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prologue
しおりを挟む一九四二年七月イギリス某所
ミッドウェー島付近での日本海軍敗北の知らせがラジオから流れた。
「君は、こんなニュースを聞いても嫌にならないの?」
「あら、わたくしが日本を出て二十年。半分は英吉利におりますのよ。心のふるさとは既に、このブリテン帝国ですわ」
日本との戦が始まるようになり、人の心を慮ってドレスを着るようになるまで、暑かろうが寒かろうが着物を着続けた妻、りのは隣で笑って言う。
「それよりも、子供たちが軍でいわれなき差別を受けていなければいいのですが」
敵国、日本の血をひいているということをりのは心配している。りのにとって戦とはそれくらいのものなのか。
「そればかりは、ね。しかし血の気の多い子供だ」
前線行きを志願したという長男。今年徴兵された長女。日本語を解せるという理由から、色々と解析を頼まれているという。
「『あいづっぽ』の心意気ですわ」
「ほら、すぐそうやってアイヅのことを口に出す」
「両親にも叔母にも口うるさく言われたせいでしょうかねぇ。わたくしも『あいづっぽ』のようで頑固者のようですし」
「確かにね。君を口説くのにあんなに時間がかかると思わなかったよ」
一度なにがなんでも日本に帰らなくては。そう言い募るりのを繋ぎとめたのは二十年前。それなのに未だ鮮明に覚えている。
「あなたもわたくしに負けず劣らず頑固者ですわよ」
「だってねぇ? 僕を連れていけないなんて言われたら、知らないふりして逃げてもおかしくないと思ったからね」
一語一句違うことなく思い出してしまった。「リチャード様は英吉利でお待ちくださいませ。わたくしは元嫁ぎ先への挨拶と、実家へ報告に参ります」と。椅子に正座して手をついて言われたときには、副音声で「さようなら、わたくしは日本へ帰ります。リチャード様はイギリスで相応しい方を探してください」と聞こえた気がした。
付いていく、そう言い募ったリチャードに、当時恋人だったりのは「駄目です。リチャード様のお休みもないですし、元嫁ぎ先も両親も驚きます」と返してきた。あ、逃げる気だ。そう直感したリチャードは囲い込んだ。急ぎロンドンにある日本領事館と、東京にあるイギリス領事館に電報を打ち、すぐさまりのの実家へと連絡を入れさせた。「異人が来たーー!」と驚かれたというのは、当時日本で外交官をしていた同胞の言葉だ。
「『戦争を終わらせるための戦争』だなんて嘘ですわね」
「僕も同感だね」
今となっては「War in Europe」という言葉がふさわしい、そうリチャードも思う。仮初の平和は二十数年で破られた。
「でも、僕たちが出会ったのがその間でよかった。それより早かったら、リノと言葉が通じなかったし、遅かったら僕たちは敵同士だ」
「……そう、ですわね」
憂い顔のりのを抱き上げ、寝室へと運ぶ。執事もメイドも勝手知ったるもので、黙ってドアを開けた。
「リノ、君は出会った頃から全く変わらない」
外を歩けば、子供たちの姉かと思われるのは今に始まったことではない。
「褒められている気がしませんわ。わたくしはあの時にリチャード様の隣を歩く決意をしたのですから」
「僕は嬉しい限りだよ。いつまでも若い君を見ていられるから」
「そのように仰ってもっ……」
恥ずかしそうに視線を逸らすりのがあまりにも愛おしすぎて、ベッドに落とすなり貪りつくように口づけをした。
「リノ、愛している」
リチャードは衣服に手をかけながら、何度もりのに愛を囁いた。
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