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転落への軌跡  ※ 琢己×一博 SMプレイあり ※

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 二〇〇〇年十月四日。その晩は月の明るい夜だった。
 琢己が『久しぶりに親子水入らずで、月見酒としゃれ込むか』と、離れ座敷に誘ってきた。

 離れ座敷に出向くのはあの日以来だった。
「たまにはこういう和服もいいぞ。オレのを貸してやる」
 一博は、半強制的に着物を着せられていた。
 琢己はカスリの着物という、屋敷内でのいつもの出で立ちである。恰幅がある体躯に和服が映える。

「よく似合うじゃないか。一博。日本男児はやはり和服だな」
 縁側に立って目を細める琢己は、確かに父親の顔だった。

「ここは静かでいい」
 障子を開け放し、秋の色が濃くなった庭を眺めながら、親子二人で日本酒を酌み交わす。
 酒や肴はすでに十二分に用意されていた。

 琢己が、父親風を吹かせて、あれこれ話し掛けてくる。
 
 微妙に的外れな訓示や慰撫の言葉は、虚しいばかりである。
 一博は適当に返事をして聞き流した。

「秋の夜長という。虫の音に耳を傾けながらじっくり呑むか」
 取り付くシマが無いと感じたらしい琢己は口をつぐんだ。

 静寂が辺りをおおう。
 母屋の庭からしし脅しの音が時折響いてくる。
 虫の音が細々と彩りを添えていた。本格的に虫の音がかまびすしくなるのはこれからである。
 手入れが行き届き、人工的な色彩が濃い母屋の庭と異なり、離れの庭は後方の山と地続きだった。雑木林の延長で、野趣に富んだ風情がある。
 琢己に風雅さ、繊細さは無さそうだったが、それでもこの庭に安らぎを感じているらしい。

 ススキの穂が揺れる。クヌギの葉が歌う。
 月明かりが二人の長い影を照らす。
 親子の語らいはそのまま静かに終わるはずだったが……。







 琢己は一博から視線を離せなかった。
 黙って酒を口にする一博の横顔は凄艶だった。頬がこけ、やつれた面差しは、一博に房枝の面影を重ねたあの夜とはまったく別人だった。
 あのときとはまた違った意味で心を強く揺さぶられた。

 秘め事は、一度だけ。そういう約束だったが……。

 あれから色々な出来事が起こった。少しの間に、一博は成長し格段に男らしくなった。
 男としての色気が加わった。

 和服なので、あぐらをかくと、ちらりと脛が見える。
 身じろぎするたびに白い太ももがチラリとのぞき、一博は癇性な手つきで着物の乱れを直す。
 動き自体は男らしくきびきびしているが、骨格も筋肉も女性的にできているため、独特の動きになる。
 女のようではないが、かといって、こんな動きをする男が他にいるだろうか。
 琢己は潤を思い浮かべた。

 潤は男であって、男でしかない。
 だが……。
 一博は性別を超越している。
 一博は一博であって、他のいかなる性別でもない。

 思考は、次第に邪欲に侵され始める。
 琢己はさらに酒をあおった。酒がまわるとともに、理性のタガがはずれていく。

 房枝の代わりではなく、一博を一博として抱きたい。
 琢己はそう思うに到った。


 もともと琢己は、男色に抵抗がない。
 強い男が自分の強さを相手に知らしめる。
 征服し屈服させるという意味で、むしろ誇らしい行為だと信じてきた。
 自分も少年の頃、大本組長に手ほどきを受け、大きく成長した今は逆の立場になって潤を支配している。

 昔の武家と同じである。戦場に妻を同道できないため、戦国武将は小姓を脇にはべらせて愛でた。
 小姓は敬愛する強い男から薫陶を受け、一人前の男へと成長し、立派な武将になる。それは古来からの美風だった。


 問題は、血を分けた実の親子であることだった。


 この前は、つい魔が差した。一度だけと手を出してしまったが……。
 あのときの一博の誘いは、あまりに自然だった。
 一博は経験豊富で、軽い意味しかないのだろうと、自らに言い訳しつつ応じた。
 だが、すぐに、自分が一博にとって最初の男だと気づいた。
『一博は、決意を持ってこのオレに体を委ねた』と解し、もうこれきりという誓いを守るしかないと考えた。
 その後お互い平然を装い、二度と機会がないままに今日まできた。

『過ち』はそのまま二人の胸の中に留めれば良かった。
だが……。

 目の前の一博の姿は、琢己の中の本能を理性という胎内から引きずり出した。
 酔いは、自己中心的解釈を誘う。

 一度きりと言った手前、自分からは切り出せず、オレが手を出すのを待っているのか。そういえば、今も……。
 目を射るように白い太ももが、時折チラリと見えることも、偶然ではない。
 一博が話す少しかすれた柔らかな声も、媚を含んでいる。
 秋の風が心地よく吹き渡り、一博のからだから漂う湯上りの匂いが、琢己の鼻腔をくすぐった。




 

 だが……。
 一博の思いは、まるで他にあった。
 二年前のあのとき、一博は体が乾いていた。
 入院中、禁欲生活だから、淫欲は極限まで高まりを見せていた。

 潤のあの夜の様子が、ずっと頭から離れずにいた。

 ケツに、ホンモノをねじ込まれたらどんな具合なんだろう。
 好奇心から、大人のオモチャを試し、かなり快感を得られるようになっていた。だが、二十三歳にしてまだバック・バージンだった。

 退院し、自由の身になったとき、ほんの好奇心で琢己を誘った。
 ビッグな相手が良かった。それには、釈光会会長釈光寺琢己がピッタリだった。それだけである。

 琢己のほうが、親子ということに抵抗を感じて断るかと思ったが、スンナリうまくいった。
 一博にすれば、『これである意味、オヤジに貸しができた』くらいにしか思っていなかった。

 一度だけなんて勿体つけて言ったのを真に受けたのかな。あれきりもう誘ってこないところをみると、オヤジのやつ後悔してんだろーな。
 一博は琢己との一夜など、スッカリ頭の片隅に追いやってしまっていた。

 経験したあとの一博は、本能のままやり放題だった。
 舎弟に抱かれるのは、上下の示しがつかないのでまずい。一博は素性を隠し、一夜限りの経験を重ねていた。遊びは一度きりの割り切った関係だった。

 いずれ、オヤジを蹴落としてオレが天下を取る。
 そういう意味でも、琢己に何らかの情を抱くようになるのも怖かった。

 あれはあれで一夜きりだから美しい。
 美しい自分が琢己の中に生き続けるのだ。


 親子水入らずで酒を酌み交わすなんて、時代錯誤なオヤジらしいことだ。
 ほっといてくれりゃいいんだ。どうせ自分で解決するしかないんだ。
 そう思いながら、すすめられるままに盃を重ねていた。

 義理でここまで付き合ったんだ。そろそろお開きってことにしてくれないかな。
 思いながら、琢己のために水割りのお替りを作ろうとしたときだった。

       

「一博」
 突然琢己のごつい腕に、手首を握られた。
 「オヤジさん。冗談はやめてくださいよ」
 一博は他人行儀にやんわりと拒絶した。
「一博、そのつもりでいるんだろ?」
 琢己が抱き寄せようとする。
「オヤジさん、あのとき一回きりって約束だったじゃないですか」
 抱き寄せられた拍子に、着物の襟元が乱れた。

 なで肩なため脱ぎ下げになり、くっきりと浮き出た鎖骨や、首の付け根から肩へのラインが顕わになる。
 きめ細かな白い肌が、意思とは無関係に、琢己を誘っていることを自覚した。
「一博、オレはオマエを可愛く思ってるんだ。これだけ心配している。な。わかるだろ?」
「オヤジさん。あの夜の約束を反古にするんですか?」
 一博は素早く着物の乱れを直した。

 それからは、押し問答になった。

 一度も二度も大差はない。
 これからはこういう機会を作らぬように気をつければ、この一回で済む。
 そういう大人な判断もできるはずだった。
 だが、一博も意地になった。酒も入っている。
「やめろ!」
 琢己の頬を思い切り拳で殴った。


 極道社会における上下関係は絶対である。
「何をする! 『オヤ』に向かって!」
 琢己は烈火のごとく怒り出した。
「何がオヤジだ! オヤジオヤジというならオヤジらしくしろ!」
 一博も激しく罵った。

 そこからは、力同士のぶつかり合いだった。
 もう『オヤ』も『子』もない。
 空手の技を駆使して、本気で琢己を攻撃した。
 それを受けて、琢己の闘争心に火がつく。

 両者、伯仲した戦いだった。
 だが、酒を飲み出すと底なしな琢己との差が勝敗を決した。
 一博は、散々暴力を振るわれたうえ、着ていた着物の帯で、ぎりぎりと縛り上げられ、琢己に何度も犯された。





      
 多角形に張り巡らされた縄が一博の身体を淫らに飾る。
 亀甲縛りで緊縛された裸体を汗が伝う。
 体を這う縄が若い肉に食い込む。
 畳の上に転がされた一博を、芸術作品を鑑賞するように、ゆったりと視姦したあと、琢己はおもむろに手を触れてきた。

 今夜も儀式が始まる。優しくそして手荒に……。
 


 一博はたびたび離れに呼ばれるようになっていた。
「この前は悪かった。オマエがあまりに抵抗するものだからつい……」と、言いながらも、琢己は、一博を緊縛し、SM趣味を強要した。
 そんなセックスが嫌でたまらない。
 だが、意思に反して肉体は喜びを感じていた。

 SMプレイは、刺激的で快感も半端ではない。
 日ごろSな一博は、逆に被虐の楽しみもよくわかる。
 強く美しい自分が辱めを受け、責められる光景を、俯瞰でながめて刺激を受けるもう一人の自分――メビウスの輪のように快感の波が、一博の内部を還流した。
 しかも感度が抜群で、性的欲求も強い。
 誘われれば、離れを訪ねてしまう毎日になった。

 琢己は、一博の感じている様子に、『いやいやいやも好きのうちとはよく言ったものだ』と解して、ますます一博にのめりこんでいった。

 琢己は、他人の目がある場所では、今までと変わりなく振舞っている。
 だが、『忍ぶれど、色に出にけり…』である。
 一博は、自分にそそがれる情欲の眼差しに辟易した。

 一博は危惧した。
 潤は、とっくに気づいているに相違ない。
 すました顔をしていても、心の中では一博に嫉妬している。

 オヤジを取り合う恋敵というわけか。

 感情を出さない潤を見るたびに、心は複雑だった。
 潤と目を合わせることも、意識しないとできなくなっていた。


 肉体の欲求だけに引きずられて、こんな関係をズルズル続けることは間違っている。
 今までのオレからすれば、全く考えられないことじゃないか。
 それもこれも、英二の一件で精神的に弱くなっていたせいだ。
 このままでは潰れてしまう。
 肉欲のためだけに、唯々諾々として琢己に従う弱い自分が、次第に許せなくなってきた。


 イヤだとなると、とことんイヤになる。
 琢己を憎く思うようになるのに時間はかからなかった。

 こういう状態が長くなれば、組内で、二人の関係を察する者がでてくる。
 時間の問題である。そのことが、さらに一博を追い詰めた。

 単なる男同士の契りなら、どうということはない。
 だが二人の場合、近親相姦である。しかも……。
 琢己のSMプレイの相手をさせられていたことまでバレた場合……。
 一博は焦りを募らせていった。


 オレは後継者じゃなくて、まるでイロだ。
 とうとう我慢の限界に来た。



 オヤジを抹殺してやる。
 一博は決心した。

 みんなオヤジが悪いんだ。オフクロに今も未練たっぷりなら、あのときカタギになって一緒になりゃ良かったじゃないか。そうすれば……。
 房枝は一博を可愛がったはずだ。こんなに歯車は狂わなかった。

 全ての元凶は、自己愛の塊の釈光寺琢己である。
 恨みは黒い滓となって、一博の心深く沈積していった。
 
 
 だが……。

 一博が手を下すとなると、容易ではなかった。
 外出時は護衛の組員が張り付いている。屋敷内では多くの人目がある。目撃した組員を皆殺しにするとしても、一人くらい、取り逃がすことは十分あり得た。
 
 一博は、策をねり始めた。
 ゆっくり考えて、実行に移せばいい。それまでは我慢だ。

 当面の目標ができたことで鬱状態から抜け出せた。
 空手の練習や筋トレにも力が入り、体重も徐々に回復していった。

 あの日、英二の病室の前で、房江が見せた、憤怒に満ちた般若のごとき顔を夢に見ることも減った。
 英二のことは『きっと回復する。その日まで十二分にサポートするのみだ』と前向きに考えられるようになった。

 邪魔なオヤジを消して、全てを自分の物にする。
 それは日向潤をも自由にできるということではないか?
 オヤジという飼い主がいなくなれば、頑なだった潤も、この俺に忠誠を誓ってくれるに違いない。
 一博は、潤を手に入れる、自分が潤の支配者となる甘美な夢想に酔った。
      
 
 だが、おいそれと、組長殺害の好機は到来しなかった。

 
 そんなある日の午後、義父倉前正雄から呼び出しの電話があった。
「一博、久しぶりだね」
 声のトーンは、相変わらず、もの静かで気弱だった。
 英二の容態が急変したかと狼狽したが、そうではなく、
「ともかく会いたいんだよ。会って直に話すことがあるんだ」の一点張りである。

 金の無心に違いない。金なら十二分に出しているのに。
 房江が、気の弱い義父に『こんなじゃ足りないから、あなた、談判して来て』と命令したに違いない。


 一博は、愛車のポルシェ911Carrera4クーペを自ら運転して、指定された場所に向かったが……。
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