夢? やりたいこと……?」
意外なことに須王はアバルの問いの意味がわからないようにきょとんとしたあと、ぱちぱちと黒い瞳をしばたたかせた。
キスケのように店を持ちたい、一郎太のように洛土を守る仕事がしたい、慈安のように子どもたちにものを教える仕事がしたい。菊花のように誰かの命を救う仕事がしたい。
北辰寺の子どもたちは皆漠然と「夢」を持っている。彼らの中でも須王は才能豊かな少年だから、アバルは漠然とさぞ彼の頭の中は「夢」にあふれているだろうと思っていた。
あるいはあらゆることができすぎるがゆえに「やりたいこと」や希望する将来が見えなくなってしまっているのだろうか。
須王は自分の胸のうちにある言葉を拾い、まとめるようにうつむいた。
「オレ、アバルとずっと一緒にいたい。アバルのことが好きだから、アバルといられるならなんでもいい」
「あはは、須王もまだまだ子どもだなー」
かわいがっている子犬になつかれて誰が嫌な気持ちになるだろう。
かわいいやつめ。須王の気持ちがうれしくて、アバルは須王の頭をなでてしまう。ついでに片腕で抱き寄せると真っ赤になった須王が「子ども扱いするな」と抗議の声をあげた。お年頃というやつなのだろう。
「でも、本当だ。本当にオレ、アバルがいればいいんだ。それだけで、なんでもできる。たとえば――」
言いながら、須王は汚れの残る壁を見る。口元が何かをつぶやくように動いたが、アバルには聞こえなかった。
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