上 下
179 / 289
第17章 恋人たちの末路

捨て去る者

しおりを挟む

「籍を入れて、君は『五十嵐いがらし 結月ゆづき』になる。この屋敷を──は、出来た?」

「……っ」

 阿須加家を捨てる覚悟──その言葉と『五十嵐』という名に、結月は息を呑んだ。

 ずっと、変わることがないと思っていた阿須加の名前。それを捨て、自分は彼だけのものになるのだと、その五十嵐の名から実感する。

 だが、ずっと、望んでいたことだった。
 好きな人の側で、自由な人生を生きる。

 それなのに、いざ、それが目の前にさし迫れば、不思議と寂しさを感じた。

 この名を捨てれば、もう、生まれ育ったこの屋敷には、二度と戻ってこれないから……

「……ねぇ、レオ」

 すると、結月は、手にした箱を見つめながら、静かに話はじめた。

「私、ずっとこの屋敷から、出たいと思っていたわ。でも、この屋敷が嫌いなわけじゃなかったの。むしろ、ここで、みんなと暮らしていた時間は、とてもかけがえのないものだった」

 みんなが、私に優しくしてくれた。

 だけど、それは私が、だから──ずっと、そう思っていた。

 でも、今日、斎藤や矢野たちの話を聞いて、決して、ではなかったのだとわかった。

 確かに、自分はお嬢様で、彼らの主人だった。だけど、そんな私を、彼らは娘のように、家族のように

 ──心から、愛してくれていたのだと。


「ありがとう、レオ……私の大切な家族の未来を守ってくれて、おかげで私は、安心して、この屋敷を出ていくことができる。それに覚悟なら、もうとっくに出来てるわ。レオが、また迎えに来ると誓ってくれた、あの日に」

 夢を誓い
 愛を誓い
 共に生きると約束した、あの日

 教会の中で、初めての口付けを捧げた、あの瞬間、全てを覚悟した。

 この世界で、もっとも自分を愛してくれる彼と、この先の未来を生きようと──…

「でも……やっぱり、私には、まだ覚悟が足りてないのかしら……どうしても、親を捨てることに、まだ躊躇いがあるの」

「………」

「私が、いなくなったあと、あの二人は、どうなっちゃうのかな?とか……娘が、駆け落ちなんてしたら、きっといい笑い者だろうなとか……あんなに虐げられてきて、あの二人にとって、私は、ただの『物』でしかないのに……それなのに、未だに思うの。できるなら、になりたかったって……っ」

 うつむく結月は、目に涙を浮かべ、"変えられなかった現実"に、心を傷めた。

 幼い日から、何度と歩み寄ろうとする結月を、あいつらは幾度となく傷つけてきた。

 変わらない日々は
 変えられなかった家族の形は

 けっきょく、最後まで変わることはなく。

 そして、その形は、この屋敷にいる限り、未来永劫、続くのだとわかった。

 だが、それでも、親を思う子の心は、どれだけ傷つけられても、いつか、分かり合える日を夢見てしまう。

 自分の親を、信じようとしてしまう。

 だからこそ、レオはここに来た。

 優しい結月には、きっと、捨てられないとおもったから……

「いいよ。その想いは捨てなくても……あんな親でも、結月にとっては、大切な両親なんだから」

 決して否定することなく、レオは、結月を抱きしめ、その心に寄り添った。

 捨て去る者への想いを
 唯一無二の親への想いを
 そして、親不孝な娘だと責める子の想いを

 根こそぎ受け止め、また言葉を紡ぐ。

「でも、もういい。結月は、よく頑張った。18年の間、ずっとずっと歩み寄ろうとしてきたんだ。それなのに、答えようとしなかったのは、あいつらの方。だから、もう頑張らなくていい。もう傷つかなくていい。それに、結月は拐われるんだよ、俺に。悪いのは全部──俺のせいにすればいい」

 全ては、お嬢様に恋をした、この強欲な執事のせいにすればいい。

 だって、君は、何も悪くないんだから――…

 だが、そんなレオを見つめ、結月は悲しげに目を細めた。

「なに言ってるの……やっぱりレオは、私に甘すぎるわ。これは私が選んだことよ。私が、。何もかも捨てて、あなたと共に生きる道を選んだ。それに、前にも言ったでしょ。『私をさらって』って。執事であるあなたは、ご主人様の命令に従うだけよ」

「……ご主人様か」

「なに、その顔?」

「いや、俺は、こんなにも可愛いご主人様を持って、幸せだよ」

 近づき、頬に軽くキスを落とせば、結月は、くすぐったそうに、また頬をゆるめた。

「ごめんなさい。弱音を吐いてしまって」

「いいよ。どんな愚痴でも聞くと、前にも言っただろ」

「うん。ありがとう……もう、大丈夫。覚悟は出来てるわ。それに、いつかは捨てなくてはならないと思っていたの。私が、ここにいる限り、あの二人は変わらないから。だから、私がここから居なくなることで、あの二人には気づいて欲しいの。自分たちが、これまで、どれだけの人の心を傷つけてきたか……」

 この先、自分にできることがあるとするなら、それは、あの二人に「気付き」を与えること。
 
 『娘』を失って、あれだけ執着していた『阿須加の血』を失って、あの二人は何を思うだろう。

 少しは、悔いてくれるだろうか?
 少しは、変わってくれるだろうか?

 もし、変えることができるなら──…

「あのね、レオ。一つ、提案があるの」

「提案?」

「うん。無理なお願いかもしれない。だから、どうするかは、レオに委ねるわ」

 すると、その後、結月が話した提案に、レオはおもむろに眉をひそめた。

「……正気か?」

「うん……ごめん、怒った?」

「いや、怒ってはいないけど。でも、そんな話、誰が信じるんだ」

「そうね、誰も信じないかもしれない。だから、どうするかは、レオが決めて」

 結月の言葉に、レオは顎に手を当て考え込む。
 
 ルイといい、結月といい、次から次へと、無理難題を吹っ掛ける。
 
 だが、それを叶えることで、結月が心置きなく、この屋敷を捨てることができるのなら……

「畏まりました。それが、お嬢様の御望みとあらば――」

 あえて執事らしく振るまえば、レオは結月の手を取り、まるで、忠誠を誓うように、その手の甲に口づけた。



 決行の日は、12月31日。

 除夜の鐘が鳴り、人々が神様の元へと集う、その終わりと始まりの夜――

 この屋敷は、文字通り、主人を失い、従者を失い『空っぽ』になる。

 そう、まるで




 ”神隠し”にでもあったかのように――…











 そして、その後レオは、結月も元を離れ、すぐさま食堂に向かった。……のだが

「五十嵐さん! どうしたんですか!? 戻ってくるの、早すぎませんか!?」

「そうだよ! てっきり、今日はもう戻っこないと思ってたのに!!」

「まだ、いちゃいちゃしてきてよかったんですよ!?」

「いや、あの……変な気は使わないでください」

 いつもの時間とわからない時間に戻ってきた執事に、愛理と恵美が、夕食を食べながら驚けば、レオは苦笑いを浮かべた。

 使になったはいいが『いちゃいちゃして来い』などと言われると、逆にやりづらい!!

(ルイの言った通り、予定を早めたのは正解だったな)

 この状態が、数ヶ月もなんて、ちょっと耐えられない。レオは、あくまでも執事として振る舞いつつも、軽く恥ずかしくなったとか?

しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

×一夜の過ち→◎毎晩大正解!

名乃坂
恋愛
一夜の過ちを犯した相手が不幸にもたまたまヤンデレストーカー男だったヒロインのお話です。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

冗談のつもりでいたら本気だったらしい

下菊みこと
恋愛
やばいタイプのヤンデレに捕まってしまったお話。 めちゃくちゃご都合主義のSS。 小説家になろう様でも投稿しています。

ずっと温めてきた恋心が一瞬で砕け散った話

下菊みこと
恋愛
ヤンデレのリハビリ。 小説家になろう様でも投稿しています。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

処理中です...