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第2部 最終章 始と終のリベレーション
第312話 変わること と 変わらないもの
しおりを挟む「ゆり、何読んでるんだ?」
それは、もう遠い昔の記憶──
まだ小さい子供たちを寝かしつけたあと、テーブルに向かって白い本を読んでいたゆりに侑斗が声をかけた。
「本か?」
「違うよ。これは、本じゃなくて日記帳」
ゆりが笑顔で返すと、侑斗はふと思い出す。
結婚したとき、これだけは手放せないと、ゆりが家から大事そうに持ってきたそれは、亡くなった実のお父さんの日記帳らしい。
「人の日記読むなんて、悪趣味じゃないのか?」
「いーの、私娘だし」
「俺は娘に自分の日記、読まれたくないけどな」
「侑斗さん、日記帳書いてるの?」
「書いてないけど」
「ふふ……この日記にはね、生きるためのヒントみたいなのがいっぱい詰まってるの。それと一緒に、お母さんと私への愛情もいっぱい詰まってる。私ね、本当は産まれてくるはずじゃなかったんだ」
「え?」
「私のお母さん、名家の一人娘だったっていったでしょ。跡継ぎ問題とかで結構辛い思いしたみたいで、子供を持つのが怖かったみたい。だから、一生、二人だけでいるつもりで、お父さんたち結婚したの。でも、10年くらい2人だけで過ごしたあと、ある時お母さんが、子供が欲しいっていいだしたんだって……お父さん、すごく嬉しかったって日記に書いてた」
目を細め懐かしむゆりの姿に、昔少しだけ話してくれた、ゆりの父親のことを思い出した。
ゆりの実の母親は、名家の一人娘で、父親と駆け落ちして一緒になったらしい。
だけど、その父親は、ゆりの同級生の男の子を事故から助けたあと、亡くなってしまったらしく、子供一人の命を救って、この世を去った父に「死に際までカッコイイお父さんだった」そういったゆりの言葉が、ヤケに印象に残っていた。
「人生って何が起こるが分からないよね。結ばれるはずがなかった二人が結ばれて、産まれるはずがなかった私が生まれて……お父さんの人生は、決して平凡な人生じゃなかったかもしれないけど、この日記帳にはね、辛い出来事だけじゃなくて、幸せだったこともたくさん書いてあるの。だから、読むと励まされるんだよね。暗闇の中にいて見えないだけで、出口は目の前にあるんじゃないかって思えてくる。だから、定期的に読み返したくなるの。落ち込んだ時とか……」
「ゆりも、落ち込むことあるのか?」
「あるに決まってるじゃん。私の事なんだと思ってんの!」
「いや、お前いつも楽しそうに笑ってるから、初めてあった時も、まさか家出娘だなんて思いもしなかったし」
飛鳥が、ミサの元から逃げ出した件で、初めてゆりに会った時、ゆりはとても朗らかに笑っていた。
だからか、きっと入院していなければ、その家庭の事情にはきづけなかったと思う。
「うーん……確かにそうかもね。でも、私は、ただこの世で最も不幸な人間にならないようにしてただけだよ」
「この世で最も……不幸な人間?」
その言葉に、侑斗は目を見開く。
「うん……侑斗さんはわかる? この世で最も不幸な人間が、どんな人なのか?」
第312話
変わること と 変わらないもの
◇◇◇
「──というわけで、この世で最も不幸な人間とは、どんな人でしょうか!」
「「「…………」」」
時は戻り、クリスマス・イブの夜。
テーブルを囲んで和気あいあいとする子供たちの前で、侑斗が突然声を上げた。
いきなり、はじまったわけも分からない質問コーナー。それを聞き子供たちは顔をしかめる。
「いきなり、なに?」
「まさか、もう酔っ払ったの?」
「いや、まだ一滴も飲んでないからね!」
華と飛鳥が顔を顰めながら、そう言えば、侑斗はお酒のせいではないことを主張する。
すると、それからまた少しだけ改まった侑斗は、穏やかな表情を浮かべて話し始めた。
「最近色々あったし、いい機会だから話しておこうとおもってな」
そう言って、いつものように優しく微笑んだ父は、どこか寂しそうに……だけど、同時な誇らしげな笑みを浮かべていて、その雰囲気に何かを悟ったのか、子供たちは、ただ黙ったまま耳を傾けた。
「これから、お前たちは大人になる。飛鳥はあと一年もすれば社会人だし、華と蓮もそろそろ自分の進路を真面目に考えなきゃいけない。エレナちゃんには、まだ先の話かもしれないけど、これからは自分で自分の夢を見つけて、大人になる準備をしていかなきゃいけない。……そして、大人になれば、いつかお前たちも、この家から出ていくことになる。だから、大人になる前に、これから先の未来について話しておこうとおもう」
「……っ」
その言葉に、子供たちが同時に顔を見あわせた。
空気が変わり、辺りがしんとする。
家を出ていく──
それはいつか来るかもしれない未来。
家族がバラバラになる──未来。
「この家、居心地がいいんだよな。海外から帰って来る度に思うよ。だけど、これから先お前たちは、俺の元から巣立っていく。学校を卒業したら、仕事をして、いつか結婚でもしたら、別の家庭を作るかもしれない。人生はな、変化の連続なんだ。人だけじゃなく社会も変わっていく、文明も進化する。いつまでも変わらずいたら、人は成長をやめてしまう。だから、変わることは悪いことじゃない。それと同時に、世の中は移り変わるものだけど、それとは別に"変わらないもの"もあるんだってことを、覚えていて欲しい」
「変わらないもの?」
「あぁ、俺たち家族の絆だ」
瞬間、子供達は目を見開いた。
「家族って、一緒に暮らしてるから家族ってわけじゃない。血の繋がりとか、そんなのも関係なく、心が繋がってるから家族なんだ。だから、この先お前たちが巣立ってバラバラに暮らすことになっても、俺たちの心はずっと繋がってる。それだけは、この先も絶対に変わらない」
その父の言葉に、じわりと胸の奥が熱くなる。
変わりたくなかった。
だから、変わることを、ずっと、後ろ向きに捉えていた。
でも、刻々と変化していく日常に、すこしずつ受け入れ始めた子供たちを見て、父がかけたその言葉は、染み入るように、心を温かくして言った。
「ねぇ、ひとつ聞いていい?」
すると、父を見つめて、飛鳥がぽつりと呟いた。
「もしかして、父さんが、海外転勤決めたの……俺のためだった?」
その言葉には、双子たちも静かに反応する。
当時、不思議に思ったものだった。
この過保護な父が、海外に行くと決めたときは
「……そうだな。飛鳥のためであり、俺のためでもあった。俺は昔、飛鳥にすごく酷いことをした。お前が必死に伸ばした手を振りほどいて、俺は出ていった。あの時のことは、今でも悔いてる」
「……」
「あれからお前は、家族に執着するようになって、独りになるのを怖がるようになって、もう二度と家族が離れ離れにならないように、必死に守ろうとしてるのを、ずっと見てきた。だから、飛鳥が望むなら、ずっと傍にいてやろうと思ってた。でも……でも、それじゃダメだと思ったんだ。どうしたって、親である俺はお前たちより先に逝ってしまうから……だから、俺がすべきことは"罪滅ぼし"じゃなくて、お前たちが安心して生きていくために、何をしてやるかだって考えた」
消えない傷を植え付けて、置いていかないでと、脅えている子供に、何をしてやれるだろう。
そう考えた時、できることは、それを証明してやることだった。
置いてなんかいかない。
どんなに離れていても、この心は変わらない。
例え、地球の裏側にいても
俺は、お前たちの父親だ──と。
「飛鳥……俺は、もう二度と、お前たちの見捨てたりしない。例えどんなに遠く離れていても、俺はずっと、お前たちの父親だ。それは、お前たちが大人になっても変わらない。だから、安心して大人になれ──」
そういった父の言葉に、飛鳥は海外に行くと話された時のことを思い出した。
『本当にいくの?』
そう言って、不安げな表情をうかべた飛鳥に
『そんな顔するな。会いたくなったら、いつでも帰ってきてやるから』
そう言って、頭を撫でてきた父は、文字通り、何かある度に帰ってきた。
無断で帰ってきて、驚いたこともあったけど、そうすることで、何年と時間をかけて、息子に植え付けた"傷"を塞いできてくれたのだと思った。
お前は、一人じゃないよ──と。
「それと、もう一つ。大人になるお前たちに、ゆりが昔、俺に教えてくれたことを話しておこうと思う」
「え? お母さんが?」
「あぁ、さっき質問しただろ。この世で最も不幸な人間はどんな人間でしょうかって。この前のミサとの一件があって、ふと思い出したんだ。ゆりが話していたこと。……ゆりは、世間一般的に見れば"不幸な子"だった。大好きな親に先立たせれて、顔も知らない親戚に引き取られて……でも、ゆりは、どんなに周りから不幸な子のレッテルをはられても、自分が不幸な子だと決めつけなかった。でもそれは、この世で最も不幸な人間が、どんな人間か知ってたからだ」
すると侑斗は、最愛の妻のことを思い出しながら……
「ゆりは言ってたよ。この世で最も不幸のは……自分の幸せに気づけないことだって」
「……え?」
「人はな、不幸を見つける天才なんだ。幸せになりたいなんて言いながら、不幸にばかり目がいって、今ある幸せには、なかなか気づけない。でも、ゆりはそうじゃなかった。辛い生活の中でも、幸せを見つけられるやつだった。美味しいもの食べて美味しいと言えて、友達と遊んで楽しいと笑える。そして自分が生まれてきたことを……自分が、実の両親に愛されていたことを、誇りに思ってた」
義理の親との辛い環境の中で、ゆりの心を唯一保っていたのが、あの父親の日記帳だった。
いつ死んでもいいと、人生を悲観しながらも、それでも、一つ一つ積み重ねた小さな幸せのおかげで、ゆりは優しさを失わなかった。
そして、その優しさが、あの日、飛鳥を救ってくれた──
「自分の幸せをみつけられる人は、心に少し余裕ができる。心に余裕が出来れば、人は人に優しくなれる。そして、人に優しくできる人は、回り回って、誰かの優しさがかえってくる。ゆりは、飛鳥に出会って救われたって言ってたよ」
「え?」
「飛鳥は、自分のせいでゆりが刺されたと思っていたかもしれないけど、ゆりは、刺されて入院したことですら『家出娘に衣食住提供してくれてありがとう』なんて言う子でな。飛鳥を責めたことは一度もなかった。むしろ、今の幸せがあるのは、飛鳥のおかげだって……飛鳥に出会わなければ、俺にも華と蓮にも出会えなかったって……飛鳥がいてくれたおかげで、私は今こんなにも幸せだって」
「……っ」
その言葉に、じわりと涙が浮かぶ。侑斗は、そんな飛鳥をみつめて、また微笑むと
「これから、お前たちは大人になる。でも、大人になっても、辛いことや苦しいことがなるなるわけじゃない。だからこそ、ゆりのように、幸せを見つけられる人間でいなさい。この世で最も不幸な人間にならないよう、それだけは心の片隅に置いておきなさい。そして、もしも、自分が最も不幸な人間になってしまったと思ったら、その時は、心が助けを求めていると思いなさい。ミサはまさにそんな状態だったと思う。人を僻んで妬んで、今手にしている幸せには全く気づけなかった。そして、そうなってしまったら、もう一人じゃ、どうにもできない」
「………」
「大人って、子供からみたら立派な人間に見えるかもしれないけど、決してそんなことはないんだ。大人だって、一人じゃ生きていけない。知恵がついた分、力がついたぶん、できなかったことができるようになった分、支え合うのが、本来の大人の姿だ。だから、一人でなんとかしなきゃって塞ぎこまなくていい。辛いことがあれば、頼ればいい。そして、立ち直った時は、今度はお前たちが、──誰かを支えてやればいい」
希薄になった人々の在り方。
だけど、そんな世の中が、もっと明るいものに変わったら、どんなにいいだろう。
誰だって弱い部分がある。
立ち直れない時もある。
だけど、その人の弱さを認めて
支え合える世の中になったら
どんなに、幸せだろう。
「未来には不安もあるだろうけど、同時に可能性も沢山ころがってる。今の社会を変えていくのは、今の若者達と、これから大人になる子供たちだ。だから、古い考えに惑わされず、新しいものを受け入れていきなさい。変わること怖がらなくていい。俺は、いつだってお前たちの味方だから、お前たちが、自分らしく世の中を生きられることを、心から願ってる」
優しく微笑んだ父の姿に、微かに母の面影を見たような気がして、母の願いでもあるのだと思った。
大人は愚痴ばかりだ。
だけど、そんな話ばかり聞かされると、子供たちは不安になる。
未来に希望をもてなくなる。
だけど、そんな大人の言葉を間に受けず
自分の心のままに進んでいきなさいと
父は言いたいのだろう。
「なんか、辛気臭くなっちゃったな……」
すると、少しだけ苦笑して、父はそう言うと
「というわけで、神木家恒例、人生ゲームを始めまーす!!」
「「!?」」
瞬間、明るい声を発しながら、どこからともなく、人生ゲームの箱を持ち出してきた。
「え!? ちょっと待って! 今までのいい話は!?」
「え? 人生ゲームはじめる前フリ! 昔はよくやってたよなー。でも、最近さっぱりだったから、最新版買ってきました! エレナちゃんは、人生ゲームやったことある?」
「うんん、ない」
「なら丁度いいな。 はい! この人生ゲームには、さまざまな不幸な出来事がつまってます。そこで、さっきの教訓を元に、神木家独自のルールを定めます! もしも、不幸なマスにとまったら、5秒以内に超ポジティブシンキングに切り替えてください。その不幸を幸せに変換出来たら2マス進めます。できなかったら5マス戻ります!」
「「」5マス戻る!? 何、その意味のわからないルール!?」」
箱からだして準備を始める侑斗は、その人生ゲームにまた独自のルールをつけ加えてきて、双子が困惑する。
「ていうか、不幸を幸せにって、かなり難しいじゃん!」
「それじゃ、なかなかゴールできないよ!」
「一つ例題だすなら『事故にあいました→でも、無傷だったからラッキー!』みたいな感じかな? 大丈夫、大丈夫! 出来たら2マス進めるんだから。それに、人間そう簡単にポジティブにはなれないからなー。こういうのはシュミレーションが大事なんだぞ! そんなわけで、じゃんけんするぞー!」
けっきょく流されるままジャンケンをして人生ゲームが始まって、その後、山あり谷ありのゲームの中で、あたふたとする家族を見つめながら、飛鳥は横に座るエレナに話しかけた。
「ごめんね。うちいつもこんなのノリで」
「うんん! 凄く楽しい!」
エレナがにっこりと笑えば、飛鳥もその笑顔を見て、優しく微笑んだ。
穏やかで、楽しくて、暖かい家族とのクリスマス。ただ、その間も
時折思い出すのは……
「あのさ、エレナ。一つ聞いていい?」
「?」
すると、エレナが小さく首を傾げると、飛鳥は、そんなエレナの耳元に静かに囁きかけた。
12月24日のクリスマス・イブ。
その後も神木家では、明るく賑やかな家族の声が響く。
いつもと変わらない、家族との時間。
だけど、いつものクリスマスとは
ほんの少しだけ違う夜が
始まろうとしていた──
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