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落ちてゆくもの

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 彼は、落ち続けていた。


 本当に長い間落ち続けていた。



 それは、比喩や概念の話ではない。

 彼は物理的な空間を、


 ずっと、それこそ百年や千年とか、もしくはずっとそれ以上落ちていた。


 地球上にそんなにふかい穴があるだろうか?

 そう彼も時たま疑問に思うが、


 しかし事実彼はずっと落ち続けていた。

 どんなに疑おうとそれだけは確かだった。


 しかし・・


 どんなに穴が深かろうが、地球の半径、あるいは直径以上の穴があるはずがない。


 それは物理的にあり得ない。



 考えてみてほしい。


 地球の半径がいくつだったからと言って、
 
 百年以上落ちるなんてことがありうるだろうか。


 だが、現実には、体に落下するとき特有の浮遊感が常に漂っていた。

 その状態が当たり前すぎて、意識しないとその感覚は見失ってしまうほどだったが、確かに落下していた。


 もしかしてこれは科学とか、あるいはオカルト、魔法が関係しているのではないか。

 そんな妄想にふけることもあった。


 ともかく、そんなに長い間落ち続けているゆえに、彼は自分が何故落下しているのか忘れていた。

 いやそれどころか、意識がはっきりすることもまれにしかないのだ。



 そして今、彼は久方ぶりに意識が覚醒した。

 眠りから覚めた彼は、とりあえず今の状況を察しようと努力した。


 周囲はとても暗い空間だが、遠くのほうに光る何かがある。苔だろうか。

 何しろ地上からかなり離れている。地下特有の独自の生態系があってもおかしくはない。


 彼はその苔に近づこうと体を動かした。

 しばらく体をじたばたしていたが、しかし、そこに届く前に、おなかがすくのを感じ、動きが鈍くなった。

 食べ物はないかと彼は体をまさぐったが、見つからない。


 いや、待てよ。と彼は気が付いた。


 何故何年も落下し続けているのに、自分は生きていることができるんだ?


 普通ならば、何も食べずに一か月もいきられれば持ったほうだろう。

 それなのに、少なくとも百年は食べずに自分は生きている。


 そして、そう考えているうちに、エネルギーが少しずつ体にみなぎってくるのを感じた。

 ・・そうか、と彼は思い当たった。


 光だ。

 光はエネルギーでもある。

 それを自分は吸収しているのだ。

 そうだ。

 彼は自分が何者なのかを思い出した。


 そう、彼はロボット。人口知能だ。

 太陽電池が体中にあり、遠くの小さな光で燃料を補給できるのである。

 

 そしてあの小さな光たちは・・そう、星々だ。

 ここは宇宙。

 彼はいま落ち続けている。

 広大で冷たくて真っ暗な空間を落ち続けている。



 彼が何故こういう状況に陥ったのか。

 それを思い出すまでには、あと少なくとも数年は必要だろう。

 
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