Dark Night Princess

べるんご

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揺らいだ世界のその先へ

さようなら

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 宿に到着してからも、ルナは休息を忘れてずっと思い悩んでいた。
あの時は話す時じゃないと思った、それは確かなのだが、逆にいつがその時だと言えるのだろうか。
もう二度と会えないかも知れない母親と話せる機会を無駄にしてしまいたくない、だが話す決心が付かない。


「どうしたらいいのかな、私……」


 あの女性からしてみれば、名刺から読み取れる情報以上に自分を知っていて、初対面の筈なのに何故か自分を親と呼ぶおかしな少女でしかない。
普通に考えれば、気味悪がられたり警察を呼ばれたりするのは自然な流れだろう。

 ルナの母親について考えているのは、ルナだけではない。
クラリスとオーギュストは、あの母親に対しての疑念を持っていた。


「あの女性、多分気付いているわよね?」


「……同意見ですな」


「いくら世界が修正するとしても、それは非常に歪なもの。どこかに必ず穴がある。彼女はその穴をいくつも見付けて、それを組み上げた結果として、遂にここを探り当てたのよ」


 二人は母親が、ルナが自分の娘であると間違いなく気付いていると考えている。
根拠があっての話ではない、振る舞いを見ての直感だ。

 クラリスは何かを決心すると、ルナへと声をかけた。


「あの女性と話してみなさい」


 予想に反するクラリスの言葉に、ルナの眼が丸くなる。


「あなたの母親は、あなたが娘であると気付いている。それを示す物的証拠があるわけでも無いけれど、向こうも多分同じ条件で……あなたとの接触を求めている」


 クラリスの言葉に対して、ルナは喜びよりも困惑の方が強く感じられてしまう。
あれほど必死に止めていた姿が嘘のようだからだ。


「で、でも……」


「ルナは必ず後悔する。話したとしても、話さなかったとしても。……でも、今を逃して話せなくなってしまった後悔よりも、話して後悔する方が……ずっとマシだと私は思う」


 ハッキリと告げられた、必ず後悔するという言葉。
どちらに転んでも痛手を負うという、甘さの欠片もない道。
だがその二択なら、彼女にとる道は一つしかない。

 携帯電話に番号を打ち込み、返答を待つ。
七回のコールの後に、眠っていたのか思い悩んでいたのか、暗そうな声で母親は電話に出てきた。


「一度、あなたとお話しさせてください。明日、午後九時頃に……この街の東にある小さな公園で、会ってください」


 勇気を振り絞って口にした願いを、電話の向こうの母親は快く了承してくれた。
望んでいたはずなのに、ルナの面持ちは暗い。


「何を話すか、決まってるの?」


「……まだ、なんにも。でも、私があの人の……お母さんの子供だってことは、言ってみるつもり」


 それからの時間は長かった。
まるで一分が何十年という長さに引き伸ばされたかのような錯覚さえ、彼女は覚える。
眠ろうとしても寝付けず、ようやく眠りについたところで、緊張や不安によって眠りはすぐに妨げられてしまう。


「私だったら……やっぱり、あの子のようになってたのかな」


 普段とは違いすぎるルナを見ながら、自分がもし両親と再会できるならと夢想する。
きっと自分も、今のルナと同じように全く眠れないだろうし、他のことにも手がつかないだろう。
この先何百年、何千年と生き続けたとしても、それが変わるとは到底彼女には思えない。

 両親は自分が吸血鬼となっていること、そして無数の命を奪ってきたことを、深く悲しむだろう。
だが、だからといって生き方を変えるつもりも、戦いから遠ざかるつもりもない、彼女には守らなければならない家族が増えているのだから。


「オーギュストは、どう?あなたは私達と違って、生まれながらの怪異。感覚は違ったりする?」


 しばらく悩んだ彼は、首を横に振った。


「怪異であったが故に、死や別れに対する覚悟は恐らく大きく異なります。人間ほど深く悲しむことも、人間ほど別れを惜しむことも、本来の私には考えられなかったことかも知れません。……でも今の私は、随分と人間に近くなった」


「もし私が死んだら、涙と鼻水をだらっだらに垂らして阿鼻叫喚しないと許さないから。惜しみ方が足りなければ、何度でも甦って死に直すから」


「……そのような脅し方をされたのは、初めてでございます」


 どれほど時間の流れを遅く感じようと、いずれその時はやってくる。
三人は一時間も早く指定していた公園へと足を運び、ルナの母親を待とうとする。


「あっ……」


 しかしその公園には、もう既に母親は着いていた。
思い詰めたような、酷く硬い表情でベンチに座っている。

 クラリスとオーギュストは物陰に身を隠し、ルナだけが彼女に声をかけに行く。
ルナに気付いて顔を上げた彼女は、少しだけ笑みを見せていた。


「もう、待っててくれたん……ですね」


「えぇ、もう……待ちきれなくて」


 母の隣に座ったルナの表情も硬く、二人の間に流れる時間は重い。


「あなたのお名前、聞いても?」


「……美月、ルナと言います。美月家の、一人娘です。同姓の別の美月さんではなくて、あなたの家系の……あなたご自身の一人娘、です」


 ルナは真っ先にその事実を口にした。
母親は驚くようなそぶりも見せず、納得したような表情を浮かべてその言葉を受け止めた。


「私には、産んだ記憶の無い子供がいたの。間違いなく、その子は女の子。この間調べてもらって、自分が子供を産んでいたことを初めて知ったの」


 残酷過ぎる、断絶の事実。
ルナは思う、どうせ繋がりを消してしまうというのなら、何から何まで徹底的に消してしまって欲しかったと。
中途半端に残してほしくなかったと。


「でもね、最近……あなたがよく、私の前に現れるの。声も聞こえる、紛れもなくあなたの声が。……何かに引かれるような気がしていたわ、遠く離れた北欧にまで飛んだ時に。……初めまして、私のルナ。産んだことも覚えてないダメなお母さんで……ごめんね?」


 堪えていたものが弾けて、耐えきれなくなって、ルナは母親をついに抱きしめる。
もう不可能だと思っていたはずの再会を、母娘は大声を上げて喜び合う。


「ごめんね、ごめんね……。こんなお母さんで、寂しかったよね……」


「そ、そんなことないよ!どこに行ったかもわからない私を、お母さんは見つけてくれた!こんなに遠く離れていた場所にまで、お母さんは来てくれたじゃん!ちっとも酷くないよ、ちっとも悪くないよ……!」


 ルナはこれまでにあったことの全てを母に語って聞かせていく。
自分が命を一度は失ってしまったこと、そして吸血鬼になったこと。
ホテルの従業員見習いとして働いていたこと、ヘラジカが大好きになったこと、危険な存在に命を狙われたこと、かけがえのない親友ができたこと、全てを。
母は一つとして疑うことなく、その話を聞いている。
初めて出会った娘の話を、どれほど突飛なことでも真剣に。


「ねぇ、ルナ。あなた、日本に帰ってこない?せっかく再会できたのだから、一緒に暮らしましょう?あなたのお父さんも居るし、あなたの部屋も……ちゃんと、あるから」


 それは、ルナが最も望んでいたであろう申し出。
また家族に戻って生活できるという、当たり前であったはずなのに遠くなってしまった理想。
どれほど願おうと決して叶うことはない、そう諦めかけていた暮らしが、今まさに目の前にある。
だが――


「……ごめん、お母さん。私はお母さんに、本当は……お別れを言いに来たの」


――彼女はもう戻れないことを、理解していた。


「さっきも言ったように、私はもう人間じゃなくなっちゃったの。今の私はもう、お母さんやお父さんとは一緒に……暮らせないよ」


「どうしてそんなことを言うの……?あなたは私の大切な娘なのよ?何から何まで……あなたに合わせるに決まってるじゃない。だから――」


「ごめんね、お母さん。私は二人の事が今までも、これからも変わらず、大好きだよ。でもだからこそ……二人の負担にはなれないの」


 ルナは背を向け、母から数歩離れて振り返る。


「私を思い出してくれてありがとう、お母さん。でも私は、それだけで幸せなんだよ。これからもどうか、お元気で。それとこんな……こんな親不孝な娘で、ごめんね」


 走り去っていくルナの背を、母の呼ぶ声が突き刺していく。
今すぐにでも戻りたい、一緒に日本へ帰りたい、そんな思いが捨てられるわけがない。
だが人間とは全く異なる生活を送らざるを得ないだけではなく、自分と生活することで家族を危険に晒したくないという想いが彼女にはある。
吸血衝動に抗えなくなる自分が、自分を狙って現れるかもしれない怪異が、それによって深く傷つき命を落とす両親の姿が、彼女には耐えられるはずもない。


「ごめんね……ごめんね、お母さんッ……!」


 血が出るほど唇を噛み締め、大粒の涙を零しながら彼女は走り去る。
家族には幸せに生きていてほしい、そんな誰もが持っているであろう願いがあるが故に選択した、別れ。
彼女は必ず後悔するだろう、だが共に暮らすことを選択した時に襲い掛かってくるであろう後悔と自責の念に比べれば、ずっとずっと今の方が幸せだ、彼女は自分にそう言い聞かせて遂に、母の前から姿を消した。
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