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第五章 懊悩編
懊悩編20話 続 時雨さんは料理が出来ない
しおりを挟む※前回同様少し作風を変えています。次回からカナタ視点に戻します。
「追加の軍鶏肉を持ってきましたよ。」
白い調理服に白布を頭に巻いた鳥玄の女店主、玄馬が時雨部屋にやってきた。
玄馬氷雨(げんまひさめ)は2番隊の中隊長であるが、趣味がこうじて開いた焼き鳥屋「鳥玄」の店主でもある。
無論、店に立つのはガーデン滞在中に限られるのだが。
元は違う名であったが、時雨にあやかり氷雨と改名した時雨の信者でもあり、焼き鳥屋でありながら軍鶏鍋も提供するのは敬愛する時雨の為である。
鐙と同様に敬の文字が抜けているかもしれないが。
「玄馬さんは気が利きますね。注文しようと思っていたところでした。」
鐙は軍鶏肉を積まれた皿を受け取り、手際よく肉を鍋に補充する。
「鐙さんほどじゃないですけど。馬鞍さんがいらっしゃったんですから、肉は足りないでしょう。」
「ふぃでにみぢゅもほってひてくれ。びーりゅへもいい。」
「馬鞍さん、七味唐辛子を器ごと大量に食するとは豪傑ですね。」
「ふぉんなわけありゅかぁ!くわはれひゃんだぁ!」
「余計な事を仰るからでしょう? 口は災いの元ですよ。仲居さん、ビールを持ってきて。」
どうやら鬼道院馬鞍に味方はいないようであった。
「そういえば修理さんがお見えになってますね。珍しくお一人で。」
それを聞いた時雨は気遣わし気な顔になった。
修理は一人で外へ飲みに出るような性格ではない。
なにかあったのかもしれない、あったとすればホタルが絡んではいまいか。
話を聞いてやった方がよいやもしれんと時雨は考えた。
「そうか、修理が一人でな。折角だ、ここへ呼ぼうか。」
仲居さんの持ってきたビールでようやく唐辛子地獄を脱した馬鞍が、面倒くさげな顔でボヤく。
「修理をかぁ? アイツの小言をツマミに飲めってのかよ?」
「それは馬鞍が小言を言われるような事ばかりしておるからではないか。」
「言っとくがな。時雨、ガーデンで修理から小言をもらってねえのは、オメエだけなんだよ。」
時雨は意外そうな顔になった。鐙も修理から小言などもらった事などないだろうと思っていたからだ。
「鐙も修理から小言をもらった事があるのか?」
話を振られた鐙は時雨から目を逸らしながら、
「ええ、まあ、一応……」
鐙が言葉を濁したのには訳がある。
修理からもらった小言は、時雨に関する小言だったからだ。
曰く、鐙さんがあまりにも、なにからなにまで時雨さんの私生活の面倒をみてしまうから、時雨さんの家事スキルが壊滅状態になっているのです。
時雨さんの女子力向上の為にも、ただ面倒をみるだけでなく家事を教えてみては如何なものか、と。
修理はそのような内容の忠告を、時雨の人格と生き様を褒め称えつつも、鐙に説いたのである。
しかし鐙はその忠告を黙殺した。修理の言い分は至極もっともなのだが、鐙にとって時雨の面倒をみるのは生きがいであり、楽しみであり、心の癒しである。
いけないいけないと思ってはいるのだが、禁じられた遊びこそやりたくなるのが人情というものだ。
かくて鐙は今日も甲斐甲斐しく時雨の世話を焼き、剣術以外にさほどの取り柄はない時雨は鐙に甘える、そんな関係が今日(こんにち)まで続いている。
鐙を助けるかのように氷雨が、
「でも途中からお友達が見えられたようですよ。ほら、この間から局長がお弟子にされた……」
「ああ、彼方か。修理とは仲がよいようだ。フフッ、おかしなものだな。性格はまるで違うのに、えらくウマが合うらしい。」
「仲居の仲居竹さんが注文を取っていましたが、食べ物の好みも正反対みたいです。」
凄腕アルバイターは仲居竹さんという名であった。
仲居竹極はあらゆる飲食店のバイトを極めた凄腕アルバイター、妹である希の学費を捻出すべく、今日もバイトに精を出す健気な女性である。
「あの正反対の二人がどんなお話をしているんでしょうね。性格的に水と油の二人ですのに。」
鐙の目には彼方と修理の関係は奇異に映っているらしい。
「水と油は相性は悪かねえよ。混ざりにくいダケで混ざっちまえば最高の相性なんだ。エマルジョンがなんなのかは知らんがな。」
「えまるじょん? 馬鞍、えまるじょんとはなんだ?」
料理にとことん疎い時雨は馬鞍に問いかける。
2番隊隊士で料理人でもある氷雨が馬鞍に代わって答える。
「水と油を混ぜる触媒になるものです。例えば水と油に卵を加えて混ぜ合わせればマヨネーズになります。」
「なんと!そうだったのか!うん、マヨネーズはいい。最高だな。」
時雨はマヨラーでもあるらしかった。料理下手にはありがちな話ではあるが。
「なあ時雨、オメエもかろうじて、遠慮しながら、隅っこの方に、こっそりとだけど女の範疇にいるんだろ? マヨネーズの作り方も知らなかったのかよ?」
鐙が薬味の紅葉おろしの容器を手にしたのを見て、慌てて馬鞍は口を手で覆う。
鐙はジト目で馬鞍を牽制しながら、
「卵は1番隊でしょうね。本来、水と油のお二人が1番隊で共に戦う仲間となって、エマルジョン効果が起きましたか。良い事です。」
「うむ、会話の内容が少し気になるな。氷雨、後で聞こえた話だけでも教えてくれんか? 修理も彼方になら悩みがあっても話すだろう。客が引けてきたらそれとなく様子を窺ってくれ。」
「了解です。仲居さんに頼んでみますね。場合によっては看板の時間も遅らせますから。」
「頼む、だがくれぐれも……」
「はい、他言は致しませんしさせません。ご心配なく、仲居竹さんはバイトのプロですから。」
ツッコミ体質である馬鞍がツッコミを入れる。
「プロのバイトって言葉は変じゃねえか? それに立ち聞きは感心しねえぞ。覗き趣味は男にだけ許された特権だ。」
「………馬鞍さん、ウチの特製紅葉おろしはとっても辛いですよ?」
氷雨は氷の微笑を浮かべながらそう言った。
槍術の達人、鬼道院馬鞍と言えど2番隊の女剣客三人に三方から囲まれたのでは万事休すである。
怖え怖え、男ってのは男のまんまだが、女って生き物は場合によっちゃあ女狐になる。
挙げ句にゃ鬼にも悪魔にもなれっからな、とフェミニストが聞いたら卒倒しそうな独り言を心中でつぶやく馬鞍であった。
氷雨が再び時雨部屋に姿を現したのは、看板の時間を1時間ばかり過ぎてからだった。
「仲居竹さんが言うには、お二人の会話はほとんど三下話だったそうです。」
「三下話?」
時雨は童女のようにキョトンと首をかしげた。
日頃の凜とした姿とのギャップに萌え尽きそうになる鐙だったが、懸命に自分を叱咤し、我を保つ。
「多分、下らない、下品、下世話の三つの下で三下、でしょう? 殿方の好きそうなお話です。」
「はい、それで………お客が引けて二人だけになってから、ホタルさんの話題が出たようです。詳しく聞くべきではないと仲居竹さんは判断したそうで、内容までは分かりません。」
「うん、それでいい。二人の内々の話だ。ホタルの話題が出た事だけ分かればよい。」
シメの海苔ワサビ梅干し鯛シャケ茶漬けをかき込む箸の手を止め、時雨は頷いた。
「すり鉢みてえなドンブリでごってり具をのっけた茶漬けとか、野暮もいいとこだな。茶漬けじゃなくて邪漬けじゃねえか、それじゃ。」
確かに茶漬けとしては邪道である。しかし2番隊隊士にはそんな道理は通じない。
「局長のなさる事が正義なのです。幼少の頃からのお付き合いだというのに、馬鞍さんには左様な真理がまだお分かりにならないのですか?」
「鐙、お付き合いとか気味の悪い言葉を使わないでくれ。馬鞍と私はただの腐れ縁だ。」
「へいへい、おっしゃる通りで。しかし修理の奴、ホタルと喧嘩でもしたのかねえ。アイツらこそキングオブ「おまえらさっさと結婚しろ」カップルだろうに。あ、俺にもイクラ茶漬けを頼む。」
馬鞍の台詞を聞いて時雨は渋面になった。
時雨だけが知る、いや愛弟子カナタとリリスも知るところとなったホタルの秘め事。
純情な修理はまだそこに思いが至らないようだが………心の距離を詰めようとすれば、いずれは気付くだろう。
分かっている。ずっとこのまま隠し通せる訳もない。
親友真璃火もホタルのカナタに対する態度を不審に思い始めたようだ。
私が沈黙を守ろうとも、必ず露見する時がこよう。
………どうすればいい………私はどうすればいいのだ………
「なんだ、時雨。不景気な面しやがって。」
馬鞍の声で懊悩の海から引き上げられた時雨は、胸中のさざ波を悟られまいと懸命に言い訳を考える。
だが壬生時雨は言い訳を考えるのが、料理よりも苦手だった。
生まれ落ちてから24年、一度たりとも言い訳などした事がない壬生時雨である。
慣れない事が得意なはずはない。当然の帰結として言葉に詰まり、言い淀む。
「あ、ああ。うん。………そのだな………わ、私とした事が……」
「した事が………なんだってんだ?」
「………私とした事がだな………い、いくら考えても答えが………イクラ考えて?………そうだ、イクラだ!………イクラの存在を失念していたのだ!なんたる不覚!鮭をのせるところまで至っておきながら、鮭の卵たるイクラの存在を失念するとは!………これでは折角のゴージャス茶漬けも、画竜点睛を欠くというものだ。いやはや、まだまだ私は未熟。………修行が足りぬようだ。」
「どんだけ食いしんぼキャラなんだよ!海苔にワサビに鮭に鯛、ついでに梅干しまでのっけてんじゃねえか!その上にイクラまでのっけたらよ、もう茶漬けじゃなくて海鮮丼になっちまうだろそれ!!」
ここまでボケられると時雨の表情の曇りに不審を抱く前に、馬鞍は全身全霊でツッコまざるを得ない。
馬鞍のツッコミ体質を逆手にとった見事な切り返し。
流石は返し技を極めた女、壬生時雨。そこまで計算………した訳もない。
「馬鞍さん、お言葉ですが海鮮丼にはマグロも必要です。」
鐙がほうじ茶をズズッとすすりながら冷静にツッコむ。
頭上に豆電球をパッと灯した馬鞍はポンと手を打ちながら、
「そうそう、マグロに鮭にイクラ、赤い海鮮食材の御三家が揃ってこその海鮮丼だよな!」
「料理人として言わせて頂きますと、海鮮丼には御三家に加えて有頭エビにイカ、さらにハマチかカンパチを加えますね。そこまで揃えてこそ海鮮丼かと思います。馬鞍さんも修行が足りないようで。」
バクラに追い打ちをかけながら、氷雨が軍鶏鍋の出汁をタッパーに移す。時雨の明日の朝食はおじやなのだ。
おじやは消化によく、即、エネルギーになるので剣客の朝食には最適である。
「だねえ、俺も修行が足りねえなぁ。有頭エビを加えりゃグッと豪華さが強調できらあな。そこに色鮮やかな赤の御三家に端正なイカの白が添える色調のコンストラクト、トドメにハマチの脂身の強い味が加わってそりゃもう………って違う!そうじゃねえ!!」
鬼道院馬鞍は一人ボケツッコミ体質でもあるらしかった。
女三人は馬鞍を包囲してさらにボケ倒す。狙った獲物は確実に仕留める。
アスラ部隊第弐番隊「凜誠」の真骨頂ここにあり、である。
先陣は玄馬氷雨、2番隊の斬り込み隊長たる氷雨の晴れ舞台だ。
「脂身はハマチではなく大トロでも加味出来る、と仰りたいのでしょう?」
「あ、ああ。大トロの海鮮丼も………って、ちが……」
弐の太刀は時雨。ここに奇跡が舞い降りた。ボケる時はいつも天然の壬生時雨が意図的にボケたのだ。
優曇華の花が大輪の花を咲かせ、鬼道院馬鞍に大ダメージを負わせる。
「馬鞍、私は大トロより中トロのが好きだ。大トロは脂身の味が強すぎて、いささかバランスが悪い。剣術同様にバランスは重要だぞ。お主も剣で身を立てる者ならば、中トロのように中庸を重んじ生きるがいい。」
「剣術かんけーねーよ!俺は槍術使いだって知ってんだろ!そ、そうじゃなくて………」
槍一筋に生きる荒武者馬鞍は紙一重で持ちこたえ、なんとかツッコミをいれようとする。
しかし馬鞍を待っていたのは無情の参の太刀。鬼の副長、弩鐙のトドメのボケであった。
「流石は局長、私も中トロのほうが好きです。明日の昼食は中トロのお寿司に致しましょう。馬鞍さんにも作って差し上げますわ。中トロのお寿司を、マグロと舎利(しゃり)抜きで♡」
「ま、マグロと舎利抜きの寿司だとぉ………それってよぉ………」
この三連撃の前にはアスラ部隊きっての傾き者、豪傑馬鞍と言えど持ちこたえる事は不可能だった。
否、誰が堪えきれるというのだろうか?
鬼道院馬鞍は最後のツッコミをいれる。それは断末魔の悲鳴だった。
「それただのワサビじゃねーか!!!!」
※優曇華の花 三千年に一度咲くという空想上の植物。とても珍しい事の例えに使われます。
知ってる方も多いと思いましたが、あまり使われない表現なので一応表記しておきます。
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