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13 自分で立たなきゃ

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「さ、わしらはそろそろ帰るとするか」と壁の時計を見ながら芹那のおじいちゃんが言った。
「退院の手続きは明日お父さんが付いてきてくれるから、その時してくれるって」芹那が言った。
「香奈子、お前さんも帰るぞ。車で送ってってやろう」そう言って芹那のおじいさんが背を向けかけると、「あ、あの! 私、もう少しここにいます……」と香奈子が言った。
「何を言っとる。あと一時間もすれば日が暮れるぞい」
「お父さんが、迎えに来てくれるので」
「いいから一緒にこんかい!」
「ほらほら、おじいちゃん。いいじゃない、行きましょ」そう言って芹那はおじいちゃんの背中を押した。
「じゃ、じゃがお前、また暗くなったら……」
「もう、気が利かないんだから。大丈夫よ」そう言って二人は出て行った。
 部屋に香奈子と二人になると、急に静かになってしまった。
 香奈子は自分で残ると言ったくせに、何もしゃべらず、目も合わせようとしない。
 なんだかよくわからない気まずさの中、時間が流れた。
「お茶、飲む?」香奈子がそう言って、僕が返事をする前にコップにお茶を入れて渡してくれた。
「ありがとう」そう言って僕はお茶をすすった。
 窓の外にはいわし雲が夕日のグラデーションを作っている。
「暗くなっちゃうよ」
「大丈夫。いつもお父さんが迎えに来てくれるから」
「いつもこんなに遅くまでいてくれたの?」僕がそう聞くと、香奈子は顔を赤くしてうつむいてしまった。
「ちょっと、トイレに行くよ」僕はそう言ってベッドから足を降ろし、立ち上がろうとした。が、足にまったく力が入らず、まるでそこに足がないかのようにベッドの下に崩れ落ちてしまった。
「大丈夫!?」香奈子は慌てて僕の横に座り込んだ。
「うん、大丈夫」そう言って僕は立ち上がろうとしたが、やはり足に力が入らない。たった一週間寝ていただけなのに、こんなに体が衰えてしまうなんて。
「私が連れて行くから」そう言って香奈子は僕に肩を貸そうとした。けれど香奈子の肩は細く、とても僕の体重を支えられるとは思えないほど痩せていた。
「いいよ、大丈夫」僕はそう言ったのに、香奈子はまるで何も聞こえないかのように必死になって僕を抱き起し、ほとんど立っていることもできない僕を、歯を食いしばり、顔を真っ赤にしながらトイレまで運んだ。
「ありがとう」トイレから戻ると僕はそう言った。
「ううん。こんなことしかできない……」
「え?」
「なんでもない」
 やはり香奈子は目を合わせようともしない。
 僕は香奈子が何を考えているのかわからず困ってしまった。
 途中、看護師の人が来て、「あら、真っ暗ね。明かりつけますよ?」と言って部屋の灯りをつけてくれた。部屋が明るくなると、なんだか急に外が暗くなった気がした。
「お夕食、あと一時間ほど待ってくださいね。それから面会の方は、一応夜の九時まで大丈夫なことになっていますけど、最近、注意報が出ていますので、できるだけ早めにお帰り頂くようお願いしています」と看護師の人が付け加えるように言うと、香奈子は静かに「わかりました」と答えた。
 注意報と言うのは、化け物が頻繁に出現している地域に出されるものらしかった。
 こうやって窓の外を眺めているだけなら、何も変わる前の世界と同じなのにな、と僕はぼんやり考えた。
「私ね、化け物に友達を殺されたの」ふと思い出すように、香奈子は話し始めた。
「うん、前に話してくれたね」
「目の前で殺されたの」
「目の前で?」
 香奈子は頷き、話を続けた。「小夜子って言ったの、名前。鵺に、私の目の前で、殺されたのよ」
「目の前って、もしかしたら異世界に行ったかもしれないって……」
「うん。そう思いたかっただけ。鵺にさらわれて、異世界に行ったんじゃないかって。どうしても、どうしても殺されたって思いたくなかったの」そう言って香奈子は溢れてきた涙を袖で拭った。「私がね、いつものように小夜子の家に遊びに行ってて、遅くなったからお父さんに迎えに来てもらったの。そしたらその帰り、車に乗ってすぐ、後ろですごい大きな音がして振り返ったわ。お父さんも驚いて車を止めたの」香奈子はその時の情景を思い出したのか、しばし言葉を詰まらせた。
「私は窓を開けて外を見たわ。そしたら小夜子の家の上に鵺がいて、開けた穴から中に入って行くところだった。私は怖くて何もできなかった。お父さんもどうしていいかわからず、車を出すことも助けに戻ることもできず、私はずっと車の中で小夜子の家から聞こえてくる悲鳴を聞いてた」
「そんな……」僕は言葉を失った。
「今でも聞こえてくるのよ! 夜に眼を閉じると、いくら耳を塞いでも、小夜子と、小夜子のお母さんの悲鳴が……」香奈子はそう言うと、顔を両手で覆ったまま泣き声を押し殺した。
「私、強くなろうと思ったの。いつか鵺を、この手で退治してやるんだって。でも……、見たでしょ? 私、あんなに弱い……」
 香奈子は弱くなんかない。そう言おうと思ったけれど、今の香奈子にその言葉が慰めになるのかどうかわからず、僕は何も言うことができなかった。
「私ね、今でもそれを思い出して、なんだか変な話だけど、友達の家とか遊びに行くとね、なかなか帰れないんだ」
「帰れないって?」
「私が友達の家を出たとたん、鵺が現れて友達を食べてしまうんじゃないかって、想像しちゃうの。だから怖くて、暗くなってもなかなか家に帰れないんだ」
「もう大丈夫だよ。鵺は死んだ」
香奈子は両手で顔を隠したまま頭を横に振った。
「どうしたの?」
「鵺は、一匹じゃないの」
「一匹じゃない?」
「そう。たくさんいる。和也が倒してくれた鵺が、その一匹かどうかもわからないの」
「そんな。どこからいったい……」
「富士山のふもとか、もしかしたら諏訪湖あたりの顛倒結界から流れてくるんじゃないかって噂だわ。けれどはっきりしたことはわからないって」
「じゃあ、何匹いるかもわからないの?」
「そうよ。顛倒結界から抜け出た後、適当なところに住み着いている奴もいるらしいわ」
「警察は、何もしてくれないの?」
「何もできないのよ。そもそもどこに住んでいるかもわからないし、人間の武器だってほとんど役に立たない。一度、山に追い詰めて一匹退治したって話はあるみたいだけど、それができたのは山だから。住宅地に現れた鵺を倒すために、銃やそれ以上の武器を使うと逆に危険だって。結局どうすることもできないのよ」
 僕は戦った鵺を思い出し、確かにそう簡単に普通の人間が戦うことなんて無理だと思った。
「だからいつか私が強くなって、顛倒結界に入って中の化け物を全部殺してやるんだって、そう決めたの」
「顛倒結界の中に?」顛倒結界とは違うかも知れないが、僕は平城京の中で化け物相手に何もできなかったことを思い出さずにはいられなかった。
「危険だよ……」
「それでも行くのよ。いつか、今よりもっともっと強くなって」
 僕は香奈子の方を見た。いつの間にか泣き止んでいて、自分の意志を見定めるようにじっと床を見つめている。
 香奈子は強い。僕はあらためてそう思った。僕は、僕なんか、何一つ自分で決められない。優柔不断で、何も信じられなくて、誰かに助けられてばかり。香奈子のように、一心に強くなりたいなどと考えたことがあっただろうか。そりゃ剣の練習はした。けれど、けれどそこに、僕の心に、香奈子と同じような「強さ」があっただろうか。
 美津子を助けたいなどと言いながら、これほどまでに真っすぐ自分の身も心も捧げてきただろうか。
 胸が熱くなった。
 僕はまだまだ弱い……。
 香奈子の足元にも及ばない。
 香奈子と一緒に強くなろう。
 そしていつかあの世界に戻り、美津子を助け、スサノオの敵をとるんだ。
 僕はベッドから足を降ろし、棒切れのように役に立たない足に無理やり力を入れ床に立とうとした。が、やはりすぐに崩れ落ちてしまった。
「大丈夫!? 何してるの? トイレ?」そう言って香奈子がまた僕を助けようと床に座り込んだ。
「違うんだ。助けないで。自分で立たなきゃ。自分の足で、立ちたいんだ」僕がそう言うと、香奈子は不安そうな顔で成り行きを見守った。
 足はやはり力が入らず、関節がかくかくと思いもよらぬ方に曲がってバランスを崩した。何度も倒れ、床に体を打ち付け、そのたびに香奈子は小さな悲鳴を上げた。けど僕は、そんな足を両手で叩き、ひねり、何とか痛みに感覚を思い出しながら立ち上がった。
「和也……」香奈子は床に座ったまま、立ち上がった僕を見上げて泣いていた。
「大丈夫。僕も強くなる。香奈子、ありがとう」そう言ったあと、僕はまたバランスを崩して倒れ込んだ。ベッドのフレームに頭を打ち付け、さらに床に顔を打った。そしてまた立ち上がろうとする僕を香奈子は無理やり抱きしめ、「いいよ、わかったよ、和也。一緒に強くなろ?」と言って膝の上に抱いた僕の口に唇を重ねた。
















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