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第17章 恋人たちの末路
捨て去る者
しおりを挟む「籍を入れて、君は『五十嵐 結月』になる。この屋敷を──阿須加家を捨てる覚悟は、出来た?」
「……っ」
阿須加家を捨てる覚悟──その言葉と『五十嵐』という名に、結月は息を呑んだ。
ずっと、変わることがないと思っていた阿須加の名前。それを捨て、自分は彼だけのものになるのだと、その五十嵐の名から実感する。
だが、ずっと、望んでいたことだった。
好きな人の側で、自由な人生を生きる。
それなのに、いざ、それが目の前にさし迫れば、不思議と寂しさを感じた。
この名を捨てれば、もう、生まれ育ったこの屋敷には、二度と戻ってこれないから……
「……ねぇ、レオ」
すると、結月は、手にした箱を見つめながら、静かに話はじめた。
「私、ずっとこの屋敷から、出たいと思っていたわ。でも、この屋敷が嫌いなわけじゃなかったの。むしろ、ここで、みんなと暮らしていた時間は、とてもかけがえのないものだった」
みんなが、私に優しくしてくれた。
だけど、それは私が、お嬢様だから──ずっと、そう思っていた。
でも、今日、斎藤や矢野たちの話を聞いて、決して、それだけではなかったのだとわかった。
確かに、自分はお嬢様で、彼らの主人だった。だけど、そんな私を、彼らは娘のように、家族のように
──心から、愛してくれていたのだと。
「ありがとう、レオ……私の大切な家族の未来を守ってくれて、おかげで私は、安心して、この屋敷を出ていくことができる。それに覚悟なら、もうとっくに出来てるわ。レオが、また迎えに来ると誓ってくれた、あの日に」
夢を誓い
愛を誓い
共に生きると約束した、あの日
教会の中で、初めての口付けを捧げた、あの瞬間、全てを覚悟した。
この世界で、もっとも自分を愛してくれる彼と、この先の未来を生きようと──…
「でも……やっぱり、私には、まだ覚悟が足りてないのかしら……どうしても、親を捨てることに、まだ躊躇いがあるの」
「………」
「私が、いなくなったあと、あの二人は、どうなっちゃうのかな?とか……娘が、駆け落ちなんてしたら、きっといい笑い者だろうなとか……あんなに虐げられてきて、あの二人にとって、私は、ただの『物』でしかないのに……それなのに、未だに思うの。できるなら、ちゃんとした家族になりたかったって……っ」
うつむく結月は、目に涙を浮かべ、"変えられなかった現実"に、心を傷めた。
幼い日から、何度と歩み寄ろうとする結月を、あいつらは幾度となく傷つけてきた。
変わらない日々は
変えられなかった家族の形は
けっきょく、最後まで変わることはなく。
そして、その形は、この屋敷にいる限り、未来永劫、続くのだとわかった。
だが、それでも、親を思う子の心は、どれだけ傷つけられても、いつか、分かり合える日を夢見てしまう。
自分の親を、信じようとしてしまう。
だからこそ、レオはここに来た。
優しい結月には、きっと、捨てられないとおもったから……
「いいよ。その想いは捨てなくても……あんな親でも、結月にとっては、大切な両親なんだから」
決して否定することなく、レオは、結月を抱きしめ、その心に寄り添った。
捨て去る者への想いを
唯一無二の親への想いを
そして、親不孝な娘だと責める子の想いを
根こそぎ受け止め、また言葉を紡ぐ。
「でも、もういい。結月は、よく頑張った。18年の間、ずっとずっと歩み寄ろうとしてきたんだ。それなのに、答えようとしなかったのは、あいつらの方。だから、もう頑張らなくていい。もう傷つかなくていい。それに、結月は拐われるんだよ、俺に。悪いのは全部──俺のせいにすればいい」
全ては、お嬢様に恋をした、この強欲な執事のせいにすればいい。
だって、君は、何も悪くないんだから――…
だが、そんなレオを見つめ、結月は悲しげに目を細めた。
「なに言ってるの……やっぱりレオは、私に甘すぎるわ。これは私が選んだことよ。私が、レオを選んだの。何もかも捨てて、あなたと共に生きる道を選んだ。それに、前にも言ったでしょ。『私をさらって』って。執事であるあなたは、ご主人様の命令に従うだけよ」
「……ご主人様か」
「なに、その顔?」
「いや、俺は、こんなにも可愛いご主人様を持って、幸せだよ」
近づき、頬に軽くキスを落とせば、結月は、くすぐったそうに、また頬をゆるめた。
「ごめんなさい。弱音を吐いてしまって」
「いいよ。どんな愚痴でも聞くと、前にも言っただろ」
「うん。ありがとう……もう、大丈夫。覚悟は出来てるわ。それに、いつかは捨てなくてはならないと思っていたの。私が、ここにいる限り、あの二人は変わらないから。だから、私がここから居なくなることで、あの二人には気づいて欲しいの。自分たちが、これまで、どれだけの人の心を傷つけてきたか……」
この先、自分にできることがあるとするなら、それは、あの二人に「気付き」を与えること。
『娘』を失って、あれだけ執着していた『阿須加の血』を失って、あの二人は何を思うだろう。
少しは、悔いてくれるだろうか?
少しは、変わってくれるだろうか?
もし、変えることができるなら──…
「あのね、レオ。一つ、提案があるの」
「提案?」
「うん。無理なお願いかもしれない。だから、どうするかは、レオに委ねるわ」
すると、その後、結月が話した提案に、レオはおもむろに眉をひそめた。
「……正気か?」
「うん……ごめん、怒った?」
「いや、怒ってはいないけど。でも、そんな話、誰が信じるんだ」
「そうね、誰も信じないかもしれない。だから、どうするかは、レオが決めて」
結月の言葉に、レオは顎に手を当て考え込む。
ルイといい、結月といい、次から次へと、無理難題を吹っ掛ける。
だが、それを叶えることで、結月が心置きなく、この屋敷を捨てることができるのなら……
「畏まりました。それが、お嬢様の御望みとあらば――」
あえて執事らしく振るまえば、レオは結月の手を取り、まるで、忠誠を誓うように、その手の甲に口づけた。
決行の日は、12月31日。
除夜の鐘が鳴り、人々が神様の元へと集う、その終わりと始まりの夜――
この屋敷は、文字通り、主人を失い、従者を失い『空っぽ』になる。
そう、まるで
”神隠し”にでもあったかのように――…
✣
✣
✣
そして、その後レオは、結月も元を離れ、すぐさま食堂に向かった。……のだが
「五十嵐さん! どうしたんですか!? 戻ってくるの、早すぎませんか!?」
「そうだよ! てっきり、今日はもう戻っこないと思ってたのに!!」
「まだ、いちゃいちゃしてきてよかったんですよ!?」
「いや、あの……変な気は使わないでください」
いつもの時間とわからない時間に戻ってきた執事に、愛理と恵美が、夕食を食べながら驚けば、レオは苦笑いを浮かべた。
使用人たち公認の仲になったはいいが『いちゃいちゃして来い』などと言われると、逆にやりづらい!!
(ルイの言った通り、予定を早めたのは正解だったな)
この状態が、数ヶ月もなんて、ちょっと耐えられない。レオは、あくまでも執事として振る舞いつつも、軽く恥ずかしくなったとか?
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