上 下
39 / 60
伯剌西爾編

THE FIGHT

しおりを挟む
「サクラダよ、 私と聞いたければ、我が弟子を倒してからだ!」

 ニクソンがそう発言し、日本最大の格闘技興行「BRIGHT! (ブライト)」に送り込んだ男こそが“未知の秘密兵器”ヒカルド・M・シウバ。
 鳴り物入りで登場したものの、日本の格闘技ファン達はヒカルドの事など誰も知らない。安藤による道場破り事件は知られても、安藤を返り討ちにした男がヒカルドである事までは知らないのだ。
 よって、誰もが桜田VSヒカルドのカードを桜田の勝ちと予想しただろう。しかし、勝ったのはヒカルドだった。それも判定ではなくK.Oによる文句の付けようもない圧勝での大番狂せ。

「サクラダは強かったよ。でも、オレの敵じゃなかった」

 とはヒカルドがテレビカメラに向けて言ったコメントである。桜田が強いのは事実。しかし、それ以上にヒカルドは強かったのもまた事実。日本最強の男を倒した新星ヒカルド・マエダ・シウバ。その鮮烈なプロデビューとともに彼は一躍時の人となる……はずであった。

「私の弟子に負けるような男とは試合をするつもりは無い!」
 予《かね》てより言うつもりであった台詞を、ニクソンは世界に向け発信した。これで桜田と試合をしてニクソンが負ける事はないだろう。何故なら彼に試合をするつもりは金輪際無いのだから。
 しかし、これがヒカルドの抱いていた疑念を更に加速させたのだった。

「ヒカルド、 よくぞサクラダに勝ってくれた。さすがは我が弟子だ!」

 サンパウロに戻ったヒカルドをニクソンは出迎え、労う。その場にはニクソンの弟や甥たちも勢揃いしているではないか。

「師匠《メストレ》……いや、ニクソン・プレマシー!オレと闘ってもらおうか!!」

 ヒカルドの口から出た言葉に、一瞬面食らうプレマシー一族の面々。

「あなたは、サクラダとの試合から逃げた!一族のメンツが何だか知らんが、どっちが強くてどっちが弱いか、闘って決めりゃいいだけの事だったんだ!それなのに、あんたはプロレスラーごときを恐れて逃げた!!」

「ヒカルド…貴様!」

 拾ってやった恩も忘れ、何という口の聞き方か…と続けたかったが、ヒカルドの言う事も事実。

「あなたはオレに言った!武術家の魂までも売ってはいないと!だが、あなたは無敗記録を守るために逃げを選び、闘うことを止めたんだ!」

 生涯で唯一、師事し尊敬した男への失望がヒカルドをして、そう言わしめた。

「兄者、こんな若造に言わせておいてよろしいのか!?」

 と、ニクソンの弟ロイス。

「……貴様の言うとおり、私は変わったよヒカルド。だが、貴様に何が解る!?一族とアカデミーを守る立場の私と、失うモノの無い貴様の違いが解るのか!!」

「解らねえよ。オレにはこの「強さ」以外に信じられるモノなんか無いからな」

 財も学も無い若者が唯一信じ、誇った『強さ』。それよりもくだらぬメンツを保つことに走った師に対しヒカルドがすべき事は一つ。

「ニクソン、オレがアンタを格闘家として終わらせてやる!その無敗神話に初めて黒星を付けるのはサクラダじゃねえ、このオレだ!!」

 ヒカルドとニクソンの闘いは、その場で始まってしまった。お互いにスーツに革靴という服装でだ。
 ヒカルドが前傾姿勢でニクソンの足下へ飛び込む。タックルに来たと読んだニクソンは、ヒカルドの顔面に膝を合わせる…が、それは空を切った。
 ヒカルドは側転で膝を避けた。それは桜田潔志がロイスとの試合で使った、足関節を取る為の技術だった。ヒカルドはこれを更に彼なりにアレンジし、自分の技とした。そのアレンジとは、カポエイラ仕込みの蹴りを組み合わせる事。
 革靴の爪先がニクソンの顔面を突く。そして、 逆立ちのままヒカルドは両足でニクソンの胴体を挟み、左手でニクソンの左足首を掴んで倒した。
 掴んだ足にアキレス腱固めを仕掛けようとするが、ニクソンはヒカルドの脇から素早く足を抜く。
 立ち上がるヒカルドと仰向けで両足をヒカルドに向けオープンガードを取るニクソン。
 寝技 (グラウンド) こそ柔術家の領分である。ニクソンはヒカルドにガードを突破(パス)させるつもりは無い。しかし、ヒカルドはにやりと笑う。そして、跳躍。   
 ニクソンの長い足をジャンプで跳び越えた。そして、左右の足でニクソンの両肩口を踏み抜く。フットスタンプである。
 瞬く間にマウントポジションを奪ったヒカルドは、容赦なくニクソンの顔面を左右の拳で何度も殴る。殴る。殴る!

「終わりだニクソン!」

 ニクソンが気を失う寸前に、居合わせたプレマシー一族達がヒカルドを引き剥がした。公式な試合の場であればタオルを投入したに等しい行為である。
 ヒカルドはこの瞬間に確信した。ブラジル一、いや世界一強い男にオレは勝ったのだと。
 ヒカルドとニクソンの非公式試合は、ヒカルドがブラジル連邦警察に逮捕される形で終わった。当初の容疑は傷害であったが、最終的に殺人未遂となった。
 ヒカルドの「互いに合意の元で行われた試合である」 旨の主張は認められず、 サンパウロの有力者であるプレマシー側の主張ばかりが優先され、ヒカルドは有罪判決の元、収監されたのであった。

 ニクソンはその後、誰とも試合をせず「世界最強」の称号を他者に譲る事無くプロ格闘家を引退。見事に勝ち逃げを果たす。唯一の黒星であるヒカルドとの非公式試合は一族以外の誰にも口外されず闇に葬られた。
 そして、ヒカルドは獄中で数十年過ごしながらその生涯を終えた。『強さ』への渇望を抱えたまま……



–パントドン、巳国首都アリゲート、ガビアリアン神殿

「時は来た!敗れし者よ、未練残りし者よ!汝の名は干支乱勢《えとらんぜ》!闘いの運命《さだめ》から逃れられぬ一匹のなり!!」

 ワニの獣人が魔方陣に向かって呪文を唱えると、眩い光とともに一人の少女が現れた。フードを広げたコブラのような深緑色の髪、縦長の瞳孔をした鋭い橙色の眼、頬を覆う鱗、同じく鱗を生やした蛇の尾。

「何だここは…?オレは死んだ筈……」

 辺りを見回す少女。彼女の周りにいるのは二足歩行のワニやカメやトカゲ。異様な光景である。どうやら死後の世界…地獄の様な場所に来たのだろうと思うことにした。

「おお!召喚は成功じゃ!妾の名はロダーク・イルコ82世。汝の名は何という?」

 人語を話すワニに問われるがまま、蛇の少女は口を開く。

「オレの名はヒカルド……ヒカルド・マエダ・シウバ」

「ふむ。長いのう。では、汝の事はヒカルと呼ぼうぞ。巳《レプタ》の干支乱勢ヒカルよ、我ら巳国と、ひいては己自身の目的のために闘うのじゃ!」

「闘う…?誰と、どうやって?」

 女王イルコはヒカルに、12人からなる干支乱によるトーナメント、そして優勝者には元の世界への復活を果たせる事を説明した。

「成る程。運はオレを見捨ててはいなかったか。……喜べトカゲ人間たち!その干支乱勢大武繪とやら、優勝するのは勿論このオレだ!そして……」

 元の世界へ復活した暁には、ニクソン・プレマシーを表舞台に引きずり出して公式な試合で負かし、今度こそ名実ともに世界最強となるのだ!
 そう、ヒカルは決心した。
しおりを挟む

処理中です...