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第七章 皇女編
皇女編7話 ローゼの日記
しおりを挟む昨日は久しぶりに充実した一日だったように思う。
人間を研磨する砥石はやはり人間なのよ、とは母様の言葉だ。
母様の言っていた事の意味が少しだけわかったような気がする。
人間を磨きたいなら、広い世界を見て、色んな人に会い、様々な考えに触れる必要があるんだ。
トーマ少佐は言った。スティンローゼ・リングヴォルトが皇女として生まれた事は変えられない。
でも、ボクがどう生きるかは変えられるって。
………正確には、変えられるかも、だけど。
たぶん、トーマ少佐は断定的にモノを言うのが嫌いな人なんだ。
断定するって事は自分の意見が正しい、認めろって事でもあるのだから。
あの人は自分の考えが絶対に正しいとは思わない人なのだろう。常に疑問を持っている、自分自身に対しても。
少佐の人となりは、自分の正しさを信じて疑わないタイプの人達ばかりに囲まれて育ったボクには新鮮だった。
広い世界には、ああいう人もいるんだと、ボクは学んだ。
だから今日から日記を書くことにした。学んだ事、大切な事を忘れない為に。
「ローゼ様、私はやはり中止すべきだと思います。」
アシェスは心配性だ。戦場の剣林弾雨に全く臆する事がないと称えられる守護神も、ボクの事には至極慎重で、言いようによっては臆病とも言える。
「アシェス、前線への慰問は前々から決まっていた事です。突然中止などすれば臆病の誹(そし)りは免れません。」
「しかしローゼ様、当初の予定では私とアシェスが同行するはずでした。私達が同行出来なくなった以上、中止すべきかと。」
ボクの事となると臆病になるのはクエスターも同じだ。
「帝国の旗のもと、命を懸けて戦う兵達を鼓舞する事は王族としての義務です。私が臆病風に吹かれて慰問を中止しておいて、どの口で兵達に言うつもりなのですか? 命を賭して戦え、と。」
「全く皇帝陛下も無茶を仰るものだ!慰問は予定通りに行え、帝国外の者の手を借りる事はまかりならぬ、などと。」
アシェスは憤慨するけれど、父上の考えもわからなくはない。
「父上、いえ、皇帝陛下は、外部の人間の手を借りれば帝国に人なしと広言する事になる、とお考えなのでしょう。」
「体面とローゼ様のどっちが大切かなど言うまでもないでしょう!」
アシェスの憤慨は収まらない。だけど、今まずい状況なのはボクではなくアデル兄様だ。
「アデル兄様のいる戦線を支えねば、兄様自身の御身も危ういかもしれないのです。ただの慰問と戦線の維持、どちらが重要かは、それこそ言うまでもないでしょう?」
「帝国騎士団副団長である叔母上がついていながら何をやっているのか。甥御の私の手を借りたいなどと!」
クエスターも腹正しげだ。でもアシュレイ副団長が悪いのではないと思う。
「クエスター、いかな名剣も使い手が悪ければナマクラと変わりません。おそらく兄様の指揮に問題があるのでしょう。」
「………しかし……」 「………ローゼ様……」
「アシェス、クエスター、私の身を案じてくれるのは嬉しい。ですが兄様を助けてあげて。王族の血を引く者は兄様と私だけではありません。外戚の者達が虎視眈々と次期皇帝の座を狙っているのです。それに………皇帝陛下の命に背けば、いくら二人が伯爵の身内でも………」
父上は自分の命に背く者には容赦しない。誰であろうとだ。
暗い表情の二人に、ボクは精いっぱいの笑顔を作って言ってみる。
「大丈夫。ほら!今日は「ボク」ではなく、ちゃんと「私」で通せているでしょう。いつまでも頼りない子供ではありません。だから………大丈夫!」
これが詭弁、なのかな。本当は不安で仕方がないよ。
………ボクは一人じゃなにもできないってわかってるから。
「剣聖、守護神ほどではありませんが名のある騎士を揃えました。ローゼ様の身に万一の事などありません。ご安心なさいませ。」
慰問予定の基地へ向かうヘリの中でサビーナはそう言って、ボクを励ましてくれる。
「そうですね。帝国騎士団には優れた騎士がたくさんいます。私はなにも心配はしていません。」
「ウフフッ、クラウス殿が是が非でも同行すると強情を張られたのには、閉口しました。」
………なにやってるの、クリフォード。まだ安静にしなきゃいけない体でしょ!
「クリフォードにも困ったものですね。サビーナ、家庭教師のあなたにまで同行させてしまって申し訳ない気持ちです。」
「ローゼ様、私の剣の腕はご存じでしょう? 曲者が出ても私の剣で成敗してみせますわ。」
「ありがとう、サビーナ。頼りにしています。苦労をかけてずいぶんになりますね。」
「私などローゼ様にお仕えしてまだ3年の若輩、剣聖殿と守護神殿は10年にもなるのでしょう?」
………母様を亡くしてもう10年になるんだね。
母様は臨終の床でアシェスとクエスターにボクの騎士になってくれるよう頼んでくれた。
二人は母様の遺言を守って、ずっとボクの騎士として、ボクの為に戦ってくれている。
ちょっと怒りっぽいけど女性として、ボクのお手本になってくれる白銀の盾アシェス。
ちょっと控え目で、優しくボクを見守ってくれる兄のような黄金の剣クエスター。
母様はいなくなってしまったけれど、ボクにかけがえのない遺産(レガシィ)を残してくれた。………ありがとう、母様。
あ!クリフォードを忘れてる訳じゃないんだよ!うん、クリフォードはボクの叔父さんだからね!
ちょっと頼りない叔父さんだけど♪
慰問予定の基地は全部で3カ所。より前線に近いところから順に、帰路に沿って慰問していく計画らしい。
慰問予定は極秘で、訪問先にも直前になってからしか知らせないとの事だ。
受け入れる側は大変でしょうけれど、機密保持の為にはやむを得ないのです、とサビーナが説明してくれる。
ボクの搭乗している王族専用のヘリの四方を、護衛の大型軍用ヘリが囲み飛行していく。
そしてボクを乗せたヘリは、最初の慰問予定の基地の中庭にあるヘリポートに着陸した。
太陽がもう沈みかけているのに、基地の中庭周辺には沢山の兵士さんが集まってボク達を歓迎してくれた。
「ローゼ様、手を振って応えてあげてください。」
サビーナに促されたボクは、騎士達の隊列に守られながらだけど手を振ってみた。
手を振るボクに、口笛とクラッカーで応えてくれる兵士さん達。
………慰問に来てよかった。こんなボクでも皇女っていうだけで役に立ててる。
基地の管制塔からのぼりが垂れ下げられている。
「スティンローゼ姫、オクタゴン陸戦基地へようこそ!」
いかにも急ごしらえで作りましたって感じののぼりだけど、それだけに気持ちが伝わってくるよ。
ボクは大きく息を吸い込んで、
「みなさんありがとう!本当にありがとう!」
集まってくれた兵士さん達みんなに聞こえるように大声でお礼を言って、力いっぱい両手を振った。
「ローゼ様、大声を出して両手を振るなど、淑女(レディ)としてあるまじき………」
歓声とクラッカーの爆音で聞こえないもん。お説教は後でゆっくり聞くから、ね。
ボク達は基地司令に挨拶をした後、基地司令の案内で将校さん達と一緒に会食した。
「基地の食堂のお料理もおいしいですね。」
ミザルさんのごはんとは比べるべくもないけど、ちゃんと食べられる料理だった。
「皇女様、今日は特別メニューなのですよ。普段はもっと不味いのです。」
向かいに座った基地司令が苦笑しながら教えてくれる。
そうなんだ。やっぱり戦地では苦労してるんだね。
この基地は帝国出身の兵士がほとんどなのだそうで、焼きソーセージとザワークラウトが人気メニューらしい。
食堂で歓待を受け、兵舎を慰問して回った後に、司令棟に用意された区画で就寝の準備をする。
公邸の寝室に比べると広さは半分もなく、ベットも固い。
でもこの部屋がこの基地で一番いい部屋なんだろう。
羽毛の入っていない布団を被り、ベットに横になる。
布団とベットの肌触りの悪さが、ボクがいかに恵まれた生活をさせてもらっているかを思い知らせてくれるよ。
感慨に耽るのは慰問を終えてから。目覚ましアプリをセットして、明日に備えて早く寝よう。
明日の朝には次の慰問先へ出発しないといけないのだ。
シャワーも浴びたし、日記も付けた。やり残しはないはずだ。
明日はどんな出来事がボクを待っているのだろう。楽しみになってきたよ。
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