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◆第3話 激励と叱責

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 ピノラは身体の不調を訴えることもなく、自分の足で控室に戻る事ができた。
 アンセーラ先生の診察のとおり、幸いにも体調は全く問題無い様子だ。
 武具を外し始めたピノラに、入場口エントランスで待っているから着替えを済ませて来るように伝えると、俺は荷物を纏めて外へ出る。
 ひとまず、大きな怪我が無くて良かった。
 俺は大きく息を吐くと、一般出入口へと続く階段を上って行った。

 関係者通路から一般出入口に出る通路は、簡素な扉一枚で隔たれている。
 大物選手になるとファンに囲まれてしまうこともあるため専用の入場口なども使えるのだが、俺とピノラの戦績ではそのような特別待遇などは無い。
 もちろん、同じ闘技会グラディアに出場する身である以上は申請すれば対応して貰える可能性はあるのだが……そんな見栄を張ったところで受付で鼻で笑われるのが関の山だ。

 階段を上り切ったところで一般通路に出て、荷物を下ろし待つ。
 すると、ほんのわずか後に階段を登ってくる音が聞こえる。
 扉が開いたと思うと、普段着に着替えたピノラが飛び出してきた。


「トレーナーっ! おまたせっ!」


 先ほどまで身に付けていた闘技会グラディア用の武具姿とは異なり、いつも着用しているお気に入りの長衣チュニックを着たピノラは、試合後だと言うのに元気いっぱいの様子だ。
 薄桃色の布地に、襟元を留める革紐のついたデザインが良く似合っている。
 お腹のところで雑嚢を抱えたまま見上げてくる顔は、年齢よりも幼く見えてしまう。


「早かったな、急がなくても良かったんだぞ。忘れ物は無いか? 書類はあとから俺が取りに来るから良いとして……」

「だいじょーぶだよっ! 元々荷物はほとんど無いから!」


 それもそうか、と納得する俺を尻目に、ピノラは笑いながら焼き鳥の匂いが漂うメイン通路へと駆けて行った。
 本当に試合後なのかと思いたくなるほどに元気ではあるのだが、試合を経て興奮状態なのは事実だろう。
 ここで無用な怪我でもされては元も子もない。
 アンセーラ先生にも今日は安静にするよう言われている事だし、ゆっくり休ませなければ……

 などと考えている矢先に、ピノラは入場口エントランスのホール中央で観客たちに取り囲まれてしまっていた。
 い、いかんいかん……ちょっと目を離した隙にこんな状態とは。
 俺は大会関係の書類の入った鞄を背負い直し、ピノラのいる場所へと駆け出した。


「おぉっ! ピノラちゃんじゃねーか! 相変わらずの1回戦負けたぁ、残念だったなぁ!」

「はぅぅ……おじさん、ありがとう~! 今回も負けちゃったよぉぉ!」

「ピノラちゃ~ん、俺なんて1回戦、大穴でキミに賭けてたんだよぉ? ピノラちゃんが負けちゃったから、損しちゃったよぉ」

「ふぇぇっ!? あ、あぅぅぅ……お兄さん、ごめんなさいぃ……」

「バッカ野郎っ! お前が賭けてたのはたった100ガルドだろうがっ! そんな金額でピノラちゃんを困らせるような事を言ってんじゃねぇええ! ピノラちゃんっ! コイツの言った事は気にしなくていいから、なっ!?」


 現役の獣闘士ビスタ、それも試合直後の選手が出てきたとあって、ホールの中央は人だかりになっている。
 そう、ピノラは常に1回戦負けの最弱獣闘士ビスタではあるものの、その愛らしい外見と親しみやすい性格もあって、戦績とは全く無関係にかなりの数のファンがいるのだ。
 毎回の闘技会グラディアのたびに初戦で敗退し、決まってこの入場口エントランスを通って帰るため、今では出待ちのファンまでいる有様である。
 獣闘士ビスタと言うより、もはやマスコットのような扱いであるのだが……ピノラのトレーナーである俺としては、この光景は嬉しくもあり悔しくもある複雑なものだ。
 本来であれば獣闘士ビスタとその訓練士トレーナーとして、戦いの様子を褒め称えられるような存在になりたいところではあるのだが、試合に勝てない現状ではそんな未来がやってくるのは望むべくもない。
 それでも、ピノラ自身がホールで話しかけてくれる人たちの事を楽しみにしている節もあるため、俺は自分の心に言い聞かせながらここを通過するのが毎回の事例となっている。

 ふと見ると、ピノラは小さな男の子に声をかけられたのか、その場に屈んで話をしている。


「ウサギのおねーちゃん……さっきやられちゃったけど、だいじょうぶ……?」

「えへへへ、うんっ! へーきへーき! おねーちゃん、こう見えて結構頑丈なんだっ!」

「ほ、ほんと……? へへ、よかったぁ……」


 満面の笑みで返すピノラに対し、男の子は心配そうな表情で彼女の顔を覗き込んでいる。


「さっき、お父さんが言ってたんだ。おねーちゃんはいつも負けてるから、そのうちひどいケガしちゃうかもって……」


 少年の発した、何気ない一言。
 その言葉を聞いて────────ピノラのみならず周囲で笑っていた観客たちまでもが凍りついたかのように無言になってしまう。

 少年のお父さんの危惧の通りだ。
 ここまでの2年間で、ピノラの戦績は9戦0勝9敗。
 さらに、その全てがKO負けという有様である。
 ハッキリ言って、闘技会グラディアで戦う獣闘士ビスタとしては今日も含めここまで大きな怪我が無かったことは奇跡に等しい事でしかない。
 不屈の戦士として毎回のように出場するピノラを応援する声もあれば……まるで結果を残せないまま、それでもピノラを戦いの場に連れ出す訓練士トレーナーである俺にも、少なくない非難の声が上がっているのも事実だ。
 そんな空気の中、人だかりに入ってしまった俺は……周囲からの様々な視線に耐えなければならなかった。

 兎獣人ラビリアンは元々、戦いを得意とする獣人族では無い。
 何百種・何千人という膨大な数の獣闘士ビスタにより築かれた長い闘技会グラディアの歴史の中でも、強さで名を馳せた兎獣人ラビリアンなど俺の知る限り1人しか居ない。
 そんな兎獣人ラビリアンであり、特に身体の小さなピノラが試合で勝てないのは仕方のない事だと、観客たちも薄々解ってはいるのだろう。

 それでも、このサンティカで年に4度開催される神聖な闘技会グラディアで結果を残せない事実を非難されるのは当然である。

 『ろくに訓練ができないトレーナー』
 『出場手当金が目当てのクズ野郎』
 『か弱い兎獣人ラビリアンの娘を痛めつけているだけの無能者』

 そんな視線が投げかけられるのだって、毎回の事だ。
 だが─────


「えへへへ、心配してくれたの? 大丈夫だよ~っ! ピノラはね、自分でこの大会に出場したくて、頑張ってるんだっ! また次の大会にも出られるように頑張るから、また応援してね!!」

「あ……うんっ! ぼく、おねーちゃんのこと、おうえんするよ!」

「はぁう~! ありがとー! ありがとねぇぇ!」


 ピノラがそう言って男の子の手を取ると、両手で包み込んで握手をした。
 男の子は少し照れたような顔をしていたが、それ以上に周囲にいる大人たちが大人気おとなげない顔をし始めたのが目に入る。


「ぬあああああ!? ボウズ、ズルいぞ!? ピノラちゃんっ、俺も応援してるんだ! 握手してくれよぉ!」

「やめろコラァ! お前の揚げパンの油まみれの手で、ピノラちゃんに触ろうとするんじゃねぇーッ!」

「あぁ!? ならテメェは酒臭え息でピノラちゃんに話しかけるんじゃねぇ! ピノラちゃんの鼻がひん曲がっちまうだろうがぁぁ!」


 いかん……あれは熱狂的なファンだ。
 ピノラは可愛らしい見た目であるが故に、マスコットを通り越してアイドルとして熱烈な声援を送ってくるファンもいる。
 そういった連中の一部は少々度し難い行動に出る事があるため……そういう輩からピノラを守るのも、トレーナーである俺の役目であるのだ。
 無駄に盛り上がるホール中央の人だかりに、俺はやや強引に割って入って行った。


「ピノラっ、そろそろ帰ろう! 皆さんも、今回も彼女を応援して頂き、ありがとうございました」

「ふあっ、トレーナー! そうだね、そろそろ帰ろっか!」


 俺のほうにぴょこんと向き直り、ピノラは耳と尻尾をつんと立てて答えた。
 揉み合いになっていた熱狂的ファンの塊からは、『えぇ!?』と悲鳴のような声が発せられる。
 せっかくの時間を中断され、周囲の観客から更に冷たい視線を送られるだろうな、と腹を括っていたところ……


「……なぁ、ピノラちゃんのトレーナーさんよぅ」


 ひとりのファンの男性から声をかけられた。
 その表情はどこか暗く、憐憫を感じさせるものだった。


「は、はい? 何ですか?」

「いやな……あんた達の事だから、どうせ次の闘技会グラディアも出場するんだろ……?」

「今のピノラちゃんも可愛いけどさ、やっぱり俺たち……ピノラちゃんが試合に勝って喜ぶところが見てェんだよ」

「頑張ってくれよ、兄ちゃん。あんた……2年前に新聞に載った、最年少で認定訓練士トレーナーになった『天才訓練士トレーナー』なんだろ?」

「これ以上、ピノラちゃんが傷つくのを見るのは辛いわ……お願い、トレーナーさん。ピノラちゃんのこと、強くしてあげてよ……」


 次々に投げかけられる、激励の言葉。
 いや、これは激励ではない。
 訓練士トレーナーである自分が、ピノラを立派な獣闘士ビスタとしてエントリーさせられていない事への、不甲斐なさに対する叱責だ。
 もちろん、言葉を発している人たちにはそんな事を言っているつもりはないだろう。
 だが、彼らが発する言葉はどれも、俺の心に突き刺さっていく。
 結果を残せない現状を打破できない俺を、打ちのめす。

 解っているんだ。
 ピノラが試合に勝てないのは、俺のせいだ。
 兎獣人ラビリアンという種族の特性も、効果的な戦術も、最適なトレーニングも知らない。
 兎獣人ラビリアン獣闘士ビスタ自体が稀な存在のため、誰かに聞くこともできない。
 
 これなら、冷たい言葉を投げられた方がマシなくらいだ。
 眉を顰めた観客たちに囲まれ、下を向いてしまっていた俺だったが……
 ふと、右手が温もりに包まれる。


「……ね、トレーナー? おうち、帰ろ?」


 顔を上げると、ピノラが心配そうな顔をして見上げていた。
 宝石のような美しい赤い瞳に、俺の呆けた顔が映り込んでいる。


「え、あ……あ、あぁ。そう、だな。……皆さん、ありがとうございます。次こそは……頑張りますので……それでは」

「じゃあ皆っ、ばいばーい!」


 俺はピノラに手を引かれるように闘技場を後にした。
 突如、背後から大きな歓声が上がる。
 これは……恐らく開催中の1回戦第3試合の声援だ。
 俺と、ピノラに向けられたものではない。

 きっとホールに居た観客たちは、俺たちの背中を今も見ている。
 ため息を吐き、肩をすくめ、首を横に振りながら見ているに違いない。
 俺は、振り返ることができないまま闘技場を出た。
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