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10.異空間書道

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10.異空間書道



世界はすでに夏と言っても良い季節だった。

急な坂を上りながら俺は校舎を見上げる。これは蜃気楼じゃないのか?

上がっても上がってもちっとも近付かないぞ。すっかり緑が濃くなった桜の木の下を歩きながら、大きく息をついた時だった。



前方になんとなく見覚えがある人物を発見した。細い足首、華奢な身体。髪は肩までのストレート、あれは……。

「九十九さん!」

俺は声をかけていた。

するとその少女はピタリと歩みを止めて振り向いた。

この暑い日に、こんな急な坂を上っていたというのに九十九さんは汗ひとつかかず涼しい顔で俺を見つめた。



「やっぱり九十九さんですね! いや、メイド服姿じゃないからちょっと自信なかったんですよ」

微笑みながら話しかけた。すると九十九さんは眉を顰めて小声で言う。



「いけません、このような所で私なんかに声をかけては!」

「え?」

俺は笑顔を固めて立ち尽くす。

「な、なに? それってどういう意味?」

九十九さんは唇の前に「しー」っと指を立てる。

「そんな大声で話されては、彼奴等に気付かれてしまいます」

「きゃ、きゃつら?」

俺は目をパチクリとさせた。

「そうです、スッタラメッタラ教の連中です」

「すったら?」

聞きなれない言葉に面食らう。すると九十九さんは俺に顔を寄せて耳元で囁くように言う。



「そうです。リキ様に敵対する悪の組織です。彼奴等に騎士であるマモル様の存在を知られると、間違いなくマモル様が襲われてしまいます」

「襲われる? 俺が?」

「そうです、彼奴等の使う呪いの魔術により、マモル様はみるも無残に苦しみもがき死に果てる事でしょう!」

「な、なにそれ!?」

九十九さんは俺から離れると息を吐いた。



「ですから、学校でむやみに私に話しかける事はおやめ下さい。私は呪いの呪力で生爪を剥がされて、もがき苦しむマモル様をみたくはありません」

「生爪!?」

「それに傷口が塞がらないようにと、数ミリ間隔で肌に切り傷をつけるという、世にも恐ろしい拷問を呪力で受けるマモル様は、哀れで見るに耐えません」

「拷問!? 切り傷!?」

身体が暑さも忘れて恐怖で凍えた。

すると九十九さんは軽くお辞儀をすると「では」と言ってさっさと坂道を上がっていってしまった。

俺はその場から動けない。



「リキは何と戦っているんだ? 謎の宗教団体か? それとも超能力者か? つーか何で俺が襲われるんだ? じゅ、呪術……」

九十九さんの言葉を思い出し、自分の肩を抱えて震えた。

「こ、怖いよ、呪術」





「こんな真夏日に、何を涼しそうに震えているんだ?」

聞こえた声に振り返ると、そこには制服姿のリキが立っていた。

いや制服は普通だが、いつもおかしな衣装を着ているから今日はなんだかすごく新鮮に見えた。



「いま、九十九さんに会ったんだけど、スッタラメッタラなんとか教とかって言って……」

「え、ああ」

リキは軽く髪をかきあげた。

「九十九君がそんな事を言っていたのか。スッタラメッタラね」

「だから何ですか、それ? もしかしてリキさんスッタラ教の教祖?」

リキはニヤリと笑った。



「ふふ、流石は九十九君だ。マモルの弄り方を分かっている」

「なんですか、その発言!」

「ああ、彼女は俺のメイドの中でも群を抜いて気転がきくからね。まったく素晴らしい妄想言語力だよ」

「妄想言語って!? もしかしてさっきの全部嘘って意味ですか!?」

それって単に演技性人格障害ってヤツじゃないですか?

俺がそう思っているとリキは笑顔で言った。



「あはは、楽しければ良いんだよ、楽しければ」

リキに突っ込もうかと思っていた時、風の音が聞こえた。見ると坂道を軽快に上がってきた自転車が見える。

「おはよう、久世君」

「ああ、おはよう」

それは品川郁瑠だった。郁瑠とはあの自転車バトル以降友人になった。

こうやって通学路で会えば挨拶するし、忘れ物した時とか教科書の貸し借りをする仲となっていた。



「ふーん、仲良くしてるんだな」

通り過ぎる郁瑠の後ろ姿を見ながら、リキが眩しそうに目を細めて呟いた。俺は大きく頷く。



「お陰さまで、あのバトルをきっかけに仲良くなりましたよ。なんていうか、そういう意味ではリキさんに感謝してます」

リキはフっと笑って格好つけて前髪をかきあげた。

「庶民は庶民同士、交友を深めたって事だな」

「なんかすごくトゲのある言葉ですね!」

リキは相変わらずドエスだった。







昼休み、食事も終わり砂原とバカ話をしている時だった。

「やーやー久世っち、お久しぶりだね」

振り返ると石井嬢と七瀬嬢の姿があった。

「あ、わ、こんにちは!」

砂原は机をガタガタさせながら立ち上がった。すっかり舞い上がっている感じだ。

「久しぶりに遊びに来させてもらったわ」

いつものように石井嬢が話し、七瀬嬢は黙っている。

俺は彼女の気持ちを知っているから、その様子を見守るように見つめる。

上手く話しかけるタイミングが掴めないのか、唇を少し開いては閉じる。

「この前はありがとう」

俺の方から声をかけてみた。すると七瀬嬢は顔を上げて微笑んだ。



「あのね、今回はショートブレッドを作ったの。それで良ければ、久世君に食べてもらおうかなって」

「へえ、ショートブレッドだなんておしゃれだね。俺それとクッキーの違いが良くわからないんだけど、どう違うの?」

「え?」

七瀬嬢の顔が青ざめた。

「あ、その、私もよく分からないかも。ただレシピにはシュートブレッドって書いてあったから、だから……」

だんだん小声になる七瀬嬢にマズイ事を聞いてしまったと思った。

けれどそこで石井嬢が明るく言った。



「別にどっちだって良いじゃない? あんまり大差ないわよ。因みに私はそこにビスケットとサブレを入れても、どれも違いなんか分からないわよ」

「はい! 俺もです!」

砂原もそう叫んだ。さすが付き合いが長いだけあって石井嬢は七瀬嬢のフォローが上手いなって思った。

それに砂原の能天気も良い感じに作用している。

七瀬嬢はまた明るい表情に戻った。

俺は彼女の笑顔に安堵して言う。



「ありがとう、じゃあみんなで食べようよ。砂原がさ、こないだ俺が七瀬さんにお菓子もらったって言ったらすごく羨ましがってたんだよ」

「本当に? だったら嬉しいな」

七瀬嬢はシュートブレッドを取り出した。



俺達は石井嬢が用意してきた水筒の紅茶をカップに注いで、シュートブレッドを食べた。またも不思議な味がした。

何がいけないんだろう?

そう思っていたら砂原がまったく悪気なく言った。



「これすごい美味しいね! 小麦粉の味がするよ!」

そうか、小麦粉の味か。って今の発言アリか?

俺は七瀬嬢が傷ついていないか見てみた。けれど七瀬嬢は楽しそうに微笑んでる。

どうやらオッケーなようだ。俺達は小麦粉味のシュートブレッドを齧りながら昼休みを過ごした。

微妙な味のお菓子も、それはそれで場を盛り上げてくれていた気がする。

このメンバーで過ごすのも楽しいモノだと思った。









放課後、とりあえずリキのいる教室に行ってみようかと思っていた。

あの可憐で真面目な七瀬嬢のためのバトルなら、俺は喜んで戦う。

だからたまには自分からリキに対戦相手がいるのか聞きに行こうと思った。

たかがショートブレッドごときで浮かれるなって? いや良いんだ。実際浮かれているんだ、俺は。

彼女の真面目でひたむきな姿に。



「マモル様危ない!」

聞こえた声に振り向こうとした。でも一瞬早く身体にタックルを受ける。

「うわ!?」



勢いよく廊下に転がる。前方に二回転してビタンと床に無様に叩きつけられる。

「な、なんだ?」

痛む頭を押さえながら見上げると、九十九さんが立っていた。

「九十九さん?!」

九十九さんは冷静な顔で、俺を見下ろしながら言う。



「危ない所でした。今スッタラメッタラ教の呪術師が呪いの波動を送っていたんです。あの波動をあのまま受けていたらマモル様は木っ端微塵、いえナノ単位の細胞、いえいえピコ、フェムト単位にまで身体を粉々にされていたでしょう」

「ピコ? フェ?」

「ああ、マモル様が無事で良かった」

胸をなでおろす九十九さんにお礼を言う。



「あ、そうなんですか、それはそれは危ない所を助けて下さってありがとうございました。とりあえずたんこぶだけで済んで良かったです」

「そうですね、たんこぶで済んで良かったですね。スッタラメッタラ教の呪術より、たんこぶの方が良いですものね。私もタックルしてお助けしたかいがありましたわ」

いや、たんこぶは痛いんですけど?

俺はそう思ったが黙っていた。だって九十九さんは善意でタックルしてくれたんだから。

前方ニ回転でみっともなく転んだ事なんか忘れよう。



「今の、マモル様が無様に転んだ瞬間はスマホで画像保存させて頂きました。後日これを思い出して、私はクスリと笑わせて頂きますわ。ああ、とても癒されそうです」

「なんとなく今、悪意を感じたんですけど!?」

俺が突っ込むと九十九さんは話題を変えた。



「リキ様がお呼びです。こちらにいらして下さい」

「え?」

どうやらリキを訪ねていくまでもなく、今日もバトルがあるようだった。





俺が連れていかれたのは体育館だった。

いつもは空き教室の並ぶ三階の廊下がバトル場所だったので、ちょっと意外な思いだった。

こんな場所でバトルって、今度の戦いは体育館系の部活の人間だろうかと思った。

体育館で部活している部活というと、剣道部やバトミントン部、バレー部なんかが思い浮かぶ。

そういえばフェンシング同好会とかもあったな。そのあたりが可能性として高いか?

そうだとしたら、また激しい運動をさせられそうだな。



ちょっと緊張していると、九十九さんが体育館正面のドアを開けた。

中には王冠を被った王子様衣装のリキがいた。

「なんですか、その衣装と冠!」



俺が律儀に突っ込むと、リキはふふんと微笑む。

「ああ、これは俺のファンからのプレゼントだよ。この服を着た写真画像が欲しいというから、さっき撮らせてあげた所だ。ファンの夢は壊さないようにするのが俺の義務だからな」

「いや、それ絶対趣味でしょう!? だいたいその長椅子は何ですか!?」

リキはロココ調のヨーロピアンカウチチェアーに寝そべっていた。



「ああ、なかなか良い椅子だろう? ビーチ材の高級ジャガード織りの椅子だからな」

「その椅子が体育館にある事自体おかしいんですけど!?」

なんで俺以外の人間は突っ込まない!?

そこも大きな疑問だった。



「この俺には相応しい観戦用の椅子が必要なんだよ。まあ、君はいつものように必死に戦ってくれ」

まったくもって偉そうな言葉だが、とりあえず俺は流す事にする。

「それで今日の対戦相手は?」

「もう居るじゃないか」

「え?」

言われて体育館内を見わたした。

すると一人の少年が袴姿で立っていた。その姿があまりに地味で俺の視界に入っていなかった。

「って、なんで袴姿?」



体育館で袴姿というのはなんだろうと思った。

考えられる部活は弓道、剣道、柔道、ってあれは違うな。

そう思っているとその少年が俺に歩み寄ってきた。



「はじめまして、僕は書道部1年、末永貴靖」

「書道部?」

意外な言葉に目をパチクリした。そしてよくよく見ると体育館の床に巨大な白い紙が置かれている事に気付いた。



「僕は七瀬さんへの告白をかけて君に正々堂々と勝負を申し込む」

末永はキビキビと話す人間だった。黒い髪に白い鉢巻を巻き、見るからに真面目そうな感じだ。

凛とした空気を発する彼につい返事をする。

「よろしくお願いします!」



でも書道ってどんな勝負だよ?

俺がバトル内容の想像も出来ずにいると、リキが椅子の上に優雅に座りなおしながら言った。



「ルールを説明をしよう。マモル、君には今から文字を書いてもらう」

「え、本当にただの書道?」

その疑問にリキはニヤリと笑う。

「書道と言っても、これはパフォーマンス書道だ」

「パフォーマンス?」

「簡単に言えば、この巨大な紙に好きな文字を書いてもらう。ただし、書く文字は何でも良いが、七瀬をイメージしたものにしてもらう」

「七瀬さんをイメージ?」

「ああ、二人がそれぞれ書いた物をあとで七瀬にどっちが書いたか知らせずに見せる。それを見て七瀬が好きだといった文字を書いた方が勝者だ」

分かりやすいルールだった。それにいつものデンジャラスなバトルとも違う。

これはなかなかバトル自体は簡単そうかなと思った。

いや、でもまてよ、どうしたら七瀬嬢に気に入ってもらえる字が書けるんだ?

俺はハッキリ言って字はへたくそだ。書道が嫌で音楽クラスを選択した位なんだから。

しかも七瀬嬢は書道クラス。俺のへたくそな字では選んでもらえないんじゃないか?





「なんか考えたらすっごく俺に不利なバトルな気がしてきた」

呟いたがルールが変更される事もなく、見ると九十九さんがいつの間にかメイド姿になってせっせと書道の準備をしていた。

巨大な硯と筆が体育館に用意される。

「じゃあ、先に挑戦者の末永君に書いてもらうとしよう。ああ気分が盛り上がるように九十九君にはヴァイオリンでも弾いてもらおう」

「そこ、弾くのはリキさんじゃないんですか!? いかにも弾けそうな顔ですけど!」

「俺は庶民に聞かせるようなレベルではないんだよ。俺のヴァイオリンが聞きたければ、世界遺産のスペインのカタルーニャ音楽堂でも押さえてくれたまえ」

その発言を無視する事にする。

だいたいそう言う奴に限ってめちゃくちゃヘタクソだと相場が決まっているんだ。



「二人とも用意は良いか?」

「ああ」

末永が答えると九十九さんがヴァイオリンを弾き出した。

「こ、これは!」

情熱大陸が始まりそうなヴァイオリンの音色だった。

見ると末永が巨大な筆を腕で持って動き出した。それはまるで演舞でも踊っているかのような動きだった。

筆が宙に浮び、墨汁が空中に舞う。

彼が紙に筆をつけた。



最初は小さな異変だった。



彼が一画目を書くとどこかから薄い花弁がヒラヒラと舞い落ちた。どこか窓でも開いていたか?

そう思ったが二画目を書くと更に花弁が増えた。こ、これはもしや? 

末永が桜という文字を書き終えたその瞬間、体育館の中に無数の桜の花弁が溢れ出した。

咲き乱れる桜の花の桜吹雪。

「これは!?」



末永の筆が動く。するとその筆が蝶に見えた。

ああ、春の日差しを感じる。初々しい入学式。黒い制服のスカートがとても似合う七瀬嬢。

その彼女の周りを飾るように花弁が舞う。花弁は時に髪飾りのように彼女の髪を飾り、口紅のように彼女の唇を淡い桜色に染める。



「ああ、春の美しい光景と七瀬さんの姿が次々と浮ぶ。なんて華やかで美しいんだろう。そして花弁の散る儚さの中に垣間見える、彼女の芯の強さ、この文字は正しく彼女そのモノだ! 俺はこの文字の中に七瀬さんが見える!」

「書き終わりました」

その声に我に返る。

気付くと音楽は止まり、床に置かれた紙の上には絶妙なバランスで「桜花爛漫」と書かれていた。

ああ、なんて美しい文字だろう。流れる文字の払い、絶妙なかすれ具合。すべてが芸術的で美しい。俺はこの文字に感動していた。



「なかなか良い出来だな。どうだマモル、もう書く文字は決まったか?」

リキの言葉にはっとした。そうだ、これはバトルなんだ。

俺はこの的確に七瀬嬢を表した美しい文字よりも相応しいものを書かないといけないんだ。

その事に気付いて絶望した。書道クラスでもない俺が、これ以上の文字を書けるワケがない。



「無理だ、俺にこれ以上に上手い字なんて……」

つい弱音を吐いていた。すると俺の呟きに九十九さんが小声で言った。



「マモル様、文字は上手い下手ではないですよ。気持ちを伝える事が大事なんですから」

九十九さんを見つめた。その顔は真剣なものだった。いっぱいからかわれたけど、でも彼女は悪い人ではないんだ。

だって今も励ましてくれた。

「ありがとう」

俺は彼女にお礼を言うと、用意された自分の紙に向かった。



そうだ、俺は七瀬嬢を守るんだ。この書道だって彼女を守るバトルなんだ。だったら俺は全力で戦うのみ。

覚悟を決めた時、リキが長椅子に寝転んだ姿勢でニヤリと笑った。

「用意は良いか、マモル」

「はい、いけます」

俺の返事に頷くと、リキは九十九さんに向かって言った。

「じゃあ、音楽を」

流れ出したヴァイオリンの音を聞きながら、巨大な筆を手に取る。流石に重い筆だった。

身体全体で抱えないといけないから、明日は筋肉痛だなと思った。なんていうか、もしかして今までの戦いで一番ハードなんじゃないか?

俺は墨をつけると紙の上に向かう。

書く文字は決めていた。

その文字を俺は丁寧に紙に書いていく。すると対戦相手の末永が声をあげる。

「こ、これは!」



ボタっと勢いよく墨が紙についた。すると末永が叫ぶ。

「なんて大胆な動きなんだ!? 無駄な動きが多く、まるで体育館全体を走りまわっているかのようじゃないか? しかも文字の太さといったら半端ない! これは文字のメタボだ! ああ、かつてこんなヘタクソな字はあったか? 文字の生活習慣病だ!」

「悪かったな、ヘタクソで! 因みに俺の選択授業は音楽だから! かけらも書道やってませんから!」

「それ以前に漢字間違ってないか?」

言われて気付いた。確かに画数が一個多い。



「い、いや、だってこんな大きな紙に書くと、すでに字じゃなくて絵だと思うし。自分が漢字書いてるのか何なのか分からなくなるんだって」

「単にバカなんだろう?」

ドエス王子がそう言いやがった。



「黙ってて下さい! 集中出来ないでしょう!」

叫びながら文字を書き続けた。七瀬嬢を思って。



文字を書き終わると汗をかいていた。ふーっと息をついて振り返ると、末永が俺の書いた文字を読みあげた。



「料理は心? なんだ、どういう意味だ? しかもとても大小チグハグなバランスで、文字が解体されたように並んでいるぞ。これのどこが七瀬さんを表しているんだ?」

俺は黙っていた。これは俺から七瀬嬢へ、昼休みのお菓子のお礼の気持ちを込めて書いたものだった。

不恰好でも、ちょっと美味しくなくても、気持ちが入っていればそれで良い。

料理ってそうじゃないか?

そしてこれも同じ。ヘタでも感謝を込めて書いた文字。



「良いんですよ。これはえっと前衛的なんです。キュピズムですね、キュピズム」

「どこがキュピズムだよ、それより心の画数が多いぞ。点が一個多いなんて君の心には邪なものがあるんじゃないか?」

「ないです!」

リキに向かって叫んだ。



「とりあえず、この書を七瀬に見せて、勝敗を決めよう。九十九君」

リキが名前を呼ぶと、九十九さんがテキパキと紙を持って体育館を出ていった。

その身のこなしはすでにメイドというより忍者だった。リキのメイドは全員忍者か格闘家じゃないだろうか?



暫くすると九十九さんが帰ってきてリキに耳打ちした。

するとリキは長椅子から立ち上がり、偉そうにふんぞり返りながら俺と末永をた。

「勝者は久世マモル!」

その言葉に俺が安堵した時、末永が頭を抱えながら膝をついた。



「な、なぜだ? どうしてこの僕の書があんなメタボリック書道に負けるんだ? こんな、こんな事があって良いのか?」

あまりの悲愴な顔に俺は申し訳ない気持ちになった。

ちゃんとした書道をやっている人に、俺のような素人が勝つなんて、ちょっと申し訳ない気がした。

甲子園で負けてしまった高校球児のように嘆き悲しむ末永に声をかけようとした時、先にリキが口を開いた。



「七瀬の言葉を伝えるよ」

末永が顔を上げた。リキは外見だけなら完璧な容姿の、これまた美しい声で言った。



「七瀬は末永君の書いた美しい文字ほどに、自分は綺麗ではないと言った。桜に例えられたのは嬉しいが、自分はただの人だ。特別な才能など何もない、ただの人間だと。だけど努力する心を忘れたくはない。見栄えが悪くても頑張るそんな人間になりたいと。だから料理は心という文字に惹かれる。自分は何も上手くないが心を込める事は出来る。だからこの文字を選ぶと、そう言っていた」

リキの説明に末永はまた頭を下げた。



「そうか、そういう事ですか。いや、本当に七瀬さんは姿だけではなく、心も美しい。そんな彼女の心を理解していなかった僕は確かに負けですね」

素直な末永の言葉にちょっと胸を打たれた。

「でも、文字の美しさで言ったら、明らかに俺のより末永のが綺麗だよ。だからそんな顔するなよ」

「久世……」

末永は俺を見て呟いた。その時、リキが体育館から出口に向かって歩きながら言った。



「末永君、七瀬はマモルの文字を選んだが、君の文字を見て感動したと言っていたそうだよ。自分もいつかこんな字が書けるようになりたいってさ」

気いた瞬間、末永の表情が輝いた。

「七瀬さんがそんな事を?」

その顔は喜びに満ちている。そしてさっきまでと違い、体中から力が漲ってきているようだった。

末永は立ち上がると笑顔で俺を見た。

「久世、今度また機会があったら僕とバトルしてくれ!」

「え、あ、ああ、まあ」

末永はキリリと眩しい顔に笑みを浮かべた。



「今度はこの筆を剣のように使った、剣術ならぬ筆術で対戦しよう!」

「いや、それ無理!」

あんな重い筆を持って戦えるワケがない。というか、今日もその戦い方をしたら、末永は俺に簡単に勝ってたんじゃないかと思った。

まあ、それはあえて言わない事にしよう。



こうして今日のバトルも、なんとか勝利で終る事が出来たのだった。

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