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第一部
全ての始まり
しおりを挟む新幹線で二時間半、そこから市営バスに乗って揺られること四十分。終点で下車すると、そこは山間の集落だ。舗装されていない道を、小型のスーツケースを引いて歩く。
程なくすると、ポツポツと民家が見えてきた。古い木造の家々を通り過ぎ、歩くこと約二十分。ようやく目的地である藁葺き屋根の小さなお寺が見えてきた。
「ごめんください。住職さんはいらっしゃいますか」
引き戸を開けて土間に入ると、法衣を着たひとりの老人が笑顔で迎え入れてくれた。
「これはこれは日高さん、よう来てくれました。戸を閉めんとスースーするから、こっちにお上がりなさい」
「ありがとうございます。お邪魔する前にお墓参りを済ませて来ますね」
真希はスーツケースを戸口の隅に置くと、駅前で買った花と線香を持って裏手の墓地へと向かった。両親が眠る墓石に花を添えて線香をあげ、目を閉じて手を合わせる。
二年前、両親が交通事故で帰らぬ人となった。祖父母も既に鬼籍に入っているため、もう真希には身内がいない。
都内の中小企業で働いていた真希は、両親亡き後、寂しさを紛らわすように我武者羅に働いた。それでも結局3年で退職。孤独に押し潰されそうで、心身共に限界だった。
そして今日、両親にその報告をするためにここまでやって来た。
居所に戻ると、住職が食事の支度をして待っていてくれた。囲炉裏の前に置かれたお膳には、シンプルな一汁一菜。ミニマリストの真希には十分なご馳走だ。
「いろいろすみません。一晩お世話になります」
「ご苦労様でしたね。今晩はゆっくり休みなさいな」
この辺りは交通の便が悪く、最寄駅までのバスは日に一本しか出ていない。そのため、墓参りする際はここに泊めさせてもらっていた。交通の便を考えると大変ありがたく、今回もお言葉に甘えて一晩お世話になることにした。
そして翌日、住職に別れの挨拶を済ませると、真希はスーツケースを転がしながらバス停までの道のりを歩いた。
ところが暫くして、真希はバス停がどこにも見当たらないことに気がついた。
「あれ、もしかして通り過ぎちゃった?」
うっかり見逃してしまったのかと思い、真希は来た道を引き返すことにした。ところが、いくら歩いてもやはりバス停は見当たらない。ようやく、おかしいことに気づいた真希は、立ち止まってショルダーバッグから携帯を取り出しスクリーンを確認した。
「やっぱりこんな奥地じゃ圏外だよね……困ったなぁ」
これでは誰とも連絡が取れない。もうずいぶん歩いたはずなのに、バス停どころか民家さえ見当たらなかった。
真希は横道のない一本道をひたすら歩いた。幸いにも、歩きやすいローヒールのパンプスを履いていたので足が痛むことはなかった。それでも何時間も歩き続ければ、足取りも重くなってくる。
(どう考えてもおかしい。また来た道を戻ってみる?いや、でもここに来るまで確かに何もなかったはず)
木々の隙間から空を見上げると、いつの間にか黄昏時を迎えていた。真希の脳裏に『遭難』の二文字が浮かぶ。
「いやいや、まさかそれはないでしょ」
この道を通ったのは、これが初めてではない。そもそも、一本道を歩いていたのだから、迷うなんてあり得ない話だった。とにかく立ち往生してしまう前に、ここを通り抜けてしまいたい。
真希は大きく深呼吸をすると、再び歩き出した。
しかし、そんな希望も虚しく日は暮れて辺りは暗闇に包まれた。細まった道は、いつの間にか獣が通るようなゴツゴツした道なき道に変わっている。半日近く歩き続けた真希の脹脛はパンパンで、ちびちび飲んでいたボトル水はもうほとんど残っていなかった。
幹を背に、ズルズルと座り込んで真希は呆然とした。携帯の表示は今も圏外のままだ。
(どうしよう……。確か遭難した時は、無闇に動かない方がいいって聞いたことがあるけど……)
十月の夜は思った以上に寒く、ベージュのトレンチコートだけでは厳しかった。
考えた末に、ここで夜は開かせないと判断した真希は、疲れ切った身体に鞭を打って立ち上がると、スーツケースを握る手に力を入れて再び歩き出した。
「あっ!」
その直後、スーツケースが木の根にぶつかってキャスターが外れてしまった。
「嘘でしょ……」
真希はヘナヘナとその場に座り込んだ。もう動けない。そう思った瞬間、今まで堪えていた感情が涙となって溢れ出た。なんで、どうして。いろんな感情がごちゃ混ぜになって、真希の頬を涙が伝う。
「どうしたらいいのよぉ。くすん……、ん?」
ふと、視界に何か見えた気がした。目を凝らしてよく見ると、遠くの方にぼんやりと明かりが見えた。
「明かりだ!」
次の瞬間、真希はスーツケースを抱えて走り出していた。
*
おぼつかない足で時折つまずきながらも、微かに見える明かりを目指して歩を進めていると、やがて目の前に洋館のような立派な邸宅が見えてきた。これで漸く遭難を免れた真希は、安堵でまた泣きそうになった。
どうやら今いる場所は屋敷の裏にあたるようで、ぐるりと周って正面に向かうと手入れの行き届いた庭があった。剪定された庭木と並んで、カラフルな花たちがそこかしこで美しく咲いている。
ほんのひと時、その光景に見惚れている時だった。背後から緊張を孕んだ固い声が響いた。
「何者だ!」
飛び上がるほど驚いて後ろを振り向くと、そこには背の高い黒髪の男性がいた。険しい表情の彼は真希を見た途端、目を見開いた。そんな彼に、真希はあることに気がついた。
(日本人じゃない……外国の人?)
日が暮れた薄暗い庭先で、窓から漏れる明かりを頼りに彼を観察する。彫りの深い顔に、力強いまっすぐな眉、無造作に下ろされた黒髪から覗く瞳はワインレッドのような深い赤色をしていた。
男性は足早に近づくと辺りを見回し、何か問いたげな眼差しで真希に話しかけた。
「女性が一人こんなところで何をしている。夫たちはどこで何をしているんだ」
「……はい?」
今彼は夫たちと聞いてきた。“たち” とは、どういう意味なのだろうか。困惑する真希を見て、彼も対応に困っているようだった。
「とりあえず中に入ろう。話はそれからだ」
そう言うと、男性はついて来るよう真希を促し正面玄関へと向かった。中からドアが開くと、燕尾服を着た老齢の男性が私たちを出迎えた。彼は真希を見て一瞬驚いた顔をしたが、すぐ表情を元に戻して「おかえりなさいませ」と挨拶をして頭を下げた。
広々とした玄関ホールは吹き抜けになっており、煌々と輝くシャンデリアが天井から吊るされていた。大理石の床には落ち着いた色味の絨毯が敷かれてあり、その向こうには二階へと続く幅の広い階段が緩やかなカーブを描いて続いていた。
豪華な内装に気を取られていた真希が視線を感じて振り向くと、黒髪の男性が食い入るように真希を見つめていた。明るいところで見た彼はとても背が高く、よく見れば軍服のような服装をしていてとても存在感があった。
彼の強い眼差しに、真希は心の奥底をのぞかれているような気がして落ち着かなかった。
「セバス、こちらの客人を客間にまで案内してくれ。私は一旦着替えてくるから、貴方は私が戻るまでそこに居てほしい」
真希が頷くと、セバスと呼ばれた人が真希の代わりにスーツケースを持って案内してくれた。
品のある部屋に通され、真希はレトロなデザインのカウチに腰をかけた。紅茶と思われる温かい飲み物を出されたので、お礼を言って頂くことにした。
しばらくすると、着替えを済ませた彼が姿を現した。彼はローテーブルを挟んだ真向かいに座ると、真正面から真希を見つめた。
「私の名はアルマロス・コカビエル。この屋敷に住んでいる。貴方の名前を伺っても良いだろうか」
「日高真希です。日高が姓で、真希が名前です」
なぜあの場所に居たのか尋ねられた真希は、信じてもらえるか不安だったが包み隠さず本当のことを話した。アルマロスは真希の話に耳を傾けながら、考えを巡らせているようだった。
「……つまり貴方は独身で、まだ夫は一人もいないと」
「一人も? ……え~と、そうですね、独身で今は恋人もいません」
それを聞いたアルマロスは、膝に肘をつくと額に手を当ててため息を吐いた。真希は先ほどから会話が噛み合っていない気がして不安を覚える。どうやら彼は、真希が夫も護衛もつけずに一人でいたことが信じられないようだった。
「貴方の話からして、恐らく貴方は異世界から来たものと考えられる。過去の文献にいくつか書かれてあるのを読んだことがあるので間違い無いだろう。私はニホンという国も、貴方がいた町の名前も一度も聞いたことがない」
「い、異世界……? それって、ここは地球じゃなくて別の星ってことですか?」
混乱する真希に、アルマロスはこの世界について話をした。現在自分たちがいるハスデヤ王国は王政国家で成り立っており、アルマロスが治めるコカビエル家は公爵の位を持つ貴族だった。
また、三十年ほど前に原因不明の疫病が全世界を網羅し、多くの女児が命を落とすという未曾有の危機に直面した。それによって男女の比率が大きく傾き、危惧した国王は女性保護に乗り出して一妻多夫を義務付けたというものだった。
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