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第一部
来訪者
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真希はアルマロスの言いつけを守って部屋で大人しく過ごしていた。レースのカーテンが風に吹かれてヒラヒラと揺れている。今は春なのだろうか、柔らかい日差しがとても心地よい。
最近の真希は、もっぱら絵を描いて過ごしていた。仕事一色だったかつての生活から、まるで逆転したような心安らぐ毎日。
そんな彼女に、アルマロスは画用紙とチャコールペンをプレゼントしてくれた。この世界には鉛筆というものが存在せず、チャコールという木炭で作られた棒状のペンシルを使っている。
今日は花瓶にいけた薔薇を描くことにした。窓辺に置いて角度を調整したら、深呼吸をして神経を研ぎ澄ます。雑念を取り払えば真希の世界には何も存在しなくなる。苦しみも悲しみも孤独な心も、束の間忘れてひたすら被写体に心を傾けた。
誰もいない静寂の部屋。そよ風が音もなく真希のこれまでの作品を散らした。そのうちの一枚が宙を舞って窓の向こうへと消えていく。だが絵の世界に没頭している真希がそれに気づくことはなかった。
*
一方その頃、アルマロスは客間で来訪者の応対をしていた。
「久しぶりに顔を見に来てやったっていうのに何だよその仏頂面は」
黄金色の髪を軽く横に流した美男子が、優雅な手つきで紅茶の入ったカップを傾ける。オフホワイトのトラウザーズに、上は華やかな織り柄のトップス。レースのクラヴァットが彼をより一層美しく見せていた。
「城で嫌ってほど顔を合わせているだろう。それよりレラージェ、ここに来た用件は何だ」
「用件というか……まぁ、最近付き合いが悪いから何かあったんじゃないかと思って様子を見に来たんだよ。あれだけ仕事人間だったお前が、最近は定時にさっさと仕事を切り上げて帰宅するそうじゃないか。他の奴らも何かあったんじゃないかと心配していたぞ」
アルマロスは心の中で舌打ちした。マキを外界から守るために細やかな心配りをしていたつもりだったのに、自らの至らなさのせいで厄介ごとを呼び寄せてしまった。
(今はまだ真希の存在を知られるわけにはいかない。形だけとはいえ、ようやく俺との結婚を受け入れてくれたんだ。波風を立てることは避けたい)
今アルマロスの向かいにいるレラージェという男は、この国の王子だ。
とはいえ、長子でありながら王位継承権は二位。なぜなら王族は代々女系だからだ。
女性の継承者がいない場合に限り、男子が王位につくことが認められている。王女には現在四歳になる娘がいるのだが、ちょうど病にかかる危険な年齢を迎えていた。
そのため彼の行く末は、この女児の生死によって大きく左右されるのだった。
「別にこれといってない。ちゃんと毎日業務にあたってるんだ、文句を言われる筋合いはない」
「まあまあ、そう刺々しく当たるなよ。何もないのならそれに越したことはないんだから」
二人は、幼い頃に両家の親たちによって引き会わされた。
公爵家の嫡男であるアルマロスが、将来レラージェを支える存在になることを望んでのことだった。寄宿学校では学友として切磋琢磨し絆を深めていった。十二歳になるとアルマロスは騎士の道を、レラージェは帝王学を学ぶため、それぞれ別の道を歩むことになる。
今ではアルマロスは騎士団長として、レラージェは第二王位継承者としてこの国を支えていた。
「それよりも、隣国に放った諜者がきな臭い情報を入手してきたんだ」
レラージェの話によると、ここ最近幅を聞かせている窃盗団が、攫った女性を他国に売り飛ばしているというものだった。足取りを追ったところ、どうやら向こうの王族が絡んでいる可能性が出てきたのだと言う。
「それが事実だとすると厄介だな。大ごとになる前に鎮火させないと国際問題になりかねない。これについて陛下は何と?」
「今の段階では何とも。尻尾を掴んで現場を捕らえるのが一番なんだが……」
(相手が相手なだけに大っぴらに動けないか……)
話を終えたレラージェは、いとまを告げてコカビエル家の屋敷を後にした。ところが迎えの馬車がまだ玄関先に到着していないようだった。そこで彼は息抜きに庭を見てまわることにした。
束の間くつろぎの時間を楽しんでいると、一枚の紙がひらひらとレラージェの足もとに落ちてきた。拾って見ると、それは見事な風景画だった。
「一体誰が……」
飛んできた方向に目を向けると、開かれた窓の向こうに黒髪の女性の姿が見えたような気がした。
*
「……ほ、本当にそうなんですか?」
「ああ、本当だ。私たちは結婚するのだからね」
「でもアルマロス様、ちょっとこれは恥ずかし過ぎます」
「アルだ。結婚するのだから様もつけなくていいと言ったはずだよ」
ここ数日、アルマロスと真希は似たような会話を繰り返していた。まだ市民権を取得していない真希とはまだ形だけの結婚だ。ところが、彼の中では違うようだった。
二人は今、いつもの様に朝食を共にしている。以前は向かい合う形で席についていたのが、結婚を決めた途端、彼の膝の上に座ることになった。極めつけには、アルマロスが食事を口まで運んで食べさせるという、真希にとっては羞恥プレーと言えるような事になってしまっている。
「せめて自分で食べますからっ」
「駄目だ。私たちは結婚するのだから、食事は毎回こうしてとるものなんだ」
「うぅ……」
アルマロスは事あるごとに “結婚するのだから” と言って世話を焼こうとした。そう言われてしまうと、真希は逆らえなくなってしまう。けれども、これでは羞恥のあまり食事どころではない。真希は何度も交渉を試みた。けれども彼が是とすることはないまま真希が折れる形で決着がついた。
結婚を承諾してからというもの、アルマロスとの物理的な距離が目に見えて近くなった。食事の件をはじめ、朝の見送りと帰宅の際の出迎えは頬にキスをしている。今までは、エスコートの際は差し出された彼の腕に手を添えるだけだったが、結婚の申し込みを受けてからは指を絡めたいわゆる恋人繋ぎに変わった。
(こんなの恥ずかしすぎる!! これからどうなっちゃうのぉ)
羞恥に悶える真希をよそに、アルマロスは上機嫌な様子で真希を構いまくった。とりあえず今のところキスは頬にだけだし、寝る時はそれぞれ別の部屋なので一線は超えていない。
*
そんなある日、真希が自室にいると、突然下の階が騒がしくなった。何やらセバスと何者かが揉めているようだった。家主であるアルマロスは朝から仕事でいない。セバスの声とは別に響く声は、男性の様だ。そして、騒がしい声はどんどん真希の部屋の方に近づいて来ているようだった。
(どうしよう、誰か分かんないけど見つかったらヤバいよね……)
真希は隠れるところがないか部屋の中をぐるりと見渡した。浴室、クローゼットの中、ベッドの下、カーテンの裏など、ベタな場所しか思いつかない。いよいよ音がすぐそこにまで迫って来た。真希は咄嗟にベッドの下に潜り込んだ。それと同時に部屋のドアが勢いよく開けられる。
「…………」
しーんと沈黙が落ちた。真希は口に手を当てて声を潜めた。やがてコツコツと誰かが部屋の中に入って来る足音がした。
「……見間違えるはずがない。確かにこの部屋だった」
「殿下、どうか落ち着いて下さいませ。すぐにご主人様をお呼び致しますゆえ、どうぞ客間の方へ」
セバスの声を無視してガチャリとクローゼットの扉が開けられる音がした。
「女性もののドレス……。セバス、これはどういう事だ。アルからは何も聞いていないぞ」
(殿下!? 今殿下って言ったよね? ってことは王族の人!?)
先ほどから、声の主は部屋の中を見て回っているようだ。真希は緊張で胸がドキドキした。ジッと息をひそめて隠れていると、殿下と呼ばれた人物がベッドに近づいて来たようだった。立派な靴が真希の目の前まで迫り、ピタリと止まった。そして次の瞬間、金髪の若い男性がベッドの下を覗き込んだ。
「っ……!!」
「やあ、こんにちは。かくれんぼはもうおしまいだよ。いい子だから出ておいで」
美しい顔がニコッと笑って手を差し伸べた。こうなった以上は出て行くしかない。真希は観念してベッドの下から這い出た。
着ていた薄緑色のドレスをはたいて皺をなおし、目の前にいる殿下と呼ばれた男性に目を向ける。
「漆黒の目と髪とは珍しい……それにこの国の者じゃなさそうだ。セバス、どういうことか説明をしろ」
彼は真希から目を離さないまま、後ろにいるセバスに問いかけた。しかし、セバスは一言「私からは何も申し上げることは出来ません」と言って、深く頭を下げた。
その状況に、真希はなす術もなくただ立ち尽くすことしか出来なかった。
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