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8.溢れた血《3》

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 鞍橋の屋敷の外は夏の重い闇で圧倒されそうだった。無数の虫やカエルがいっせいに鳴いているせいで、かえって何も聞こえないと感じるほどにうるさい。朱眉は門を出て長い石の階段を下りはじめた。細いヒールのサンダルをはいているし飲酒してもいるので、踏み外しはしないかと気が気でない。懐中電灯で彼女の足元を照らしながら一緒に階段を下りた。
 無事に道に出たのでホッとする。朱眉は下り坂を軽快な足取りで歩いていった。
「ふう、酔った酔った」
「あんまりそう見えないけど。今日祐実ちゃんは?」
「ダンナのお母さんに来てもらってるの。普段からお世話になりっぱなしで、感謝してもしきれないわ。嫁のややこしい立場を理解してくれてるし」
 しばらく歩いていると道の向こうから、犬に夜中の散歩をさせているおじいさんがやってきた。
「こりゃどうも、朱眉さま。珍しいですね、こっちに来られるなんて」
「今日は親戚の子が遊びにきたもんですから。女二人で宴会ですよ。オホホ」
「ああ、そうなんですか。じゃ、また」
 近隣の人らしい。こんな山の中だが、民家が途中何軒か建っているのだ。連れているのは柴犬のようなちょっと違うような、いわゆる雑種だったが、元気があり余っているのかおじいさんが立ち止まって話しているあいだ、ずっとヒーハーいいながらロープを引っぱり、ピンと張られた勢いで飛び上がるほどのけぞってもいた。去っていく後ろ姿をしばらく見送ったが、おじいさんはまるで犬と綱引きしているように中腰で歩いている。犬を散歩させているのか、おじいさんが散歩させられているのか……。主導権は完全に犬が握っていた。
「あんたと鉄哉って、まさしくあんな感じね」
 朱眉が言ったのでガックリきた。
「完全にあんたのほうが鉄哉を引きずりまわしてる」
「そんなことないって! わたしがどれだけあいつに迷惑かけられてるか」
「ハハハ、ごめんごめん。でも私、感謝してんのよ。あんたが鉄哉の狗になってくれてよかったって、今でも思ってる。あんたにとっちゃ迷惑な話だろうけど、あんたがいなかったら鉄哉はとんでもない奴になったと思うもん。何でも自分の思い通りに出来るんだし、おかしくならないほうが不思議でしょう。大きな力を持ったがゆえの傲慢さってどうしてもあるから」
 それは鉄哉に限った話ではない。思えばわたしにも人を人とも思わないようなところがある。何かあればこの怪力でどうにでも出来ると思うからか、ついふてぶてしい態度になってしまっている気がする。初対面の青木裕理を挑発してムダに怒らせたし。あれはあっちも悪かったが、普通の女の子だったらああいう物言いはしないだろう。
「鉄哉は違うんじゃない? 何でも思い通りにはならないでしょ。千里眼とか予知って、しょせんは受身の力だし」
 朱眉が立ち止まった。驚いた顔でわたしを見ている。
「知らないの?」
「何を?」
「あんた鉄哉の力って、どういうものだと思ってる?」
「だから……人のいろんなこと見抜いたり、過去や未来を見たり。あと、何か気持ちの悪い札みたいなのを書いていろんなことが出来るみたい」
「それはおまけみたいなもんよ。――あんたに知られたくなかったんだ。一番近くにいるあんたが気付きもしてないってことは、隠してたってことでしょう。あんたの自分を見る目が変わるのが怖かったのね。
 知っとくべきだと思うから言うけど、鉄哉の力は受身なものじゃない。攻撃的なものよ。あの子は他人を自分の思い通りに動かせるの。今の時代ならいろんなメディアがあるから、その気になればたぶん何千人、何万人単位で。先代が『この世の王にもなれる』って言ったのはそういう意味よ」
 自分のまわりの闇が、一瞬燃えたように揺らいだ気がした。
「あの子にその力を使う気がないのはわかってる。でも本人の意識しないところで、力は漏れ出ていると思う。それが余計に危ないような気もするんだけど。本当は力を磨いてコントロールがきくようにしたほうがいいのに」
 不意にすべてが腑に落ちた。なぜみんなが鉄哉の意に沿うように行動するのか、その気分が伝染するのか。彼が好かれているからというより、無意識のうちに力を使っていたからだったのだ。
「まるで神だね」
 わたしは暗い気持ちで笑った。
「鉄哉にこそ手綱をつけたらいいのに。わたしより鉄哉のほうがよっぽど危険人物に思える」
「私もそう思う」
 朱眉は笑わなかった。
「でも内的な力――私もそうだけど、自分の力を己の欲望や野心のために使うと、急速に使い物にならなくなるもんなの。だからどんなに強い力を持ってようが、基本的には手綱をつける必要がない」
「ああ、人格とか精神状態に左右されるんだ」
「そう。魂と精神の力だからね。負に傾くと、我欲の毒に侵されて使い方を見失ってしまう。先代もなかなか現世的な利益に熱心だったけど、あの人には一応鞍橋を昔みたいに繁栄させるって使命感があったから。
 でもたぶん、鉄哉には関係ないんじゃないかな。あの子は何しようが、一生ああでしょう。だからあんたの存在が重要なわけ。何もかも思い通りに出来る世界で、あんただけが思い通りにならない。あんたに嫌われたくないがために鉄哉は傲慢にも横暴にもならず、何とか善良で無害な人間に成長しつつある」
「本当に無害かどうかはわかんないけど」
「無害だって。前に聞いたことあんの、『あんたは自分の力を使って何かデカいことしてやろうって考えたことはないの? エミもいるんだし楽勝でしょ』って。そしたら鉄哉のヤツ、『そんなこと出来ない』って震え上がってさ。
 『このあいだエミちゃんの家行って喉かわいたから水ちょうだいって言ったら、そこの蛇口から出るから好きなだけ飲めば? って言われた。水くれっていう頼みも聞いてくれないのに、もし俺がデカいことやるから手足になって働けとか言ったらどうなると思う? 一生口きいてくれないよ』
 だって! ハハハ、私笑っちゃって」
「……またあいつは、バカがバレるようなことをペラペラと……」
「私としてはあんたにずっと残っててもらいたいね。鉄哉が悪いことしないように見張っててもらわなきゃなんないし、ハタチになったら私と一緒にお酒も飲んでもらいたいし」
「お酒ぐらいいいけど」
「頑張って鉄哉を尻に敷き続けてやってちょうだい!」
「尻に敷いた覚えはないよ。あいつが勝手にわたしのお尻の下に滑り込んでくるだけ」
「ワハハハ」
 笑ったとたん朱眉がバランスを崩してよろめき、尻もちをついた。
「大丈夫?」
「酒に酔ったぐらいで真っ直ぐ歩けなくなるなんて! 私もいよいよ年だわ」
「大丈夫だよ、まだお姉さんで通るから。とりあえずお酒飲むときはヒールの細いサンダルはやめたほうがいいね」
 帰りはわたしが朱眉をおんぶした。酔ったまま上り坂をサンダルで戻るのはしんどいだろうし、これ以上コケてケガでもされたら松田さんや祐美ちゃんに申し訳ない。わたしの頭の上で、朱眉は娘と夫の教育について熱く語った。

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