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 パパは高層ホテルの三十五階にあるフレンチレストランに予約を取っていた。
 店の中は控えめの照明で、夜の街の景色が窓の外に広がっていた。店内の席は半分ほどが埋まっていて、そのほとんどがパパよりも年上の大人たちだ。みんな品の良いドレスやスーツに身を包んでいる。確かに私の着ているセーラー服でこんなところに入っては、変な意味で人目を引き、恥ずかしい思いをしたことだろう。
 私は少し緊張したが、それを察してかパパが腕を差し出してくれた。私はその腕をそっと取り、間違っても履きなれないパンプスで躓いたりしないよう注意深く歩いた。
 そこはまるで舞台のようだった。深く赤いカーペットは柔らかく、かと言って安物のふかふかのカーペットのように歩きづらいことはない。
 ウェイターに案内され席へと歩いていると、他の客たちが視線を走らせ私たちを見てくるのを感じた。まるで頭の中にある映画俳優や芸能人たちの中に、パパの顔がないか探しているようだった。
 パパは椅子を引いて夜景の見える席に私を座らせ、自分もその向かいに座った。
「先に食前酒を頼む。そうだな、僕はシャンパンでいい。辛口のを頼む。彼女には、そうだな、ノンアルコールのカクテルを頼む。さっぱりしたやつがいい」と言って注文してくれた。私はなぜだか「彼女には」と言われたことが嬉しかった。「この子には」でもなく、「娘には」でもないのだ。パパは私のこと「彼女には」、だって。
 淡いピンクと透明のグラデーションがグラスの中で溶け合うカクテルが私の前に置かれ、パパのシャンパンがグラスに注がれると、パパはグラスを目線の高さまで持ち上げ、静かに「サンテ」と言って乾杯をした。
 こんな雰囲気で、いつもと違うパパの目に見つめられていると、私はなんだか頬が熱くなり、鼓動が大きく打つのを感じた。
 これって本当にノンアルコールよね……、と思いながら、バレないようにカクテルの匂いを嗅いだ。
 そのタイミングを見計らったように、少し小太りのおじさまが声をかけてきた。
「これはこんなところで、橋爪社長」
「これは守屋会長、お久しぶりです」そう言って立ち上がろうとしたパパを、「いやいや、すぐに戻りますので、どうかそのまま」と守屋会長と呼ばれた人は言った。
 どうやらパパの知り合いのようだった。
「プライベートと存じながら、あまりに美しい女性をお連れなので、思わず声をかけてしまいました。この不躾をお許しください」
「そんなこちらこそ。愛衣奈、この方はイタリアで物流のお世話をしていただいている会社の会長さんだ」とパパは私に向き直って言った。
「こちらのお美しい女性は……」
「初めまして、娘の愛衣奈と言います」と、私はそう言うのがやっとだった。
「おやおや、それはそれは! 高校生の娘さんがいると聞いていましたが、まさかこの方が?」
「ええ、そうです」
「こんなに綺麗なお方が娘さんとは! また私はモデルの方でもお連れになっているのかと思ってしまいました。これは失礼いたしました」と守屋会長は大げさなほどに驚いて見せた。
「お・う・つ・く・し・い・じょ・せ・い」って私のことですかあ!? って私は思わず叫びたくなった。こんな小心者で、しがない女子高生にそんな言葉を使って頂いて、こちらこそ失礼いたしましたと言いたかった。
 守屋会長はパパとしばらく世間話をした後、お料理が運ばれてくる前に自分のテーブルに戻って行った。
 私は周りをそっと見回して思った。
 パパと私ってどう見られてるんだろう。守屋会長がさっき言ったのは、やっぱりお世辞だろうか。それとも本心だろうか。本心だとしたら、私はパパの娘? 彼女? お友達? 奥さん? 奥さんだなんて……、奥さん、奥さんかあ。そんなことをいろいろ考えながら、上目遣いにパパを見ていたら、その視線に気づいたのかパパは私に向かって優しい顔をした。
 パパ、今日の私、綺麗? お化粧してもらって、綺麗な服も着せてもらって、私は少しはパパと肩を並べて歩くにふさわしい女の子になれたのかな。

 食事を終えてマンションに戻り、エレベーターに乗っていると、なんだか体がふわふわとした。ほんとにあれ、ノンアルコールだったの? なんてことをまた考えながら、私はエレベーターの数字が2、3、4、と進んで行くのをぼんやり眺めた。
 おんなじ家に帰るんだ……。
なんだか変な感じ。
一緒に暮らしてるんだからあたり前なのにね。
 いつも違う時間に家を出て、違う時間に帰って来るからこのエレベーターに一緒に乗るのは珍しい。背中にパパの気配を感じる。なんだか緊張してきた。え、なんでだろ。なんでこんなこと考えちゃうんだろ。パパと一緒に家に入るとこ想像して恥ずかしい。
「さ、着いたぞ」
「え、あ、うん」気が付くとエレベーターは36の数字を示して止まり、扉が開いて廊下が見えていた。
 一歩踏み出し、外の空気に触れたところで、私は視界がくらくらと揺れ、立っていられなくなった。
「愛衣奈!?」そう言ってパパに抱きしめられるように支えられた。「どうした、愛衣奈? また立ち眩みか?」
「うん。なんだかちょっと疲れちゃったみたい」それは嘘ではなかった。朝の授業参観に始まり、なんだか今日一日でいろんなことがあった気がした。家の前まで来て、その疲れが一気に出たのかも知れない。
「大丈夫だよ、パパ。心配させてごめん」そう言って自分で立とうとしたが、やっぱりまた目が回って倒れそうになった。
「ほら、無理するな」
 無理するなって言っても、どうするつもり? と思った私を、パパはあっさり抱っこした。それもお姫様抱っこ!?
「え、やだっ、パパ!」
「やだと言っても、自分で歩けないだろう。我慢しなさい」
 我慢とかそう言うのじゃなくて、すぐ目の前にパパの顔がある。
 ああ、どうしてパパは私のパパなんだろう……。パパじゃなかったら、パパじゃなかったら、パパじゃなかったら……、私はどうしてた? パパは私が娘じゃなかったらどうしてた? やっぱりあのカクテル、アルコール入ってたんだ。作った人が間違えたんだ。でなきゃこんなこと考えるはずがないもん。こんなに熱くなるはずないもん。私、お酒に酔って、パパの家に連れて行かれる。二人きりになるんだ。
 そのあと、そのあと、そのあと……。




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