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最終章 箱と哀愁のベルスーズ
箱と哀愁のベルスーズ ㉕ ~ 優秀な男 ~
しおりを挟む「40歳以上にしろと、言っただろ!」
この青年を雇いたい──そう言って、洋介に履歴書を手渡せば、洋介は案の定、激怒した。
私室では、テーブルを挟み向き合う私と洋介がいて、その傍らで、メイドの戸狩と秘書の黒澤が、何も言わず静観していた。
そして私は、抱いたペルシャ猫を撫でながら、激高する洋介に反論する。
「この子が、一番優秀そうだったのよ」
「だからって、19歳だぞ、19歳! 結月と二つしか違わないじゃないか!」
年頃の娘の側に、年頃の男が仕える。
しかも、親の目の届かない屋敷の中で。
オマケに羽田の件があるからか、洋介が慎重になるのは当然だった。でも、私は
「あのね、洋介。19歳だろうが、45歳だろうが、手を出す奴は出すし、出さない奴は出さないのよ。要は、その人の人格の問題でしょ。それに、この子の経歴見てみなさいよ。成績も優秀だし、運動神経も抜群。おまけの語学も堪能。その上、執事学校を首席で卒業してるのよ。まさに、阿須加家にふさわしい完璧な執事じゃない」
「……っ」
私が、履歴書を突きつけ、そう言えば、洋介は言葉を噤んだ。
名門・阿須加家にとって、執事の優秀であることは、絶対条件だ。そして、今回は、前任であった羽田の不祥事を払拭させるためにも、羽田以上の優秀さと誠実さを求められる。
だが、その五十嵐という青年は、羽田を遥かに凌駕するほどの学歴と特技を身につけていた。
この若さで、ここまで卓越した人物は、なかなかいないだろう。だから洋介も、わずかに気持ちが揺らいでいるのかもしれない。履歴書を睨みつけながら、暫く考え込んでいた。
そして、ここまでくれば、あと一押しだと思った。
「これだけ優秀な子なら、引く手数多でしょうね。今のうちに雇っておかないと、あっという間に他の名家に奪われちゃうわよ。それに、結月の執事として仕えさせるのも、たかだか数年の話でしょ」
「数年?」
「そうよ。結月も春には18歳になるわ。あの事故から、8年がたって、餅津木家との婚約の話を、また立ち上げる気でいるのでしょう。なら、この男が、結月に仕えるのも、せいぜい冬弥君と結婚するまでの間よ」
「…………」
私の言葉に、洋介は納得したのか、一切、崩さなかった拒絶の姿勢を、微かに緩めてくれた。
なにより、婚約の話は、もう目前に迫っていた。
ホテル経営が、上手くいっていないからか、洋介は、餅津木家の融資を目的に、結月が18歳になったら、再び冬弥君と会わせようと考えていた。
そして、そうなれば、結婚までは、秒読み段階。
できるなら、破談にしたかったが、大旦那様が既に認めた相手となれば、そう簡単にもいかない。
なにより、破談にする理由がなかった。
あの日の事故は、白木の解雇と同時に、闇に葬られてしまったから──
「確かに、優秀な男なのは認める。だが、あまりにも顔が良すぎる」
「え?」
だが、その後、洋介が予想外の言葉を口にして、私は呆気にとられた。
顔が良すぎる?
まさか、見た目について言われるなんて。
「顔がいいのが、気に食わないってこと? そんなのただの僻みじゃない。それとも、ブザイクな男を、結月の傍におけというの?」
「違う、そういうことじゃない! だが、この男、冬弥くんより見た目が整ってるじゃないか!! 万が一、結月が、この男に恋心でも抱いたらどうするんだ!?」
「………」
あぁ、なるほど。
今度は、そっちの心配か。
必死に力説する洋介に、私はある意味納得する。
確かに、婚約者より、カッコイイのは考えものよね?
だが、私だって、ここで負ける訳にはいかない。
「大丈夫よ。あれ以降、結月が、私たちに逆らった事があった? あの子だって、いつか婚約者ができるって、しっかり理解してるわ。それに、顔がいいなら、結月の執事を終えたあとも、利用できるじゃない」
「利用?」
「そうよ。結月の執事を終えたあとは、ホテルで、コンシェルジュとして働かせればいいわ。もしくは、この別邸の執事にするとかね。この優秀な男を、私たちの好きなようにできるの。なら、ここで手放すのは、もったいないじゃない」
「ニャー」
私が更に言及すれば、ユヅキが、後押しするように一鳴きした。すると、その後考えこんだ洋介は、ついに納得したのか。
「……確かに、この男なら、お客様からの評判も良さそうだな」
ポツリと呟いたそれは、あの『悪しき風習』のことを言っているのだろう。若くて秀麗なこの子なら、接待要因としても申し分ないから。
でも、阿須加家の執事として仕えたが故に、その風習の餌食になるかもしれないなんて、この子は、全く思っていないだろう。
だけど、仮に洋介が、それを目論んでいたとしても、雇う気になってくれたのであれば、こちらとしては都合が良かった。
「じゃぁ、雇っていいのね?」
「あぁ、但し、前以上に注意しろ。執事が、結月に邪な感情を抱かないように!」
「えぇ、わかってるわ」
手厳しく注意した洋介は、その後、黒澤と一緒に部屋から出ていって、私は、膝の上でくつろぐユヅキの背を優しく撫でた。
「そんなに、お気に召したのですか、その男を」
すると、二人だけになった私室の中で、戸狩がぽつりと囁く。
たかだか使用人一人の雇用に、ここまで、熱く議論を交わしたのだ。戸狩には、珍しい光景に見えたのかもしれない。
「そうね。だって、この子、とてもハンサムだし。それに、似てるのよ。昔、私を助けてくれた男に」
「助けてくれた男、ですか?」
「えぇ、私を救ってくれて、私のわがままを聞いてくれた。それに私、こういう顔、好きなのよ。戸狩だって、一緒に働くなら、イケメンの方がいいでしょ?」
「いいえ。私は、特に顔は気にしません」
「あら、相変わらず真面目ね、戸狩は」
クスクスと笑いながら、私は、再びユヅキの毛並みを撫で、微笑んだ。そして、先程の履歴書を、改めて戸狩に差し出すと
「戸狩。この五十嵐という男に連絡をとってくれる。来週、採用をみこして、正式な面談をしましょう」
「ニャー」
するとまた、ユヅキが一鳴きし、戸狩が書類を受け取った。
だけど、この時の選択が、後に大きな後悔を呼ぶことになるなんて、この時の私は、まだ知る由もなかった。
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