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第18章 巫山の夢
穏やかな午後
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昼食を終え、一段落つくと、結月はバイオリンを持ち出した。
音楽は、レディの嗜みとして、幼少期から続けているものの一つだ。
初めに教わったのはピアノ。
ほぼ記憶にはないが、3歳の頃かららしい。
その次に習ったのは、フルート。
なぜ、フルートだったのかは分からない。
両親に決められたから。
だが、最後に始めたバイオリンだけは、結月が自分で選んだ楽器だった。
フルートとほぼ同時期で、ほかにもお花やお茶、英会話など、様々な習い事をしていたにもかかわらず、妙に興味を惹かれた。
~~♪
自分が奏でるバイオリンの音を聴きながら、結月は目を閉じた。
この音色を聞いていると、心が落ち着く。
だが、それからしばらくして、部屋の扉がコンコンコンとリズムを鳴らした。
ピタリと手を止め、結月は扉に目を向ける。すると、中に入ってきた執事が「どうぞ、そのままお続けください」と目と仕草だけで合図してきて、結月はレオが部屋の中を移動するのを見つめながら、またバイオリンを弾き始めた。
(本当に、普段通りね……)
まるで、記憶をなくしていた頃のように、優雅で穏やかな午後。
燕尾服をゆらしテーブルまで移動したレオは、手にした銀のプレートから、美しく盛り付けられたデザートを手に取り、それをテーブルの上にセッティングしていく。
その閑麗な姿は、結月とて見惚れてしまうほど。
だけど、普段以上に執事らしさを崩さないレオに、結月は複雑な気持ち心境を抱く。
「ねぇ、いつまでそんな感じなの?」
バイオリンを弾くのをやめ、結月はレオに問いかけた。すると、レオもまた結月に視線を戻す。
「そんな感じ、とは?」
「だって……せっかく、二人きりなのに」
日頃は言わないような言葉が、結月から飛び出して、レオは、ぐっと息をつめた。
好きな女にそんなことを言われたら、自分の理性なんて、あっという間に突き崩されてしまう。だが、そんなことになれば、せっかく用意した、このデザートも無駄になりかねない。
(さっきは、あんなにビクついてたくせに……)
己の中で湧き上がる感情を、必死に押さえ込むと、レオは静かに目を閉じた。
結月には、わからないだろう。自分が今、どれほど触れたいのを我慢しているか……
「人の気も知らないで……」
「え? 何か言った?」
「いいえ。それより、本日のデザートは、"パリ・ブレストのキャラメルアイス添え"です。お飲みものは、アールグレイをお持ち致しましたが」
「…………」
「……何かご不満ですか? バニラアイスの方がよかったでしょうか?」
「いいえ……キャラメルで大丈夫よ」
指一本ふれることなく、淡々とデザートの説明をを始めたレオを見て、結月はバイオリンをケースの中に片付け、その後、席へと着いた。
穏やかな午後の優雅なティータイム。
執事が作ったデザートは絶品だし、味わい深い紅茶は、他の誰が淹れたものよりも美味しいと感じる。
だけど、ほんのわずかな不満がそうさせるのか、それをじっくり堪能することは、今の結月には出来なかった。
✣
✣
✣
「にゃー!!」
池に錦鯉が泳ぐ立派な日本家屋の中。
レオの愛猫であるルナは、見慣れない人物に向けて毛を逆立てていた。
目の前にいる若い女性は、ルイがバイトをしているモデル事務所で、カメラマンのアシスタントをしている女性だった。
長い黒髪をした、スレンダーな彼女の名は、紺野 サキ。ルイと同い年の22歳。
ちなみに、忘れている方のために、念の為解説すれば、サキは、現在ルイが片思いしている相手で、先日の愛理の復縁騒動の際には、ルイが「ビンタして」と頼み込んだ相手でもある。
「にゃー!」
「ごめんごめん、ルナちゃん! 今日はルイ君、家にいないの! だから、私で我慢してー!」
警戒心を露わにするルナに、サキがあたふたと声をかける。
ちなみに、なぜサキが、ルイの家でルナを見ているかというと、ルイは現在、斎藤や恵美たちと共に、レオ達が暮らす家の大掃除に行っているからだ。
そして、それは数日前のこと。
サキは、ルイに
『あのさ、紺野ちゃん! 僕、今度、家を一日留守にするから、友人から預かっている猫をお世話をしてくれない?』
などと、いきなりお願いされた。
しかも、猫を見るのはいいが、サキのアパートは動物禁止だという話をすれば、あっさり『僕のうちで見てていいよ』なんて返された。
そんなわけで、ルイ不在のこの家で、サキは一人でルナの面倒を見ているのだが……
「もう、この前は、ビンタしろとか言ってくるし、今度は猫を見てくれだなんて。大体、ルイ君、私のこと信用しすぎじゃないかな。ただの同僚に、留守をまかせるなんて……っ」
警戒心むき出しな猫の世話に戸惑いつつ、サキは小さく愚痴をこぼした。
同い年とはいえ、ただの同僚に、留守を預けるなんて、自分にはそうは出来ない。
なにより、あの超がつくほどのイケメンフランス人に、必要以上に懐かれてしまったのが、サキには未だに理解できなかった。
(ルイ君て、変わってるなぁ。それとも、フランス人って、皆、あんな感じなのかな?)
だが、ルイから好意をいだかれているとは欠片とも気づかないサキは、結局、そこに終着する。
外国人の考えてる事は、よく分からないものだ──と。
「ルナちゃーん、ご飯だよー」
その後、ルナのご機嫌取りに、ルイが用意していたキャットフード(ちょっと高級)を差し出せば、ルナは威嚇をやめ、すぐさま食いついた。
食事をしてくれるということは、嫌われてはいないらしい。サキは、愛らしいルナに頬をゆるませながら、また別の問題を思い出す。
(今夜、寝る時どうしよう……ルイ君のベッド使っていいって言われたけど)
この和風の家で、ベッドを使っているのは、やはりフランス人だからか?
だが、普段はルイが使っているそのベッドで、サキは寝ろと言われた。
てっきり、客用の布団があるかと思いきや、ルナが、ルイの部屋で寝ているからと言う理由で、その時は納得したのだが……
(考えてみれば、男の人のベッドで寝るって、どうなの? なんか恥ずかしいかも……っ)
ほんのり頬が赤らむ。
だが、フランスは皆こんなものなのだろう。結局、そこに行き着くと、サキはまたルナに話しかけた。
「ルナちゃん、もうすぐ元の飼い主さんが、迎えにくるんでしょ? よかったねー。お父さんとお母さんと、一緒に暮らせるようになって」
ルイに聞いた話だと、近々ルナは、ルイの友人の元に戻るらしい。
(あ、でもそうなったら、ルイ君は、ルナちゃんと、お別れしなきゃならないのかな?)
短い間だったとはいえ、一緒に暮らしていた家族。やはりお別れは、寂しいかもしれない。
「あ、そうだ」
すると、サキは立ち上がり、手荷物の中から、あるモノを取り出した。
「ねー、ルイちゃん。写真、撮ってもいい?」
取り出したものは、一眼レフのカメラだった。サキが仕事でも使っている、いわゆる本格的なカメラだ。
そして、ルナと同じ目線になるよう、床の上にうつ伏せになったサキは、そっとファインダーを覗きこんだ。
(たくさんを写真撮って、あとで、ルイ君にプレゼントしてあげよう)
食事をするルナの姿を、カメラの中に収めると、サキは静かにシャッターを押した。
どうか、ルイ君の寂しさが、少しでも紛れるように……そんなことを願いながら。
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