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10.炎の目《5》
しおりを挟むきっとうちは流れちゃったんだろうな、と思っていたので、依然としてそこに残っていたのが意外だった。我が家の無事を確認後生島家にも行ったが、どこも壊れてないし乱れてもいない。車が二台ともないので、おじさんもおばさんも留守のようだ。鉄哉もまだ合宿から帰ってきていない感じだった。
途中国道を走るのに飽きて脇道に入って迷ったせいか、夕方になっていた。とりあえず着替えよう。鍵は瓦礫の下に埋まってしまったが、もしものときのために予備を庭に隠していたのだ。隅に積み上げていたレンガをどかして土を少し掘り、鍵の入ったビニール袋を取り出した。
着替えをすませ、木崎さんに会いに行った。彼女の家がある一帯に近付くにつれ、畳を外に出し、室内の泥をかき出したり床を水で洗い流したりしている家が増えてきた。よく見ると外壁やコンクリートの塀に泥の線が残っている。このあたりは床上まで水に浸かったらしい。邪魔にならないよう歩いているうち、弟や妹たちと一緒に木崎さんが作業している姿が見えてきた。
生島家は比較的高い場所に建っているので被害を免れたが、このあたりは軒並みやられたようだ。普段生活していると土地の高低を意識することはほとんどないが、こういうとき微妙な差が分かれ道になるのだろう。木崎さんによると、朝電話で話したときはたしかに川は溢れそうだったが、もう限界、というとき急激に水位が下がっていったらしい。
「みんなで何でだろうって言ってたんだけど、隣の隣の市の堰が何か所か切れたんだって。だからこっちはたいしたことなかったけど、そのあたりはもっと広範囲で水浸しになってるよ。さっきニュースで言ってた」
「そうなんだ。でもこのあたりは大変そう」
「大丈夫だよ。何とかなるでしょ」
「また雨が降るって聞いた」
「ああ、でももうそんなでもなくなったらしいよ。降るのは降るみたいだけど。それにしてもよかったよ、夏休みで。学校あるときだったらもっと大変だった」
「何か手伝うよ」
「もう終わるところだから。うちは人手だけはあるからね。あとでみんなで弁当買いに行くんだ」
木崎さんは楽しそうにしている。弟や妹たちも気楽な顔つきだ。一番上の姉が平然としているので、下の子たちも大丈夫なんだなと判断したのだろう。明日また来よう、ケーキでも買って。わたしは安心して自分の家に帰った。
家の前にバイクが停まっていて、鉄哉がわたしを待っていた。遠目でわたしを見つけ、にっこり笑った。
「いつ帰ってきたの?」
「さっき。家に荷物置いてきた」
「おばさんは大丈夫だって?」
「うん」
「どうだった、合宿。楽しかった?」
「楽しかったよ。そっちはどうだった?」
「いろいろあったけど、何とかなった。でも……あの」
「何?」
「なくしちゃって。もらったやつ。もらったばっかりなのに、ごめんね」
「ああ、いいよ別に。関係ないんじゃないかな、もうそういうことは」
「え、なくしたの?!」と叫ばれて地面にがっくり膝をつかれるよりはよかったが、言っている意味がわからない。まあ全然ダメージはないようなのでよかった……か? 鉄哉が左手の手のひらに指で何か書いている。
「何してるの?」
「エミちゃんの五根を圧迫する字を書いてるんだよ」
言い終わるやいなや鉄哉が左手を突き出し、わたしの額をつかむように握りしめた。
危機を察知する間もなかった。鉄哉の瞳が黒から血のような暗い赤に変色し、さらに恐ろしいほどの深紅に変わった。その光に目の奥まで射られたとき「禁」という文字がわたしの視界を覆い、その向こう側から凄まじい勢いで炎が押し寄せてきた。
息が苦しい。炎以外何も見えない。炎はわたしの目の前だけでなくはるか彼方まで重層的に広がり、天まで昇って空が暗闇に見えるほど焼き尽くしていた。まぶたを閉じることが出来ず、呼吸するために肺を膨らませることも出来ない。体が何一つ思うように動かなくなっていた。
鉄哉が手を離したのか、額から感触がなくなった。自力で立っていられず、熱を持たない業火の世界に、わたしはなすすべもなく倒れ込んだ。
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