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第一部
ナーガ王国
しおりを挟む「ナーガ王国から、ですか?」
ある日の朝、三人で食事をしていると、近々隣国から王族の者たちが来訪すると話があった。
「ナーガ王国と我が国は南の国境が隣接していて、昔から友好関係を結んでいるんだ」
現在、ナーガ王国には王子が三名、そして十六歳を迎えたばかりの王女がいる。可能性として考えられるのは、王女の戴冠式を前にレラージェを王配として迎えるための根回しと思われた。
「セレナと言うんだけど、彼女とは王族同士というのもあって何度か交流があったんだ。だから結婚相手に僕の名が挙がっていたのは知っていたけど……、まさかこんなに早く動くとは思わなかったな」
こちらとしては、ソフィアが無事に五歳を迎えるまでは返答のしようがなかった。それに今はもう真希の夫である。
「どうせ僕の結婚の話を聞いて、セレナが騒いだんだろう」
レラージェと真希の結婚は、一部の者を除いてまだ公にはされていない。おそらくどこかの筋から得た情報と思われた。
もとより王族にとって世継ぎの問題は重大だ。男女比の件もさることながら、年齢や立場的にも釣り合いが取れる二人が婚姻を結ぶのは、両国にとって非常に好条件だ。
そこに身元不明の女性と結婚したなどと聞いたら、黙っていられないのは当然だろう。レラージェはまだ話してくれないが、真希との結婚を押し進めたのには何か理由があってのことだろう。
「レラージェ、お前が何を企んでいるのか知らないが、マキを巻き込むのだけはしてくれるなよ」
「分かってるよ。だがこうなった以上、顔合わせは避けられない。まぁ、向こうとしてもことを荒げたくはないだろうから、大きな騒ぎにはならないだろう」
真希としては出来れば蚊帳の外にいたかったが、どうやらそういうわけにはいかないようだ。ようやくレラージェへの気持ちに気付くことが出来たのに、なかなかすんなりといきそうになかった。
「とりあえず、マキはソフィアとの時間を一番に考えていてほしい。セレナの問題は僕の方でなんとかするから」
そう言われてしまえば、真希としては頷く他ない。国と国とのパワーバランスを前に、出来ることなど何もないのだから。
*
数日後、ソフィアと真希が勉強をしていると、ナーガ王国の一行が到着したとの知らせがあった。
国賓を出迎えるのは王族のみと決まっている。レラージェはもちろんのこと、ソフィアも参列するので今日の勉強はお休みだ。騎士団長であるアルマロスも警備に駆り出されているので、この日は珍しく誰も居なかった。
久しぶりの一人の時間は思った以上に寂しかった。絵画を描く気にもなれず、真希は鬱々とした時間を過ごしていた。その理由の一つに、ナーガ王国から来ているという王女とレラージェのことがあった。
既にレラージェは真希と結婚している。初めは形だけだったけれど、今ではお互い思い合っている。とは言っても、まだ自分の気持ちを彼に伝えられてはいないが。
真希は唯一出歩くことを許されている庭に出た。花がこぼれんばかりに咲いているそこは、まるでお伽噺に出てくるような場所だ。テラスに置かれた椅子に座って、ひとりぼーっと景色を眺めていた。
すると、どこからかガサガサと草をかき分ける音がした。音のする方に目を向けると、剪定された茂みの向こうから一人の少年が現れた。
褐色の肌に、刈り上げられた銀髪をした彼は、ラベンダー色のゆったりとしたロング丈の服を着ている。腰巻きは黒みがかった深い紫色で、ボトムスは白。首にかけられた煌びやかな首飾りがとてもよく似合っていた。そんな彼は、驚きを隠せない表情で真希を見つめている。
(ここって確か出入禁止の場所なはずなんだけど……、警備兵じゃなさそうだし誰だろう)
「「…………」」
しばらく目が合ったまま固まってしまったが、先に視線を逸らしたのは彼の方だった。
「ご、ごめん! 駄目だと言われて……いや、そうじゃなくて、ひとめだけでもと……」
彼はしどろもどろに言いながら、真希に視線を向けては逸らしたりと視線が泳いでいる。見たところ十代半ば頃だろうか、思春期の入り口と青年の間にいる年頃と思われた。
言動がやや挙動不審だが、暴漢の類いではなさそうなので真希は声をかけてみることにした。
「もしかして、道に迷われましたか? 誰か人を呼びますので、道案内を……」
「いや、必要ない。僕はただ……その……」
モゴモゴ話すせいで、最後の方は聞き取れなかった。いつまでもこうしているわけにもいかず、真希はどうしたものかと考えた。
肌の色や民族衣装のような出立ちからして、国外から来たのかも知れない。
(もしかして、今来ているナーガ王国の人?)
そうだとしたら、失礼なことをするわけにはいかない。真希は立ち上がると彼にもう一つの椅子をすすめた。
「こちらこそ気が利かずにすみません。どうぞこちらにお掛けください」
少年は一瞬迷う仕草を見せたが、チラチラと真希の方を見ながら近づいて来ると、向かいの椅子に座った。お茶を入れたいところだが、人を呼ばないよう食い気味に言われたので、もてなすものが何もない。
「マキと申します。失礼ですがお名前を教えていただけますか」
「あ、僕の名前はラウム、ナーガ王国の第三王子だ。そうか、貴方が……」
真希の予想どおり、彼は隣国の王子だった。それにしても、来賓客がこんなところで油を売っていて良いのだろうか。確か出迎えの後は、重臣たちとの顔合わせや王室での挨拶などがあったはずだが。しかし真希の方から聞くわけにもいかず、とりあえず外向きの笑顔でこの場を凌ぐことにした。
「突然こんな形でごめんなさい!この国に稀人が現れたと聞いて、お目通りをお願いしたんだけど、なかなか良い返事がもらえなくて……」
「稀人って……ナーガ王国にも異世界から来た人がいるんですか?」
もし同じようにこっちの世界に来た人がいるのなら是非会ってみたい。淡い期待を抱いて聞いてみたが、数百年前にいたという残念なものだった。
「稀人は必ず女性で、それは美しく、黒い髪と目をしていると伝えられているんだ。眉唾ものと思っていたけど、まさにその通りだ」
「いえいえ、確かに髪も目も黒いですけど、美しいと言うのには語弊があるかと……」
「そんなことない!貴方はどの女性よりも綺麗だ」
彼は本心からそう思っているようで、真希は居た堪れない気持ちになった。確かにここの人たちは皆北欧系の顔立ちをしている。だから東洋系の顔は目新しく見えるのかも知れない。そう考えると納得できた。
「もし貴方に会えたら、これを渡そうと思っていたんだ」
そう言って差し出されたのは一通の手紙だった。封には封蝋印が押されている。ラウム殿下は真希が受け取るのを見届けると席を立ち、満面の笑みで来た道を戻って行った。
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