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第三章

第100話 一人の皇女と世界を天秤にかけて

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 マッドナーは何かに気付いたのか、「引いたか?」と此方を覗き込んでくる。どうやら無意識に睨みつけてしまっていたようだ。

「まあ……ドン引きかな?」
「フッ……まあ、それが普通の反応じゃろう。帝国の上の連中もそうじゃった。倫理観がどうとかと温いことをかしおって……全員黒騎士に殺させて実験体送りにしてやったわ」
「皇女さんだけじゃ飽き足らず、他の奴らまで……」
「一人の女と世界……比べるまでもなかろう? どうせ老い先短かったんじゃ。世界……いや、全次元の為に死ねて、あの女も本望じゃろうて」

 マッドナーの言うことは理解できる――が……気に入らない。何故、気に入らないのかは、きっとオレが抱く疑問のせいだろう。

「科学宝具もエル皇女の力が使われてるんだろ? ってことは、ドレッドノートもアンタと同じ考えだったのか……?」

 科学宝具の創造者が、もしマッドナーと同類だとしたら……オレは奴の意志など継げない。甘いかもしれんがな。

 マッドナーは「安心せい……」と、此方の意図を察したかのように呟く。

「あの男はワシとは真逆じゃった。できるだけエル皇女に負担を掛けず、科学宝具を創り出しおった。だが、その甘さが出来損ないを生み出したんじゃ」
「出来損ない? オレからすりゃ、科学宝具は十分すぎる程の力を内包してると思うがな。七宝具だってあるし」
「そのおもちゃがなければ、ただの人間と変わらん。人体に内蔵するには不向きだし、女神一人殺されるだけでシステムダウンする。ハッ……欠陥品じゃな。それに引き換えワシの転生者システムは、対象者自体に力を宿すことができる。システムダウンもせん。もはやドレッドノートなんぞ、足元にも及ばんほどの才能が……ワシにはあるんじゃ!」

 このジジイ……どうもドレッドノートに対して、並々ならぬ対抗心を持っているようだな。自分が一番じゃないと気が済まない……おまけに他者が気に入らなければ、すぐに実験体送りにする。喋れば喋るほどヤバさが垣間見えてくるな。これから先、こいつの荒れてた時期に邂逅することを考えると……気が滅入る。

 口端から涎を垂らして悦に浸るマッドナーに嫌悪感を抱きつつも、己の中に残る最後の疑問を解消する為にと重い口を開く。

「じゃあ、聞くけどよ? 何で転生者は『氏名・使命しめい』奪われるんだ? その制約の所為で覚醒前に殺される奴も多かったと聞く。欠陥がないとは言い切れないんじゃ――ッ⁉」

 オレは、ほんの少し……抱いた嫌悪感を口に乗せただけ。
 だが、マッドナーは気に入らなかったようで、オレの左顔面に超反応で掴みかかり、親指を眼球へと突き付けてくる。

「口を慎め……ガキが。転生者システムはワシが心血を注いで創った叡智の結晶……あんなモンと一緒にするな。それとさっきも言ったと思うが、お前は不死身ではなく、ただの複製品じゃ。消す方法なんぞいくらでもある事を肝に銘じてから……発言しろ」

 身の毛もよだつ殺意――夜叉の如き面構え――他者をゴミとしか捉えていない眼光――そして、魔帝とは別ベクトルの冥闇なるオーラ……まるで声帯が刈り取られたかのように言葉を失ってしまう。

 しかし、一転。
 マッドナーはオレの肩を優しく揉み、にんまりと笑う。

「……冗談じゃよ。今、小童を消そうものなら、逆にワシの方が消されかねん。お前にはまだ、役目があるものな?」

 もはや意味を問う気も失せる程、冷や汗が滲み出てくる……わざわざ、こんな機能まで複製せんでもいいのにな。

 シャツの裾を持ち上げて汗を拭うと、思い出したかのようにマッドナーは続ける。

「さて……『氏名・使命』を奪う理由じゃったな? 『想い』の力というのは即ち、魔力なんじゃ。本来なら人間の扱える代物ではない。それ故にエル皇女も短命じゃった。だからワシは最も想いの宿る二つの『氏名・使命』に着目した。己が存在を示す『氏名』と、与えられし重大な『使命』。これらの『想い』を奪うことで、空っぽになった部分に代替となる『想い』……つまり、能力を宿すことに成功したんじゃ。そして力が馴染んでくれば、自ずと『氏名・使命』も取り戻せる。まさに完璧……欠陥なんか何処にもありゃせんじゃろう?」

 頷く以外の選択肢など、当然存在していなかった。
 表面上は笑みを見せているが、それが仮初であることは一目瞭然……今回の一件で、このジジイには一生関わらないことを誓いつつ、オレは席を立ちあがる。

「何じゃ、もう帰るのか?」
「ああ……用は済んだ。世話になったな」

 端的に謝辞を述べ、一切振り返ることなく……オレはこの場から早々に立ち去った。



 日の光がほとんど通らぬ裏通り。
 人気のないこの場所で、マッドナーは一人、車椅子で移動中。

 ダンの帰宅後も暫く一人酒を楽しみ、それが済んだ今は帰路に就いている。しかしこの道は、若干遠回りだった。

 その理由は先程から尾行している身の程知らずの為。
 わざと襲いやすい場所に引き入れたマッドナーは、我慢できずに車椅子を反転させる。

「ほれ……いつまでそうしてるつもりじゃ? 早よ出て来んかい」
 
 後をつけていた愚かな二人は姿を現す。

「へっ……気付いてたのか。さすがは四百億の首だぜ」
「兄貴……やめましょうよ……? やっぱり、ヤバいですって……!」

 未だ何かを成せると思っている兄貴分と、身の程を弁えている子分のチンピラコンビ……最後の刻は近い。

「お前たち、賞金稼ぎか? フッ……いいのう……ワシはバカと話すんは嫌いじゃが、向かってくるバカは……嫌いじゃない!」

 マッドナーは恍惚な表情を浮かべる。
 その口元には、またもや涎が垂れていた。

「気持ち悪ぃジジイだな……まあ、いいや。俺らの為に死んでくれねえか? 金に困ってんだよ……四百億くらい」

 兄貴分は言い終わるや否や、指輪型の科学宝具つけた手をマッドナーへ向ける。
 子分も納得はいってないが、兄貴の為と同様に手を構える。

「フッフッフッ……たまらんのう」

 ――バギィッ‼ ――ベギィッ‼

「いつの世も愚か者は……」

 ――グギィッ‼ ――ビギィッ‼

「強者に喰われる……が……定めッ……!」

 ――バリバリバリバリリバリバリバリッ‼

 マッドナーの身体からは骨の軋む音が聞こえ、顔面の肉が蛇のように蠢き出すと、轟音と共に青い稲妻が迸り始める。

「なっ、何だよこのジジイは……バケモンか……?」
「やっぱりマズいですって兄貴! 逃げましょうよ⁉」

 怯えだすチンピラ共……だが、もう時すでに遅し。

 マッドナーの身体は『変形』と共に肥大化していき、先程までだるだるだった上下一体の黒の寝間着は、メタリックな素材へと変化して特殊スーツの如く体に吸着。
 その後、ぶかぶかだった白衣をぴったりその身に収めていく。
 
 チリチリだった白髪はハネッけのある黒髪へと変貌し、長身でシャープな顔立ちの色男が煙舞う中、大地を踏み締めた姿を現す。

「嘘だろ……?」
「若返った……?」

 そう……チンピラ共の言葉通り、マッドナーは若き日の姿を『複製』した。
 その見た目は五十代ほどで、四十年分若返ったことになる。

「「…………ッ⁉」」

 チンピラ共は動けなかった。
 若返ったことによる驚きではなく……眼前に佇む狂気の塊によって。

「あぁ……この状態で居るのも結構疲れるんでね。早いとこ済まそうか……僕の新たな――」

 マッドナーは肩を揉みながら首を回し――

「――実験体たち?」

 ――狂気に満ちた笑みのまま、愚か者共へ飛び掛かる。

「「うわああぁぁああぁぁぁああッッ⁉」」

 悲鳴が木霊する中、赤き血潮が壁を染める。

 九十の爺と侮るなかれ。
 今まで幾千もの命が、その手に掛けられている。

 だから、忘れてはならない……

 魔帝が前線を離れた今、間違いなくこの男が――世界最凶。
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