フレンチ Doll of the 明治 era

Hiroko

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「ターシャ、私、部屋の外に出てみたいわ」リナは部屋の外に広がる暗闇を見つめながら言った。
明かりを消した部屋にはもはや、外の世界との隔たりは消失していた。
そこには何もなかった。
ただひたすら、暗闇はどこまでも続くのか、あるいは、目の前でばっさりと途絶えているのか。
それが知りたくてリナはするりと右手を前に伸ばした。
伸ばした手はガラスの境界をすり抜け、外の風に触れることができるはずだった。
けれどもそうはならなかった。
コツンッ、と、指先の爪が見えないガラスの壁にぶつかった。
リナはそっとそのままガラスに手のひらをつけた。
ガラスの壁も、自分の手も、溶け込んだ暗闇に何も見えなかった。
不意にどこかから、群れからはぐれた蛍が一匹、ゆらゆらと闇の中を彷徨った。
やがてどこかにとまり、ゆるい明滅を繰り返した。
リナはその様子を凝視した。
それは自由なのか、孤独なのか。
「部屋の外に出ることはできません」とターシャは言った。
「それはなぜ?」
それは自由なのか、孤独なのか。
「部屋の外に出れば、もう中には戻れません」
「なぜなの?」
それは自由なのか、孤独なのか。
「部屋の外では、過去の戦争による兵器に空気は汚染され、未知の人工ウィルスが蔓延しています。それを部屋に持ち込むことになるからです」
「それでも、私は……」
それは自由なのか、孤独なのか。
「それはとてもとても危険なことなのです」
「危険……、わからないわ」
それは自由なのか、孤独なのか。
「命や身体に害を及ぼす可能性があるということです」
ちがう、私が聞きたいのはそんなことじゃない……。
それは自由なのか、孤独なのか。
「子供たちはみな、部屋ですべての脅威から守られています。それゆえ恐怖と言う感情が希薄になっているのです。けれども確実に危険は存在します。警戒を怠ってはいけません」
私が聞きたいのは……、私が聞きたいのは!

気が付くと、蛍はどこかへ消えていた。
あるいは命を絶やして土へと還ったのか。
部屋の外へ出てしまうと、もう二度とこの部屋には戻れない。
私は死んでしまう。
死ぬと言うことがどういうことなのか理解できなかった。
愛すると言うことがどういうことなのか理解できないように。
「風と言うものが何なのか知りたいの。土も、海も、動物も……」
「すべてフィグツリーの経験プログラムに用意されています。リナ、あなたはいつでもそれを実体験として学ぶことができます。過去から現在に至るまで、あらゆる時間、場所、人間の行きつくことのできるすべての場所にアクセスすることが可能で、そこにあるすべての物を五感を通して確認することができます」ターシャは言った。
フィグツリーにはすべてがある。けれど、何か足りないものがある。それが何であるのか、それをターシャは教えてはくれなかった。

「全ての人に共通する幸福なんて存在しないわ」ソフィは言った。「産まれた時から檻の中に暮らすライオンは、それが世界のすべてだと信じ、幸福であると感じているかもしれない。荒野を駆けるライオンは、自由こそが幸福であると信じているかもしれない。外から檻の中を覗く人間は、自らの価値観でライオンの幸福を推測する。そこに普遍性などない」
「そもそもライオンは『幸福である』などという考えに及ばないかもしれないわ」
「概念的にはそうね。けれども少なくとも心地よいか悪いか、楽しいか苦しいか、美味しいか不味いか、そんなことは一時的にせよ記憶にとどめるにせよ感じているはず」
「ライオンは、どうするべきだと思う?」
「それは、個々のライオンが思うべきことよ」
リナは、幸福とは普遍性によって定義づけられるものではなく、もっと根源的な何かであるような気がした。
けれどもそれが何であるのかまでは思い至らなかった。
「けれどライオンが、何が自分にとって幸福であるか、それを知る手段はある」ソフィは言った。
「それはなに?」
「檻から抜け出すことよ」
「檻から抜け出せば、ライオンは幸福を知ることができる?」
「少なくとも、檻の中にいたころの方が今より幸せだったかどうか比べることはできるわ」


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