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番外編
2 それぞれの日常
しおりを挟む水の聖者の役割はあまり、多くない。
水の巫子もまだ現役だし、むしろ、僕の役割を増やしてしまえば、死後どうするの?となるので、僕がいなければ諦める他無かった、体の一部を無くしたとか、先天性の欠損だとか、そういったものをぽつぽつ治すことにしている。けれど、そんなケースは稀だ。
だから、クライヴ様にくっついて国内を旅し、見聞を広め、怪しいものを調査したり解決したりするのが主なお役目だ。
「殿下、シュリエル様。朝食できましたよ~っと」
「はぁい……」
ジタリヤ様の優しい声に起こされ、眠い目を擦りながら起床する。
今日も今日とて愛され尽くした身体は、吸い跡や歯形も残っている。さっとローブを羽織っただけの姿だが、ジタリヤ様はまるで気にしなくなった。
僕だけ情事の跡を残されているなんて悔しくて、クライヴ様のお身体にも、ほんの少し齧り付いてみるのだが、肌が厚いのか強いのか、翌朝には消えている。少し悔しい思いで、見事な上半身を晒すクライヴ様をジトリと見た。
目の合ったクライヴ様は、僕の視線の意味など知らないようにふわりと微笑み、僕を引き寄せて前髪に口付けを落とした。
「どうした?シュリエル。今日も可愛いな」
「~~っ、も、もうっ……!」
この人は、いつまで経っても僕に甘い。いつもいつも愛の言葉をかけてくれて、僕もその度に照れてしまって慣れない。けれど、日々愛しさを増していく最愛に、太刀打ちできる日など来ないのだろう。
ぱたぱたと身支度を整えて、野営用天幕を出る前に、結界の魔術府を剥がす。これは、僕が学生時代に勢いで作った代物。意外と結構役に立っていて、夜寝る時はこれさえあれば安心して眠れる。作るのは大変だけれどね。
そのおかげで、クライヴ様と僕は、天幕にも関わらず新婚らしい熱い夜を過ごすことが出来るのだ。
結婚式をしたのはほんの数週間前だが、結婚したのはもう、一年も前のことになる。それでも、僕とクライヴ様の夜の頻度は一向に衰えていなかった。
外に出れば、あっ、肉とパンの焼ける良い匂い。
リュミクス神様に祈りを捧げてから頂く。あと、作ってくださったジタリヤ様と、スイちゃんたちにも。
ジタリヤ様は料理人ではないのに、独自に学んできたらしい。僕もクライヴ様も料理は出来ないので頭が上がらない。
「今日も美味しかったです。ありがとうございます」
「いいえ。シュリエル様のお肉を作る大事な役割ですからね」
「?」
ジタリヤ様は暇さえあれば、僕の従魔であるウォルや、ハクやスイちゃんたちと交流を図っている。
女の子たちといちゃいちゃするのがお好きだと思っていたけれど、旅に出てから、僕は認識を改める事となった。どうやら彼は、餌付けをするのが好きらしい。
だからスイちゃんたちやウォルにも良く果実を与えているし、僕やクライヴ様にも甘味すら作ってくれる。中でも、もっしゃもっしゃと食べるウォルがお気に入りみたいだ。
「……!そこっ!」
ヒュンッ!
水の網を飛ばす!
森の奥深く、枝葉を無視して、その網は標的を捉えた。
駆けつけた先にいたのは、サモエドュアル。
スライムやエレメントホースと同じく、人間に友好的な魔犬の一種。白いふわっふわの毛が網からはみ出して、毛玉でも捉えたかのようだ。
「あれ……ああ、エレメントホースじゃなかったですね……」
僕は逃がそうとする。ジタリヤ様のためにエレメントホースを捕まえたかったのだが、このサモエドュアルが異様に大きくて間違えてしまったようだ。なんせ……背丈で言うと、クライヴ様よりある。2.5メートルくらいかな?
つぶらな瞳をウルウルさせて、僕を見ている。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!シュリエル様っ!ぜひ、是非に従属してくださいっ!」
「え……いいのですか?」
「ハイッ!全力でお世話させて頂きますから!」
しかし、熱すぎるジタリヤ様の情熱を感じて従属させる事となった。何故かジタリヤ様には見向きもしなかったため、僕の従魔となったサモエドュアルは、『エディ』と名付けた。
「エディ~っ、めっちゃくちゃ可愛いなお前」
「ヴゥゥゥゥ」
『エディ、ダメ、ジタリヤ様を攻撃しちゃダメですよ!』
唸っているエディに念話でこっそり指示をする。
最初こそこんな念話が必要だったが、徐々に打ち解けて、エディとジタリヤ様は四六時中一緒に過ごすようになった。
エディが僕に従属したがったのは、なんのことはない。僕の魔力が豊富で、水属性だかららしい。
暑がりなエディは僕の冷たい水を霧状にしたシャワーを浴びるのが大好きになった。
まぁ、その、僕とクライヴ様が天幕に引っ込んでいる間、ジタリヤ様は少し離れた天幕で一人だし……寂しいのかもしれない。
そう思ったのだが、街に着いて宿に泊まっても、女性や男性を連れ込む様子は無く、始終エディとわふわふしていた。
チラリと覗き見をしたところ、そのお顔は恍惚と緩み切っていた。エディの毛沼に飛び込んですーはーすーはーと深呼吸をして。
その側には、高級な毛ブラシや切れ味の良さそうな毛バサミ、コームも散らばっている。あれ、いつのまにあんな大判のスカーフまで用意したのだろう。
なるほど……?人には人の幸せがある、ということだね?
水の聖者として、僕は時折、薬草畑へ豊穣の水を撒くデモンストレーションを行うようになった。
その時は、水の巫子候補生だけでなく、精霊たちの喜びの幻影を目的に集まった貴族の方々も、教会から覗くようにして見ているのだ。
それは別に良い。水の巫子の印象をより良いものに出来たら嬉しい。
しかし、気になるのは……マリー嬢とクラリッサ嬢、それからコリン様。
僕がキラキラとした微細な水の粒を撒き、精霊を喜ばせ、色彩鮮やかな蝶や魚の泳ぐ様を眺め、感謝している間。
マリー嬢は長細い机に大量の画板を載せ人々へ商売し、
クラリッサ嬢は即席で絵を描き広げドヤ顔をし、
コリン様はそれを大仰に褒め称えて宣伝をしているのだ。
この三人組は……一体何を?
「あれは……?」
「……またくだらぬ事を思いついたのだろう。放っておけ」
クライヴ様はそう言っておられたが、あまりに気になるので恐る恐る近付いて、積み重ねられた画板を見ると……、
「あっ!シュリエル様!これは、シュリエル様ではないですからね!新・リュミクス神様ですから!」
マリー嬢が叫ぶ。僕は眉根を寄せた。
そこには、どう見ても僕にしか見えない男神が、布を纏い羽を生やしていた。しかも、片胸が丸出し……。当然ながら彼女に見せた事は無い為、想像なのだろうけど……。
「ほう……これはなかなか」
「なかなか、じゃないですよ!これ、僕じゃないですか!あっ!こっちは、クライヴ様も……!?」
違う種類の紙を見れば、同じく僕みたいな男神が、クライヴ様に似た男性を弄ぶような図。それも、学生時代からぐんと画力をあげているから、かなりのクオリティである。ちょっと欲しいじゃないか。
「こんな破廉恥な……」
「これも一枚頂いておこう」
「クライヴ様!?あの、マリー嬢、これは……」
「あ、これは信徒を導くリュミクス神様の構図です。殿下とは関係は、ありませんので!没収はされないですよね!」
「ぐっ……」
そう言われてしまうと、そうなのか……!?
とにかくその数種類の、僕とクライヴ様によく似た絵は売れに売れたらしい。
だってクライヴ様も気にしていないどころか、全種類献上されてご満悦だ。マリー嬢は、クライヴ様の扱いをよく分かっていらっしゃる……!
……という僕も先ほどの、クライヴ様を弄ぶ僕風の絵を一枚頂き、こっそり懐に仕舞った。
「でも、クライヴ様、気にならないのですか?」
「シュリエルは確かに神に愛されているから新しい神像になってもおかしくはない。リュミクス神様も喜ばれるだろう」
「その、身体の一部が剥き出しになっていることは……」
「シュリエルとは違う。この身体はよくいる一般男性の身体だろう。クラリッサ嬢が参考にした誰かの。まるで色気がない。エロスというよりも神秘さを追求した絵だ、問題ないと判断する」
僕、神経質なのかな……?自分とよく似た人物が勝手に動いている感じがして微妙な気分になるのだけど。
その後、そそくさと後片付けをする彼らに話を聞いてみれば。
マリー嬢とクラリッサ嬢はビジネスパートナーとして、一緒に住んでいるらしい。マリー嬢は神官として、クラリッサ嬢は画家としての収入で生活している。
彼女たちはとても仲が良く、マリー嬢の考えた構図で、クラリッサ嬢が絵を描くと、素晴らしい出来になるのだとか。
最近では小物販売にも手を出そうとしているみたい。まだ試作段階だと言うので見れなかったけれど、何か隠しているような気がする。一体何を作るつもりなのだろう?
その彼女たちのスポンサーの一人がコリン様。彼は既に商人として独り立ちしているらしい。
僕は彼がクラリッサ嬢に恋慕していると思ったのだが、こそこそと聞いてみると、眉を怪訝に上げて答えられた。
『クラリッサ嬢に?ああ、彼女の絵は最高ですけど……性格は……ねぇ』
なんて含みのある笑いをしていた。うーん。そこはキッパリと線を引いているらしい。
とはいえあの胸のモデルはコリン様のような気がしてならないのだが、……そっとしておくことにする。三人が仲良しなのが一番だ。
彼らと別れた後は、僕だけ教会に併設されている宿舎へ寄る。
神官の教育者となったアランはこちらで、主に魔力増大の起こりやすい幼年の子らを指導しているのだ。
「あっ、シュリエル!久しぶり~!」
「アラン!久しぶり。今、大丈夫?」
「もちろん。休憩中だったよ~!」
にぱっと笑ってこちらに駆けてこようとするものだから、僕は慌てて制する。そんなことをしたら!
「あっ!」
案の定、転んで……っ!
……あれ。思わず目を覆いそうになったが、大丈夫だった。
アランは無事、誰かに支えられている。
「………。」
それは聖騎士だった。神官を守り、時に魔物の討伐も行う、教会に属する騎士。
彼はアランを難なく支えて、ふわりと着地させていた。その鮮やかな身のこなしは、もうアランが転ぶことを予測して動いていたことと、アランを抱き起こすのに熟練していることを確信させた。
「わお……」
「ごめんごめん、ライナス。シュリエル、こちら、僕付きのライナス。いつもお世話になっているんだぁ」
てへへ、と笑って照れているアランが可愛い。ライナスと紹介された彼はかなりの強面で、無口なタイプらしい。ピッと口元を引き締めて控えめに礼をし、また存在感を薄くする。
アランと共に、庭へ出た。庭師の入っていない、素朴な花壇が可愛らしい。
薬草畑が遠くに見えて、遊んでいる子供達も眺められる横長の椅子に腰掛けた。
様々な輝きの聖銀色の髪が風に靡いている。元気に駆け回る顔に、修行の辛さなど微塵も浮かんでいない。
きっとアランはルルーガレスで受けた修行そのままではなく、軽めの負担になるよう調整しているのだろう。
未来の明るさに頬を緩ませる。ここは爽やかな風も受けられて、気持ちの落ち着く場所だ。
そこに、ライナスが机を軽々と運んできてくれたから、僕はいそいそとティーセットを用意した。
他にもシスター達が居るとはいえ、子供達のお世話は体力がいるだろう。そんないつも大変なアランを癒したくて、訪問する時は僕がこういう細々としたものを用意する。
しばらく閑談に興じた後、思い切って聞いてみる。
「アラン、アラン付きの聖騎士って、どういうこと?」
ライナスは少し離れていることを、視界の端に確認しながら。
うずうずとしていた僕の興味津々な視線を感じたのか、アランはもちもちした頬を、薄く紅に染めた。
「いや、枢機卿がね。これからは威厳も必要だって、彼を付けてくれたんだ。ほら、僕の顔って頼りない感じだからさ、多分、ライナスのピリッとした感じで威厳を出そうとしたんじゃないかな」
僕はそう、なんて言ってにっこりと笑顔を作ったけれど、それ、多分、半分違うと思うなんて、言えなかった。
教育者の威厳は必要だから、転ぶ姿をあまり見せないように、アランの 転倒防止要員として付けたんじゃないかな……?
「僕もアランのこと心配していたから、ホッとした。保護者がついてくれて」
「ほ、保護者じゃないよっ!もう、シュリエルったら……」
気まずそうにずずず、と薬草茶を口に含むアラン。ジタリヤ様の用意したお茶請けも、ここぞとばかりに食べていて、微笑ましい。
「はぁ~美味しいっ!もう、本当、ジタリヤ様はほんと多才。ねぇ、いくつかもらってもいい?子供達にも配りたいんだ」
「あ、もちろん。その分は別で持ってきているから安心してね。ジタリヤ様に言っておくよ。とっても喜ぶと思う」
「はぁ~っ、ありがとう、シュリエル!ジタリヤ様にも伝えておいて!」
アランはほっと肩の力を抜くと、小さな声で話しだした。
「実はね、ああ見えてライナスも、お菓子好きなんだよ。見た目はとても厳ついけど、優しいし、子供好きだし、気遣い屋さんで。その、すっごい……気になっているんだ」
「やっぱり?うんうん!それで?」
「僕がちょっと神官らしくなくても何にも言わないでくれるし、その、僕が寝るまで部屋にいてくれるんだけど……前にね、一回、頭を撫でてもらってたんだ。寝ている間に。それでもう、かなり意識しちゃって」
「わぁああ……っ、それは、ドキドキするかも」
アランは興奮するうちに、そこにライナスがいることも忘れて、声が大きくなってしまっているのに気付かず、話し続けていた。
チラリと見たライナスの顔が、真っ赤になっているのを見つけて、僕は満面の笑みになった。
この二人。……とても、相性が良さそうだ。
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