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第19章 聖夜の猛攻

愛されない子供たち

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「あの日、あなたが──私をことも」

「……っ」

 その言葉に、冬弥は息を呑んだ。
 
 酷く振盪しんとうし、それと同時に脳裏によぎったのは、あの忌まわしい記憶だった。

 目に焼き付いて離れない、幼い日の記憶。

 それは、8年前。
 結月と初めて出会った──あの夏の日の出来事。



 ✣

 ✣

 ✣






『冬弥。この娘が、お前の婚約者だ』

 俺が初めて婚約者の話をされたのは、まだ12歳の時だった。

 中学に入学して、初めての夏休み。将来、結婚する相手だと言って父が持ち出してきたのは、一般的にお見合い写真と言われる"身上書"だった。

 そして、その中には、この辺りでは知らない者はいないと言うほどの名家・阿須加家の名前があって、その名家の一人娘の姿が写っていた。

『婚約者の名前は、結月さんだ』

『結月?』

『あぁ。お前の二つ下で、冬弥は、阿須加家に婿入りするんだ。いいか、この婚姻は、餅津木家の将来がかかった大事な婚姻だ。だから、失敗はできない。わかるな?』

『はい』

 上機嫌で話す父は、やたらとご満悦で、俺はその話に素直にうなづいていた。

 でも、その時の結月は、まだ小学5年生で、俺も中学1年。はっきりいって、結婚というものを、あまり理解していない子供同士だった。

 だけど、俺の兄も、みんな親の決めた相手と結婚していたし、当時の俺は、さしたる疑問を抱くことはなく。
 むしろ、父に渡された婚約者の写真が、思いのほか可愛いくて『こんなに可愛い子が、妻になるならいいか』と、軽い気持ちで考えていた。


 ✣✣✣


『ようそこ、お越しくださいました、餅津木様』

 そして、夏休みが終わろうとする頃、俺は結月に会うため、初めて阿須加家に訪れていた。

 阿須加家専用のリムジンに乗り、父と義理の母と共にやってきたのは、とても大きくて優雅な屋敷だった。

 しかも、このデカい家に、結月は使用人たちを侍らせ、一人で暮らしているらしく、その話を聞いた時は、正直、羨ましいと思った。

 なぜなら俺は、父の妾の子で、母がでていってからは、かなり肩身の狭い思いをしていたから。

 俺の母は、餅津木グループで、父の秘書として働いていた女だった。

 若くて気立てのいい母は、父に献身的に尽くしていたらしい。そして、そんな母を父が気に入り妊娠させたことで、母は、正式に父の妾として餅津木家で暮らす事になった。

 だから、今俺がいる立派な"離れ"も、元は、母のために造られたものだった。

 正妻と妾の女が、あまり接触しないようにと、父の計らいで、建てた離れ。

 だが、それが逆に正妻である義母を不快にさせたらしく、義母と母の間には、常にいざこざが絶えなかった。
 そして、陰湿な義母の妾いびりは日増しにエスカレートし、ついに耐えきれなくなった母は、ある日突然、姿を消した。

 俺が、まだ5歳の時。母と一緒に普段通りベッドに入った、その翌朝、母はいなくなっていた。

《冬弥、ごめんね。あなたは、幸蔵さんのもとで、しあわせになってください》

 そんな平仮名ばかりの置き手紙を残して──


『全く、人の夫を寝とるだけじゃなく、可愛い我が子まで捨てるなんて! あなたのお母さんは、本当に酷い女ね!』

 そして、置き去りにされた俺は、義母に、よく母の悪口を聞かされた。オマケに、兄たちからは、母親に捨てられた妾の子と冗談半分にからかわれ続け、かなり窮屈な生活を強いられた。

 でも、それでも唯一救いがあったとすれば、父の幸蔵だけは、俺を愛し可愛がってくれたこと。

 だから、父の言うことは、なんでも聞いた。
 父だけは、俺の味方だと思っていたから。


 ✣


『まだ、子供同士ですが、これからゆっくり親睦を深めていけば、結月が18になる頃には、正式に結婚の話をしてもいいかもしれませんね』

 阿須加の屋敷に入れば、俺たちは結月の部屋に向かった。

 結月は今、二階の自分の部屋にいるらしく、俺は両親たちの話を聞きながら、屋敷の中を見回していた。

 庭も広くて優雅だったけど、屋敷の中は、これまた豪華絢爛で、こんなに豪勢な屋敷の主が、小学生の女の子だなんて、全く信じられなかった。

 だけど、相手は、明治から続く老舗旅館のご息女。ならば、ありえない話ではない。

 なにより、その長い歴史と風格を兼ね備えた本物のお嬢様である結月は、最近、成り上がったばかりの餅津木家、それも妾の子である俺とは、全く格が違った。

 だからこそ、当時の両親は、かなり阿須加家にへりくだっていたと思う。

 それでも、餅津木家が阿須加家との縁談に漕ぎ着けたのは、父が手を尽くし、洋介さんにとりいったからで、この縁談には、かなりの力が入っていた。

 だからこそ、絶対に失敗は許されなかった。

 ──コンコンコン!

『お嬢様。旦那様と奥様がいらっしゃいました』
『はい』

 部屋の前に立つと、メイドが扉を叩いた瞬間、中から女の子の声が聞こえてきた。

 いよいよかと、気を引き締め、先導する洋介さんと共に中に入ると、その部屋の奥には、可愛らしい女の子がいた。

 本を読んでいたのか、お淑やかに足を揃え、テーブルに向かっていた少女は、驚きつつ立ち上がった。

『結月、お前に紹介したい人がいる』

 そして、洋介さんにそう言われた瞬間、改めて、目の前の女の子が俺の婚約者である、阿須加 結月なのだと実感する。

 だけど、結月の方は、背後に控えた俺たち見て、酷く戸惑った顔をしていた。

 でも、それでも両親の前に近寄ってきた結月は、軽くスカートを持ち上げ、品よく挨拶をする。

「お父様、お母様、ご機嫌麗しゅうございます。久方ぶりのご来訪、結月は心待ちにしておりました」

 親相手にするには、あまりにも他人行儀な挨拶だったが、そこにいるのは、まさに名家のお嬢様。まだ小学生でありながら、結月は、もう立派な淑女だった。

 だけど、そんな結月の態度が一変したのは、洋介さんに、婚約者として俺を紹介されたあとのこと。

 結婚の話に、一気に青ざめた結月は

『嫌です! 私は、結婚したくありません!』

 そう言って、激高した。

『何を言ってるんだ、結月!』

『ごめんなさい! 私、好きな人がいるんです! だから、あなたとは結婚できません!』

『やめなさい、結月!!』

 結月が、父親の洋介さんを無視して、直接俺に呼びかければ、洋介さんは、そんな結月の腕を掴み

『結月! なにをふさげたことを言ってるんだ!』

『ふざけてなどいません! お父様、私は好きでもない人と結婚したくありません! だから、婚約は』

 ──パン!

『……ッ』

 だが、その瞬間、部屋の中に乾いた音が響いた。
 目の前では、幼い結月の頬を洋介さんが引っぱたいていて、結月の瞳には、じわじわと涙がたまっていく。

『結月、お客様の前で声を荒らげるなんて、なんてはしたない。私は、そんな娘に育てた覚えはないぞ。今すぐ餅津木様に、無礼を侘びなさい』

『っ……育て……られてなんて』

 肩を震わし、凍えるような小さな声を発した結月は、その後、叱りつける洋介さんを振りほいて、部屋から飛び出した。

 そして、そんな結月の態度を詫び、洋介さんが俺たちに頭を下げる。

『餅津木さん、大変失礼致しました。日頃は、あのようなワガママを言う娘ではないのですが』

『いいえ。きっと学校に素敵な男の子がいるのでしょう。また日を改めて、お伺い致しますよ』

(なんなんだよ、アイツ……っ)

 洋介さんと父が話をする中、一方的にフラれてムシャクシャした俺は、その後、結月を追いかけた。

『おい、待て!』

 部屋を出て、結月を呼び止める。すると結月は、丁度、階段を下りる寸前だった。

『お前も聞いてたんじゃないのか、結婚の話!』

『聞いてないわ! メイドから、そんな話があるとは聞いてたけど、お父様たちからは何も聞かされてない! いつもそう、いつも勝手に決められて、私の気持ちなんて、何も考えて下さらない……っ』

 叩かれた頬を押えながら、結月は涙目でそう言った。今にも溢れそうな涙を見れば、少し可哀想だと思った。だけど俺は

『だとしても、結婚してくれなきゃ、困る!』

『そんなこと言われても、私の好きなは、あなたじゃないわ!』

『は?』

 私の好きな、モチヅキくん?

『何、言って』

『信じられない、よりにもよって、望月だなんて……っ』

『え?』

『とにかく、あなたには悪いと思ってるわ。でも私、好きな人と結婚の約束をしてるの』

『結婚って……お前、まだ小学生だろ!』

『そうよ。でも本気。大人になったら、迎えに来てくれるって、結婚しようって約束したの。だから、あなたとは結婚できないわ。それに、あなたはいいの? 好きでもない人と結婚させられて!』

『……っ』

 その言葉は、不意に胸に突き刺さった。

 俺だって、できるなら、好きでもない子とは結婚はしたくない。でも、それが当たり前だと思っていた。

 親の決めた相手と結婚する。
 それが、この家に生まれた宿命だと。

 それに、言うことを聞かなかったら、今度は父にも見捨てられる。

 そしたら、誰にも──愛されなくなる。

『仕方ないだろ! もう決まったことだ! それに、お前も、家のためを思うなら腹くくれよ!』

『そうよ、全部家のためよ! この阿須加家のため! この縁談も何もかも! もう嫌なの、お父様たちの言いなりになるのは……っ』

『……っ』

『私、愛されてないの。だって、本当に子供のことを思うなら、政略結婚なんてさせないはずでしょ。嫌がっても、ひっぱたいたりしないわ……ねぇ、あなたは、ご両親に愛されてる? あなたの親は、夢を見せてくれる? 私と結婚して、あなたは本当に幸せになれるの?』

『っ……』

 幸せに──その瞬間、母の手紙を思い出した。

  母の最後の手紙には『しあわせになってください』と書かれていた。

 でも、俺、これまで幸せだったっけ?
 辛いことしか、なかった気がする。

 でも、こうするしかなかったんだ。
 決められたレールの上を走るしかなかった。

 夢だって、どうやって見れっていうんだ。
 
 きっと、幸せな夢を見れるのは、愛されて、満たされてるやつだけだ。

 俺みたいに、愛される価値のない人間は
 生まれながらにして、蔑まれる人間は
 母親にすら、捨てられるような人間は

 父親の愛わずかな光に、すがるしかなくて。そして、それすらもなくなってしまったら──

『ねぇ、ご両親に愛されてるなら、あなたからも話してくれない? 私とは結婚したくないって! お願い! そうすれば』

『ッ──うるさい!! 俺だって、お前なんかと結婚したくない! でも、言えるわけないだろ!! 言うこときかなきゃ、俺はあの家で、生きていけなくなるんだから!!』

『きゃッ──!』

 瞬間、怒りに任せに、結月を突き飛ばせば、結月はよろめき、階段から足を滑らせた。
 まるで、スローモーションのように、ゆっくりと結月が遠のいて

『ぁ、──』

 マズイ。そう思った瞬間、咄嗟に手を伸ばした。だけど、その手は空を掴んだだけで、結月は、そのまま後に倒れ、階段から転がり落ちた。

 ドタドタと響く衝撃音。そして、しばらくして階段下を見下ろせば、そこには、横たわり血を流す結月の姿があった。

 ピクリとも動かなくなった結月の頭からは、じわじわと血が溢れだして、赤いベルベットの絨毯を、より濃い色に染めていく。

『お嬢様!!』

 そして、メイドが一人、結月の傍に駆け寄った瞬間、俺は、その場にズルズルとへたりこんだ。

『ぁ、あ……俺……っ』

 婚約者を、突き飛ばした。
 父の言うことを聞けなかった。

 なにより、人を殺してしまったかもしれない。

 その恐怖に、目の前が真っ暗になった。


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