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最終章 箱と哀愁のベルスーズ

箱と哀愁のベルスーズ ⑯ ~ 牽制 ~

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「あの、結月様を、見かけませんでしたか!?」

 それは、私がちょうど席を外した時のこと、戸狩と共に、化粧室から戻った際に、使用人たちに声をかける白木の姿があった。

 白木は、結月のナースメイドとして、本家の集まりに同行していた。それなのに、その白木の傍に、結月の姿はなく
 
「どうしたの?」
「お、奥様……っ」

 声をかければ、白木は、私を見るなり表情を強ばらせ、その後、深々と頭を下げてきた。

「申し訳ございません! 実は、結月様が、突然いなくなってしまわれて」

「いなくなった?」

 白木の話では、ほんの数分、席をたった合間に、宴会があった広間からいなくなってしまったらしい。

 しかも、その後、斎藤と一緒に屋敷の中を探し回ったらしいが、結月は見つからず、白木は、まさに顔面蒼白と言った感じだった。

「御手洗にいかれたあと、戻る部屋が分からなくなってしまったのでは?」

「そうかもしれません。この屋敷は、とても広いので」

 私の横にいる戸狩が白木に声をかける。
 白木は、ひたすら結月の身を案じていた。

 無理もない。屋敷の中とはいえ、当主の娘がいなくなったのだ。なにかあれば、大問題。

 だが、間違いや失敗は誰にでもあることで、ここで白木を咎めている暇があるなら、すぐにでも結月を探した方がいいと思った。

「庭の方は探したの?」

「いいえ、まだです」

「じゃぁ、白木は斎藤と一緒に庭の方を探して。屋敷の中は、私と戸狩が探すから」

「わ、分かりました! ありがとうございます、奥様!」

 再度、頭を下げた白木が、パタパタと庭の方へかけ出せば、私は戸狩と共に、屋敷の中を探しまわった。

 悠然とした武家屋敷の中は、少し入り組んだ構造になっている。

 似た部屋も沢山あるため、まるで迷路のように、自分の居場所が分からなくなることがある。

 なにより、私ですら、まだ全て把握できていないのだ。なら、滅多にこの屋敷に訪れない、結月が迷子になるのは当然だった。

「失礼します。うちの結月を見かけませんでしたか?」

 その後、屋敷の廊下で、親類の一人とすれ違った。
 恰幅のいいその男は、洋介の従兄弟あたる人。
 すると、その人は

「あぁ、そういえば、離れの方に行くのをみたよ」

「離れ?」

「あぁ、と一緒に」

「……っ」

 その瞬間、ゾワリと肌が粟立った。

 義兄が、結月を連れていった?
 一体、なんのために?

 息が止まる思いがして、それでも平静を装うが、脳裏には、あの日の光景が否応にも蘇ってくる。

 ホテルに呼び出され、無理やり押し倒された時の、あの恐ろしい光景が──
 
「結月ッ」

 その瞬間、着物姿にも関わらず、私は離れの方へ駆け出していた。

 離れは、宴会があった広間から、遠く離れた場所にある。本邸から渡り廊下を通り、人目につかない奥まった場所。だから、白木たちが見つけられないのも無理はなかった。

「結月! どこにいるの!?」

 その後、離れまでくると、私は、その建物の障子を片っ端から開けまくった。

 その姿は、いつもに増して険悪で、私の慌てように、戸狩は驚いているようだった。

 でも、そんな戸狩に気づきつつも、私は、ひたすら結月の名を叫んだ。そして、いくつかの部屋を確認したあと、やっと結月を見つけた。

「結月!!」

 襖を開けば、その中には、長次郎と一緒にお手玉をしている結月の姿があった。

 そして、その周りには、長次郎の息子たちもいて、子供たちを連れて、みんなで離れに来たのだとわかった。

「お母様?」
「どうしたんだ、血相を変えて」

 でも、長次郎のその手は、結月の手を掴み、ちょうど、お手玉を渡すところで、私は、それを見た瞬間、咄嗟に長次郎の手を払い除けた。

「触らないで!」

 そう言って、結月を引き離すと、長次郎は、叩かれた手の痛みを押さえながら、私を見つめてきた。

 目が合えば、また恐怖がせり上がってくる。
 でも、ここで、ひるむ訳にはいかなかった。

 私が、ここで弱さを見せれば、更に、付け上がるだけだから。

「うちの娘を、勝手に連れ出さないでください」

「何を怒ってるんだ。ただ、遊んでいただけだろうに」

 ただ遊んでいただけ──そう言った長次郎を、私は、よりキツく睨み返す。

 ただ、遊ぶだけなら、わざわざ離れまで連れてくる必要なんてない。

 親や使用人たちにも伝えず、結月を連れ出したのは、結月を懐柔するためだ。

 幼い頃から手懐けて、年頃になってから食らうつもりなのか、はたまた自分の息子たちに、あてがうつもりなのか。結月を手懐けようとしているのは、すぐに分かって、背筋が凍りつく。

 怖くて仕方なかった。

 他の者には、仲良さげに遊んでいた光景にしかみえないかもしれない。でも、私には、蜘蛛の巣に蝶が引っかかっているようにしか見えなかった。
 
 隙を見せたら、すぐに捕食される。
 大切なものを、最悪な形で奪われる。

 そう思うと、二度とここに連れてくるべきじゃないと思った。

「結月、来なさい!」
「きゃ!?」

 その瞬間、強引に結月の手を掴むと、私は結月を、その場から連れ出した。

 痛いくらい手を掴み、むりやり離れから本邸につれもどせば、結月は、私が怒っているのだと思ったのだろう、必死に謝ってきた。

「お母様、ごめんなさい! 勝手に宴を抜けたのは謝ります! でも、おじ様に誘われて、断るのは失礼かと思って……!」

 怯えるような声が、冷えた廊下に響く。
 今の結月は、まるで、あの時の私だ。

 断る訳にはいかないと、義兄のあとに、のこのこついて行った、あの時の私と同じ。

 結月は、何も悪くない。 
 でも、純粋に育ちすぎた。
 人を疑わない、優しい子に育ちすぎた。
 
 だけど、ここでは、優しいだけじゃ、生き残れない。
 弱いままじゃ、何も守れない。

「白木、斎藤!」

 その後、本邸まで来れば、私は白木たちを呼び出した。そして

「今すぐ、結月を連れて、屋敷に戻りなさい!」

「え? ですが、宴はまだ」

「いいから戻りなさいと言ってるの! それと、結月! あなたは、もう二度とここには来なくていいわ!」

「え?」

「金輪際、親族の集まりに顔を出すことは許さないと言ってるの! これからは、ずっと、あの屋敷の中に引きこもってなさい!」

「……っ」

 私がそう言い放てば、その瞬間、結月の目にはジワジワと涙が溜まり始めた。
 
「ご、ごめんなさい……! 私は、そんなにダメなことをしてしまったのでしょうか! ねぇ、お母さま、私、ちゃんとします! だから、怒らないで……お母様、ごめんなさい、ごめんなさい…ごめんなさい……っ」

 まるで、見捨てられるのは嫌だとでも言うように、結月は泣きながら謝り続けた。

 でも、私は、そんな結月を、強引に白木に押し付けると、慈悲の心ひとつ見せず、結月に背を向けた。

 なんて酷い母親だろう。

 今この瞬間、結月が、どれほどのショックを受けたか、分からない訳じゃなかった。
 
 でも、私には、もうこうするしかなかった。

 誰にも見せず、誰にも触れさせず、あの屋敷の中に、閉じ込めておくことしかできない。

(ごめんね、結月──)

 心の中で、何度と謝る。
 だけど、それが、結月に届くことはない。

 そして、その後の宴は、かなり騒然とし、親族たちの目は、ひたすら私に注がれていた。

 突然怒りだし、娘を追い返した冷酷な母親。

 それは、一昔前に、娘を殺しかけたという噂と相まって、まるで腫れ物を扱うかのように、皆が私を避けるようになった。

 あの女の逆鱗に擦れると、何をするか分からない。

 そして、そんな女が当主の妻でいいのか?と、同時に物議を醸し出したが、危険人物と周りが認識したから、あえて絡んでくるやからはいなかった。

 でも、その一連の出来事を見て、なにかに気づいた人物が、一人だけいた。

 それは、私の傍で、ずっとメイドをしていた──戸狩 夏子だった。
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