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第10章 餅津木家とお嬢様

秘めた想い

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「五十嵐さん!」

 屋敷に戻ると、玄関を入ってすぐの広間で、メイドの恵美めぐみ矢野やの、そしてコックの愛理あいりがレオを出迎えた。

「びっくりしたよ、いきなり呼び出されたってきいたから!」
「一体、何があったのですか?」

 愛理の声に被せて、矢野が神妙な面持ちで問いかける。昨日の今日で、突然呼び出された執事に、この3人も、ただならぬ雰囲気を感じ取っていたらしい。

「五十嵐!」
「……!」

 すると、更に聞き慣れた声が響いて、レオは視線を上げた。

 確かめなくても、すぐに分かった。
 愛しい愛しい、彼女の声──

「お嬢様」
「っ……」

 自分の部屋から慌てて出てきたのか、階段の上から、こちらをみつめる結月と目が合うと、レオは無意識に唇を噛み締めた。

 自分の姿を見て、その目に、涙を浮かべた結月。そして、足早に階段を下りてきた結月は、そのままレオの元へと駆け寄ってくる。

「五十嵐、ごめんなさい! 私のせいで……!」

 今にも飛びつきそうな勢いで駆け寄ってきた結月に、レオは悲しそうに目を細めた。

 きっと、自分が辞めさせられてしまうと思ったのだろう。その不安げな瞳をみれば、自然と胸の奥が苦しくなって、それと同時に、先程言われた洋介の言葉を思い出した。

『五十嵐、今後お前には、《《結月と冬弥とうやくんの仲を取り持ってもらう》》。ワインの件は、ホテル側のミスだと伝えろ。結月が冬弥くんに不信感を抱いているなら、あの二人が上手くいくよう結月を洗脳しなさい。結月の幸せを思うなら、そのくらいできるよな』

 平然とした顔で、娘を洗脳しろと言った洋介を思い出して、レオは苦渋の表情を浮かべた。

 言うなれば、『結月が、冬弥を好きになるように仕向けろ』と言うことだ。

 娘の幸せなんて言いながら、ただただ意のままに操る気でいる。それも、娘が信頼する"執事"を使って……

「五十嵐。辞めさせられたり、しないわよね?」
「…………」

 しばらく黙り込んでいると、結月がいっそう不安そうに瞳を揺らす姿が見えた。

 その純粋な瞳には、今、自分だけが写ってる。

 この瞳が、この先、他の男を写すなんて考えたくもなかった。

 昨晩「好き」と言ってくれた時のように、他の男にも同じ言葉を囁くのかと思うと、今にも胸が張り裂けそうだった。

 誰にも渡したくない。

 それも、あんな野蛮な男のことを、わざわざ好きにさせるなんて、そんなこと絶対にさせたくない。

 だけど、それをしなければ、自分は結月の傍にはいられなくなる。

 そしたら、もう守れなくなる。
 世界でたった一人の、大切な大切な女の子を──

「大丈夫……ですよ」

「え?」

「クビにはなりません。今朝は、その……冬弥様の件で呼び出されまして……どうやら私の、勘違いだったようです」

「勘違い?」

「はい。冬弥様は、お嬢様にお酒を飲ませるつもりはなかったようで……あれは、ホテル側が間違って提供したそうです」

「え? そうなの? じゃぁ……」

「はい。冬弥様は、お嬢様を酔わせようとしたわけではないそうです」

 いつものように微笑みながらも、心の中では一切笑えなかった。

 自分の言葉なのに、酷い嫌悪感を抱く。

 まるで、犯罪の片棒を担がされているかのような、そんな気色悪さすら感じて、結月の目をまともに見ることすら出来なかった。

 守るためだと腹はくくっても、できるなら結月に、こんな嘘はつきたくなかった。

「……そう、なのね」

 すると、それから少しだけ間を置いて、結月が小さく呟いた。

「じゃぁ……冬弥さんは、悪い方ではないと思ってもいいの?」

「………」

 その問いかけに、否定も肯定も出来ず黙り込む。できるなら、冬弥に対して警戒心はとかないでいて欲しい。

 大丈夫だと思い込めば、それだけリスクが高まるから。でも──

「……はい」

 心にもない言葉を伝えて、無理やり笑顔を貼り付けた。すると、本当に安心したように、結月が表情を緩めたのを見て、また胸が苦しくなる。

 信じないで欲しい。
 今の、俺の言葉だけは──

「ねぇ、五十嵐。……クビにならなかったということは、これからも私の傍にいてくれるのよね?」

 すると、まだ、どこか不安を宿した瞳で、結月が見上げてきた。

 傍にいてほしい──と、まるで懇願するようなその眼差しに、胸が自然と熱くなる。

 そんなこと、頼まれずとも……

「はい。私は、いついかなる時も、お嬢様のお傍を離れません」

「……っ」

 結月の手を、両手で包み込むようにきつく握りしめると、レオは真剣な表情で囁きかけた。

 二人、目が合えば、結月が慌ててその顔をそらし、執事に掴まれた手を引っ込める。

「あ……ありがとう。その、気が抜けたら、少し眠くなってきから……暫く、部屋で休むわ」

 そう言って、まるで逃げるように二階へと駆け上がっていった結月を見て、レオは、空になった自分の手をそっと握りしめた。

(絶対に、誰にも傷つけさせない……っ)

 そう、きつく心に誓いながら──



 ✣

 ✣

 ✣


 ──バタン!

 その後、時室に戻った結月は、部屋の扉を閉めたあと、その扉の前で、ズルリとへたりこんだ。

「……っ」

 先程、触れられた手を、きつく握りしめる。

 いつもと変わらず、手袋越しに触れられただけなのに、手を取られた瞬間、平常心ではいられなくなった。

 身体が熱い。顔は耳まで赤くなって、心臓は今にも張り裂けそうなほど激しく鼓動を刻んでいた。

(どうしよう。これじゃ、気づかれちゃう……っ)

 五十嵐にも、みんなにも、気づかれてしまう。
 誰にも悟られてはいけない──この気持ちを。

(こんなの……ダメなのに……っ)

 執事相手に、こんな気持ち、持ち続けちゃいけない。好きでいてはいけない。それは、よく分かっていた。

 自分が、"好きにならなくてはいけない相手"は、もう決められてしまったから。

 だけど、ダメだと思えば思う程、その想いばかりが溢れてくる。

 恋はしないと決めていた。

 それは無意味なものだと、ずっと言い聞かせてきた。それなのに

 ──好きになってしまった。


(こんな時、どうすればいいの……?)

 必死に、気持ちを沈めようと深呼吸をする。恋愛に詳しくない結月は、この想いを止める方法が分からなかった。

 一度自覚した心は、留まることなく『彼』を求めてしまう。

 ただ、声を聞くだけで
 ただ、手を触れただけで

 こんなにも胸が苦しくなる。

 だけど、こんな状態で接していたら、いつか絶対に気づかれてしまう。

 そして、もし、気づかれてしまったら、もう一緒にはいられなくなる。

 それは、嫌だと思った。

(どうせ、叶わないなら……っ)

 せめて、傍にいて欲しい。

 一分、一秒でも長く、五十嵐の、好きな人の傍にいたい。

「五十……嵐……っ」

 小さく小さくその名を呟くと、結月はまるで祈るように胸の前で手を組んだ。

 それは、決して気づかれてはいけない、その「秘めた想い」を、必死に必死に、覆い隠そうとでもするかのように──



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