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しおりを挟む寝ている間に精を放ってしまうことを、『夢精』と言うらしい。大抵、気持ちいい夢を見た時とかで。
「でも俺、夢を見たことねぇんだよ。覚えてないっつーか……、粗相もしたことねぇ。けど、よく聞く現象だよな。そのくらいスッキリしてんのに、身体は綺麗なんだよ。おかしくねえ?」
「…………僕が見張っててあげようか?一晩中」
バルカスは半目を開きながら言った。けど言っていることは優しい。そういう所がいい奴だ。
「うーん、それならロドリックにお願い……してみようかな。俺、粗相してないか、って……恥ずかしいけど」
「それもどうかと思うよ……だって君の同居人、明らかに君に対して挙動がおかしいじゃないか」
「そうか?まぁ、仲良いからかな」
「なんて呑気な……」
「ロドリックに頼んで……いやでも、アイツも寝たいよな……うーん……」
「僕はお勧めしないよ。なにかあったら僕の部屋に来て、助けてあげるからね」
「?ああ!」
本当はもう一つ、バルカスに言っていないことがある。これは絶対に言えない。言っちゃいけないと思った。
…………この俺が、尻の奥が痒い……なんて。
なんか病気なのかと思った。けど俺、自慢じゃないが健康には自信がある。風邪ならいいんだ、あれは身体が強くなるために必要な試練だから。
変なもん食った?いや、いつもと同じものだけ。
変なところに座った?いや、いつもと行動は変えてない。
それなのに、ムズムズする。なんだかなぁ。こう、指を突っ込んで掻きたい。そこが背中ならぼりぼり掻いて満足なんだけど、尻だとそうもいかない。
どうしようかな、と思いながら校庭を走っていると、いつぞやの侯爵令嬢がちょいちょい、と手招いているのに気づいた。
「こんにちは。ロドリックですか?呼んできましょうか?」
汗だくなまま侯爵令嬢に近付くと、びっくりしたようだ。周りを取り囲む可愛らしい女の子たちも、俺を見て固まっている。
……あ。もしかして、汗臭かった?
一応鉄網越しだから、そこまで匂わないと思うんだけど。この校庭に淑女科は入れないが、たまにこうして騎士科に用がある子が話しかけてくることがあるのだ。
それを騎士科の男どもは期待をして、鉄網前だけ速度が落ちるのが日常風景。
俺は慌てて水魔術を使い、軽く体の表面を綺麗にする。よし、これでエチケットは大丈夫なはずだ。
「……あなた、シルファ様の恋人ではないの?」
「はい?」
えっ?なんだって?
「どうしてこんな頭の空っぽそうな男がいいのか……理解に苦しみますわ。わたくしの方がよっぽど魅力的ですのに……」
「あの……では、お嬢様は俺に用があるので?」
「ふふ、そうね、レイジーン・アクア。貴方に聞きたいことがあってここへ来たの。淑女科の談話室に来て下さる?」
「えっ、いいのですか、俺で……?」
「なにを喜んでるのよ。来なさい」
俺はいそいそと着いて行った。なんでかって?
憧れの、淑女科の談話室……!!
バルカスに『ついにこの時がやってきた』と伝えたい。マジで伝えようかな。俺はこっそり水玉ちゃんを作り、言霊を吹き込む。『ついに談話室デビューだぜ!』と。自慢してこい!
淑女科の談話室は複数あって、淑女科に属する生徒しか予約出来ない。女の子たちだけで話す時や、恋人や婚約者と話す時、そして、落ち着いて話したい時に、女の子は予約すると言う。
騎士科では、『好みの男に告白する時に使う部屋』と、実しやかに囁かれていた。つまり俺……もしかして、もしかして!?
……少なくともこの美女さんは、ロドリックのことがお好き。だから可能性があるとすれば、周りのお友達だ。
あんまり見ないように心がけながら女の子の顔を確認する。ほら、俺の顔を見て頬を赤らめて俯いている子がいる。可愛い。俺が微笑みを向けると、耳まで真っ赤にして、栗色の髪の毛で顔を隠してしまった。可愛い。
きっと俺に直接声をかけられなくて、この美女さんに呼び出してもらった……とか?
いやいや、期待しすぎるのも良くない。何もなかったとしても、噂の談話室がどんなところなのか見れれば満足だ。
その扉の前に案内されて、俺は腰が抜けそうになった。
な、な、なんだこの豪華な扉は!
明らかに浮いている。ここだけめちゃくちゃ金かけている。これ……特別な身分の生徒しか使えないヤツじゃないか?
金の蔦が這い、小鳥の囀りも聞こえてきそうな扉の横には、『ヘレスティアの談話室』と表示されていた。ヘレスティアとは、神話に出てくる女神の名前。最高級のものを示すのによく使われる。
一歩入って後悔した。俺、場違いだ。子爵家の非嫡男はお呼びではない。ただ、もう逃げも隠れもできない。今呼び出されているのは俺なんだ。なんとか平静を保ち、顎で指し示された椅子へ腰を落ち着ける。
……うおっ。柔らかっ。
「……あなた、本当に落ち着きないわね。わたくしの方がよほど気品高いし、美人だし、……ねえ?」
そう言う侯爵令嬢に同調して、周りの子もクスクスと笑う。控えめな嘲笑。男のニヤニヤ笑いより余程好感を持てる。だって可愛いから。
あ、今はそんなことより、だ。
俺は本当のことを言うかどうか迷った。
アイツの彼女いる宣言は嘘なんだって。
でも、ロドリックはこの御令嬢に関わりたくなさそうだ。ここは、長い付き合いのロドリックの肩を持つことにしよう。
俺は、それとなく話を合わせることにした。
「……ロドリックは、(彼女のことが)すごく好きみたいで。生涯を捧げる、とまで言っていたので、他の人と会う時間も惜しいんじゃないですかね」
「ハンッ!そんなの、嘘に決まっているわ。わたくしの元へ来たら可愛がってあげます。爵位が違えば生まれも育ちも、血だって違うもの。貴方には、貴方にお似合いの方を探しなさい」
「んー、と。似合うのと、好きなのは、別ではないですか?」
俺のごくシンプルな質問に、御令嬢は激昂したらしい。
『あと俺は、デートフレンドをゆる募しています』とは続けられなかった。あまりにもキツく睨まれて。
「何?貴方、わたくしよりも魅力的だと言いたいの?」
ひえぇ、なんでそうなるのー!?
顔を真っ赤にして憤る御令嬢の視線の先は、注いだばかりの紅茶へと移る。次の瞬間ティーカップを取った彼女は、それを俺へと投げつけたのだ。
「っ!」
「きゃっ!!」
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