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◆第14話 隠せぬ善意

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 俺の言葉を受け、シュトルさんはベルモットを注いだカップを口へと運ぶ。
 音を立てずに飲み込んだ後、香りを楽しむかのようにゆっくりと鼻から息を吐き出してから口を開いた。


「やれやれ、頑固そうな男だとは思っていたが、想像以上だな。俺だから言わせて貰うが……兎獣人ラビリアン獣闘士ビスタをやるなんざ、正気の沙汰じゃねえ。俺が訓練士トレーナーをやっていた頃だって、やれ獅子獣人ライオネルだ、やれ熊獣人ベアクロスだと、体格や戦闘技術に恵まれた獣人族は他に幾らでも居た。そんな連中の中に、か弱い兎獣人ラビリアンを送り込むなんてのはイカれた野郎のやる事だぞ」


 シュトルさんは、訓練所を走り回っているピノラに視線を向ける。
 楽しそうに跳ね回るピノラを見るシュトルさんの目は、非常に険しいものだった。
 しばらくして大きく息を吸いこみ肩を揺らすと、俺に視線を戻し一際低い声で話し始めた。


「アレンよ……もしお前が“訓練士トレーナーとして”大成したいと考えているなら、俺からできるアドバイスはひとつだ。今すぐお嬢ちゃんを獣闘士ビスタの登録から抹消して、別の獣人族をトレーニングしろ。そっちの方が確実に闘技会グラディアを勝ち上がれるし、お嬢ちゃんにも痛い思いをさせずに済む。登録を取り消したからと言って、別離れ離れになければならない訳じゃない。お嬢ちゃんとはその後もも仲良く暮らしていけば、それでいい」


 真正面から投げかけられた言葉──────
 あまりに強く、鋭利で、俺の心に突き刺さる。
 そんな事はずっと前から理解していたが、改めて告げられたことで俺は喉のあたりが熱くなるのを感じた。
 膝の上に置いた拳をギュッと音を立てて握りしめる。

 シュトルさんの言っている事は、何も間違っていない。
 誰が何と言おうと正論だ。
 事実、国内8箇所で開催されている闘技会グラディアに於いて、兎獣人ラビリアン訓練士トレーナーをしているのは俺だけだと聞いているし、過去も含めて目覚ましい活躍をした兎獣人ラビリアン獣闘士ビスタなど、目の前にいるシュトルさんが20年前に相棒としていたファルルただ1人しか居ない。
 そしてこの2年間、ピノラを休むことなく闘技会グラディアに出場させている事に対し、虐待じみた行為ではないかと非難する声があるのも知っている。
 
 だが



「嫌です」

「はっ、即答かよ」

「えぇ、ピノラ以外の獣闘士ビスタを迎え入れる選択肢なんて、俺にはありません。俺はピノラと、闘技会グラディアの頂点を目指したいんです」


 俺はシュトルさんの目を真っ直ぐに見ながら答えた。
 愚直にしか感じられないのだろう、シュトルさんは空いている手で頸あたりをぽりぽりと掻いている。


「アレン、あまり偉そうな事を言うつもりは無いが、先達せんだつとして忠告しておく。お前が選ぼうとしている道は、荊棘いばらの道どころじゃない。どれ程努力しても越えられない壁が待っているかも知れないんだぞ。それでも────────」

「構いません。壁に当たったなら、ピノラと2人でその壁を越える方法を探します。そして、俺はその方法を探して今日、ここに来ました」


 俺は掌の中にある金属製のカップを強く握りしめた。
 真っ直ぐな目で、シュトルさんの顔を覗く。
 俺はピノラと出会ってから今日までの2年間、怠惰な毎日を過ごしてきた。
 努力しなかった訳じゃない。
 だが、目の前にある大きな壁にぶち当たった時、それを越えようとも、見ようともしなかった。
 このままでは駄目なんだ。
 俺はピノラを幸せにしたいし、俺もピノラと共に幸せを噛み締めたい。
 その為には、闘技会グラディアで勝つための方法を探さなければ。
 そして、シュトルさんはその方法を知っている。
 俺の意思は、絶対に折れる事はない。

 瞬きひとつせず目を向ける俺に対し、シュトルさんは暫くの間無言で睨み返していたが、ふと目を伏せると手にしたカップを置いた。
 大きく肩を上下させて鼻からため息を吐くと、やれやれといった表情で口元に笑みを浮かべた。


「……大した決意なこった。これだけ俺に文句を言われても折れないなんて、アレン……お前の頑固は筋金入りだな」


 ようやく解けた緊張に、俺も自然と笑みで返す。


「そうでもないですよ。だって、シュトルさんの真意はなんとなく伝わっていましたから」

「真意? 俺の?」

「はい。シュトルさんが今、あえてきつい言葉を俺に向けていたのは……俺が兎獣人ラビリアンであるピノラと共に歩む覚悟があるのかを確かめようとされたのでしょう?」

「はっ、俺がそんな善意のある人間に見えるのか、えぇ?」


 俺の問いかけに、シュトルさんは視線を外しながら鼻で笑って返した。
 まるでそんな事あり得ないとでも言いたげな表情。

 だが────────


「見えますよ。だって、ピノラのためにと言って出してくれた、この菓子……」


 俺は袋に入れられた獣人族用の菓子を手に取る。
 麻紐で丁寧に包まれたカラフルな袋の封を開けた。


「これ、兎獣人ラビリアンのような肉食を避ける獣人族専用のものです。人間が食べても害はありませんが、進んで食べられる味付けのものじゃない。街中でパンの欠片を要求するほど困窮しているはずの人が、人間が普段食べない菓子を家に備蓄しておくなんて普通じゃ考えられません。これは……いつか貴方の相棒だったファルルが突然帰って来てくれた日の事を思い、備蓄していたんじゃないですか?」

 獣人族は種族によって食べられないものが複数ある。
 例えば狼獣人ワーウルフ族や豹獣人パルドゥース族はある種の野菜が入った食事を摂ってしまうと、治療困難なほどの貧血症状を発症してしまう。
 これは特定の野菜に含まれる成分が、一部の獣人族の血液の成分を破壊してしまうからだと言われている。
 その為、人間族と獣人族が共に生活するようになった今の時代でも、レストランやカフェ等では獣人族向けの料理を提供するための資格が必要になっているし、こういった菓子ひとつであってもどの獣人族なら食べられるのかを明記することが義務化されているのだ。

 シュトルさんが出してくれたこの菓子には、袋の表面に『食用可』と表示された欄に並ぶ獣人種族の名前の中に、『兎獣人ラビリアン』の文字が小さく書かれている。
 逆に人間族にとっては嗜好品にするにはかなり固く、香草の香りも強いのであまり好まれない。
 今、俺が手に持っているこの菓子も、人間族の俺にしてみれば青っぽい匂いが気になる。
 ピノラは普段から豆類や果物類を中心とした食生活だが、兎獣人ラビリアンにとってはこの香りも食欲を誘うものになるのだろう。
 俺は再びシュトルさんに目を向ける。


「街から遠く便利ではないこの場所にずっと住んでいるのも、ファルルが戻ってきた時に暮らしやすいようにでしょうし……あなたに出会ってから今までのわずかな時間の中でも、遠出してきたピノラの事を何度も振り返って、気遣ってくれていました。それに…………」


 それに、だ。
 俺はやや姿勢を崩し、シュトルさんに笑みを向けた。


「シュトルさん、20年前に最強と謳われた兎獣人ラビリアンであるファルルを育て、ともに闘技会グラディアの頂点にまで上り詰めたあなたに、『兎獣人ラビリアンでは勝てない』なんて言われても、まるで説得力が無いですよ」


 俺は『バレバレですよ』とでも言うべく、シュトルさんの目を見つめた。
 俺の指摘に対し、シュトルさんはどこか面白くなさそうに、口をへの字に曲げて黙ってしまった。
 機嫌を損ねてしまっただろうか、だが俺の言葉に嘘は無い。

 シュトルさんは、今もファルルの帰りを待っている。
 そしてファルルと同じ兎獣人ラビリアンであるピノラにも、最大限の優しさを向けてくれている。
 出会ってからこんなにも僅かな時間で、それがひしひしと伝わってきた。

 そこへ、訓練所を自由気ままに走って遊んでいたピノラが近付いてきた。
 かなり遠い場所から、俺たちのいる場所まで飛び跳ねながら向かって来る。
 何やら、鼻をふんふんとさせている。
 もしかして、手に持っているこの菓子の匂いを嗅ぎつけたのだろうか。
 兎獣人ラビリアンの嗅覚、恐るべし。


「なになにっ!? 何だか良い匂いがするっ! トレーナー、それなぁにーっ!?」


 つい先ほどもアップルステーキを食べたばかりだと言うのに、ピノラは菓子を持つ俺の手に鼻を近付ける。
 人間にとっては強く感じるこの香りも、兎獣人ラビリアンにとっては美味しそうな匂いに感じるのだろう。


「シュトルさんがピノラのために出してくれたお菓子だよ」

「ふわーっ! トレーナーっ、これ食べていいの!?」

「ああ、ちゃんとお礼を言うんだぞ」 

「うんっ! シュトルさんっ、ありがとうっ! いただきまぁすっ!」


 目を輝かせたピノラは、シュトルさんに笑顔で礼を言うと、早速俺の手にあった菓子を直接頬張り始めた。
 そんな様子を沈黙して見ていたいたシュトルさんだったが……心底嬉しそうに菓子を食べるピノラがおかしかったのか、ふと表情を解し眉を上げた。
 年相応の、穏やかな笑みを覗かせる。


「ふふ、お嬢ちゃん、美味いか?」

「うんっ! 美味しいっ! 普段トレーナーと食べてるドライフルーツも美味しいけど、ピノラこれも好きっ!」

「そうかい、そりゃあ良かった。それはヴェセットにあるケーキ屋で売ってる、兎獣人ラビリアン用の菓子だ。栄養も充実していて、その上糖分や塩分も控えめだから、気に入ったならそこにある分は全部食べていいぞ」


 サクサクと音を立てて菓子を食べるピノラから視線を外し、シュトルさんは正面から俺の顔を覗き込んできた。
 先ほどまでの険しい面持ちは無く、どこかおどけたような明るい表情をしている。


「……やれやれ、あんな探偵みたいな理詰めで言われちゃ、反論のひとつもできねえじゃねえか。まるで尋問されてるような気分だったぜ」

「す、すみません。そんなつもりでは無かったのですが……」

「いや、お前の言う通りだよ、アレン。恥ずかしい話だが、俺は心のどこかでファルルがまた戻って来てくれるんじゃないかと、ずっと期待しているんだ」


 手にあったカップが空になり、シュトルさんはそれをテーブルの上に置いた。
 すぐ脇にはベルモットの瓶があるのだが、2杯目を注ぐ気配は無い。


「未練たらたらの情けない話だろ、笑ってくれ。ファルルが俺を見限って出て行ったのは何もかも自業自得だってのに、それでも俺はいつの日かあいつがふらっと現れるんじゃないかなんて思ってたんだ。だから今日……目の前にお嬢ちゃんが現れた時にゃ、びっくりしちまったよ。ファルルと同じ、白毛に赤目の兎獣人ラビリアン……まるで時間が巻き戻ったかのような感覚だった」


 そう言いながら、シュトルさんは胸ポケットに入れていたケルコの実で作られたアミュレットを取り出し、静かに眺めた。
 赤く艶やかな実の表面には劣化によるひび割れが見えるものの、今も木漏れ日を映し出し輝いている。


「────────お嬢ちゃんが、俺が着けていたこいつを見て駆け寄ってきてくれたからこそ、お前たちに出会えたんだろうな。もしかしたら……ファルルが巡り合わせてくれたのかも、なんて……そんな気分になっちまってよ」


 年齢を感じさせる手、その指先で……シュトルさんはアミュレットを愛おしそうに撫でる。
 その表情は街中で感じた粗野な初老のものではなく、往年の訓練士トレーナーらしい意思の宿った目をしている。
 俺は意を決し、背筋を伸ばしながらシュトルさんに問い掛けた。


「……シュトルさん、どうか教えてください。兎獣人ラビリアン闘技会グラディアで勝つための方法を……訓練法でも、武具の指南でも、何でも良いんです! お願いしますっ!」

「ふあっ!? お、お願いしますっ!」


 俺が頭を下げたのを見て、隣で菓子を食べていたピノラも慌てて頭を下げた。
 かなり真剣に頼み込んだつもりなのだが……隣にいるピノラが頭を下げたまま口に頬張った菓子をもぐもぐと味わっているせいで、真剣さが伝わらないのではないかと心配になってくる。
 しばらくの沈黙の後、シュトルさんはため息のように鼻から呼気を吐いた。


「頭を上げてくんな、アレン、お嬢ちゃん。俺はお前たちに頭を下げられるほど立派な人間じゃねえ」


 俺はゆっくりと顔を上げながら、ごくりと唾を飲み込んだ。
 その横で、ピノラも咀嚼し終わった菓子をごくんと飲み込む。
 満足げな顔をして笑っているピノラに少々呆れながらも正面に向き直ると、シュトルさんもその様子を見て笑っていた。


「だがこうして出会ったのも、ファルルの繋いでくれた縁みたいなもんだ。俺の持つ知識や記憶が今の闘技会グラディアで役に立つのかどうかは解らねえが……20年前にファルルと一緒に闘技会グラディアで優勝したときの記憶は、まるで昨日のように思い出せる。『・協会認定訓練士トレーナー』として、お嬢ちゃんを全力で戦える兎獣人ラビリアンにしてみようじゃねえか」

「あ……ありがとうございます! シュトルさん!」


 笑顔で快諾してくれたシュトルさんに、俺は再び深く頭を下げた。
 
 嬉しさのあまり、息が上がる。 
 見据えることのできなかった未来に、一条の光が差したような気分だ。
 横にいるピノラの顔を見る。
 ピノラはずっと俺の顔を見ていたようで、視線が合うとにっこりと笑い返してきた。
 口の周りに菓子がついたままだが、それも可愛らしい。


「えへへへ……トレーナーっ! 良かったねっ!」

「あぁ……! ピノラ、頑張ろうな!」
 

 俺は自分の衣服の袖で、ピノラの口元を拭ってやりながら笑いかけた。
 この笑顔をずっと続くものにするために……ここから一歩、踏み出そう。
 そう心の中で静かに決意をしていると、ひとつ咳払いをしたシュトルさんが口を開いた。


「さて、盛り上がっているところ悪いんだが……アレン。こっから先は具体的になにをするのか話し合うことになるが、お嬢ちゃんを闘技会グラディアで勝たせるためには、色んなもんが必要になる」

「は、はい」

最初はなっから現実的なことを言っちまえば……何よりもまず『貨幣ガルド』だ」


 急に具体的な話が始まり、俺は姿勢を正した。
 俺は無言で頷きながら、シュトルさんの言葉に耳を傾ける。


「いかに優れた訓練士トレーナーがいても、どれほど強い獣人族がいても、闘技会グラディアに向けた準備には、どうしたって貨幣ガルドが必要になっちまう。俺が20年前にファルルと訓練していた時の方法を真似るとしても、それなりの額が必要だ。アレン、お前とお嬢ちゃんは今どれくらいの稼ぎがあるんだ?」

「は、はい……その………」


 何の遠慮もない、真正面からの質問。
 いや、これから具体的な話をしていく上では必要な事だし、遠慮がちに聞き出されても面倒なだけだ。
 これくらいスッパリと聞いてもらった方が話しやすくはある。
 だが……俺は無意識に口籠もってしまった。
 それもそのはず、何故なら…………



「……正直言います。ピノラはこの2年間における計9戦で、全敗です。闘技会グラディアの賞金も、出場手当金以外は貰えた事はありません」

「はぅ…………」


 戦績を述べた俺の横で、ピノラは申し訳なさそうに俯いてしまう。
 真っ白な長耳が、ぺたんと寝てしまった。
 だが、菓子の袋は手放さないあたりがちゃっかりしている。


「いや、お嬢ちゃん、別に責めたくて聞いた訳じゃねえんだ。そんなしょんぼりしなくていい。だが……となると、1シーズンの収入はおおよそ30万から40万くらいか? じゃあ貯蓄とか、すぐに金にできそうなものは……」

「あ、ありません……お恥ずかしながら、食費も切り詰めているような状態で…………」

「そ、そうなのか。うぅむ…………まるで協会認定の訓練士トレーナーの生活とは思えねえな…………」

「はぁうぅぅ…………」


 眉を顰めるシュトルさんの言葉に、ピノラはますます俯いてしまう。


「お、おいおい、お嬢ちゃん……そんなぺったんこになるまで俯かないでくれよ……」

「あ、あの、シュトルさん。このままだとピノラが平べったくなってしまうので、勘弁してやってください……貨幣ガルドを稼げないのは、ピノラではなく俺のせいですし…………」

「いやいや、だから俺は責めちゃいないって……それに、まずは訓練に当たって何がどれだけ必要なのか話し合わんと」


 すっかり落ち込んでしまったピノラの背中をさすりながら、俺はシュトルさんに問いかけた。


「シュトルさん……シュトルさんの言う訓練には、一体どれくらいの貨幣ガルドが必要になるんですか……?」


 頭をぽりぽりと掻くシュトルさんは、ピノラに気の毒そうな視線を向けながら唸った。
 片手の指を折るようにして何かを数えている。
 暫くの間そうしていたが、ひとつ「ふむ」と声を出すと、顔を上げて俺の目を見て答えた。



「ざっと、200万ガルドだな」


 
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