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第10章 餅津木家とお嬢様

熱い身体

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「……ん」

 次の日──結月が、目が覚ますと、カーテン越しに陽の光が差し込んでいるのが見えた。

 うっすらと目を開けて、辺りを確認する。

 普段と変わらない自分の部屋。だけど、いつもよりも明るいその室内に、結月は慌てて起き上がった。

「今、何時───ッッ!?」

 だが、起き上がったとたん、激しい目眩がして、結月はとっさに頭を押さえた。
 ズキズキと痛む頭に、気持ちの悪い胸中。なんで、こんなに体調が優れないのかと、結月は、ゆっくりゆっくりと昨日のことを思いだす。

 昨日は、餅津木家のパーティに参加した。
 そして、そこで──

(あ……そうだ。私、昨日、婚約者を……っ)

 突然、婚約者を紹介された。
 そして、そのあと別室に招かれて、餅津木 冬弥と二人で話をした。
 だけど、その途中で急に気分が悪くなって……

(……冬弥さん、一体、なにを?)

 ジュースを飲んでいただけで、あんなに気分が悪くなるのはおかしいような気がした。

 もしかしたら、何かされたのかもしれない。それを思うと、ただただ冬弥への不信感がつのっていく。

(私、あの人と……結婚しなきゃならないの?)

 痛む頭を押さえながら、結月はきゅっと唇を噛み締めた。

 嫌だと思った。

 昔、好きだった初恋の人。それなのに、そのモチヅキくんが、今では、恐怖の対象でしかなかった。

(どうして……昔は、あんなに優しかったのに……っ)

 夢の中のモチヅキ君を思い出して、結月は、どこか虚しい気持ちになった。

 とても優しかったし、とても温かい人だった。

 それなのに、どうしてモチヅキ君は、あんなにも、変わってしまったのだろう。

「お嬢様」
「……!」

 瞬間、部屋の外から声が聞こえて、結月はハッと我に返った。

 いつもの穏やかな声。
 柔らかくて、優しくて、心地のよい男性の声。
 それは──

「ぃ、五十嵐?」

「はい……入っても宜しいでしょうか?」

「え……ぁ」

 その声に、また昨夜のことを思い出して、結月は顔を赤くする。

 急に目眩がして不安になった自分を、冬弥のもとから救い出してくれた。だけど、そのあと車の中で──

(あ、ちょっと待って……私、昨日……っ)

 ふと、車内での出来事を思い出して、結月は着ているナイトドレスの裾を、きゅっと握りしめた。

 名前を呼ばれて、ふと目が合った。水を用意すると言われて、離れていってしまうのが嫌で、思わず抱きついてしまったのは、よく覚えてる。

 だけど、その後、を口走ってしまったような気がして、結月の身体は火を吹くように熱くなる。

(……ぁ、うそ、私……っ)

「お嬢様、入りますよ」

「え!? あ、待っ」

 だが、待って──と伝える前に、部屋の扉が開らかれた。
 重い両開きの扉が開くと、いつもの燕尾服を着た執事と目があって、その瞬間、結月は昨夜のことを鮮明に思い出した。

 抱きついて、抱きしめられたあと、思わず『好き』と言ってしまったことを──

「あ、っ……」

 二人、しっかりと目が合えば、戸惑う結月を他所に、執事は真っ直ぐ、こちらに向かってきた。

 コツコツと響く靴の音が、やけに耳に響いた。

 距離が近づくに連れて、鼓動が早まり、体は更に熱くなって、だけど、目をそらすことは出来なくて、自分の心が、この体を介して、必死に訴えてるのがわかった。

 今、自分は、この人がなのだと──

「お嬢様」

「っ……な……なに?」

「その……ご気分は、いかがですか?」

「え、ぁ……えっと……だ、大丈夫……よ」

「……………」

 ただ、ぎこちないまま会話を終えて、二人の空間には、また沈黙が流れた。

 昨日のあの言葉を聞いて、五十嵐は何を思ったのだろう。

 不安と恥ずかしさとが入り混じる中、結月がふと視線を落とせば、その瞬間、あることに気づく。

(あれ? そう言えば、私……どうやって着替えたのかしら?)

 昨日は、赤いドレスを着ていたのに、今は、白のナイトドレスを着ていた。
 あの後の……そう、車内で五十嵐に、好きだと言ったあとの記憶がない。

「あの……私、どうやって……服を」

 あたふたとカタコトになりながら、結月は執事に問いかけた。すると、執事は

「申し訳ございません」

「え?」

のは、良くないとは思ったのですが」

「ッ!?」

 瞬間、体がカッと熱くなる。
 勝手に──脱がす!?

「え!? まさか、五十嵐が着替えさせたの!?」

「あ、いえ、着替えは、相原と冨樫に手伝って貰ったので、俺は何も見てません」

「ほんとに! 本当に何も見てない!?」

「は、はい……!」

 少し食い気味に執事に問いただして、結月は、その返答にホッと胸をなでおろした。

 ただでさえ、心臓が張り裂けそうな恥ずかしいのに、これで裸まで見られていたら……

「それより、お嬢様。昨日のことなのですが」
「……っ」

 だが、その言葉に、結月はビクリと肩を弾ませた。
 昨日のこと──きっと、"あの言葉"の真意を問いたいのだろう。

 無理もない。いきなり、自分の主人に、好きだなんで言われたのだから。

「お嬢様は、俺のこと──」

「あ、あの! 昨日はありがとう!!」

「え?」

「と、冬弥さんのところから連れ出してくれて……その、私……重かったでしょ?」

「いいえ。羽根のように軽かったですよ」

「嘘、言わないで!?」

 とっさに話をそらした結月は、その後、逃げるようにレオから顔を背けた。

「そ、それより私、学校に……っ」

「今日は、欠席で連絡しておきました」

「え? 欠席?」

「はい。とてもアルコール度数の高いワインを飲まされていたようなので、まだ体にお酒が残っているのではと」

「ワ、ワイン……だったの、あれ……っ」

 再び、昨晩のことを思い出して、結月は顔を青くして震えあがる。

 ジュースと偽って、お酒を飲まされていた。しかも、ベッドで休めとも言われた。

(冬弥さん。何を……する気だったの?)

 その先は、想像するのすら怖かった。

 すると、その不安げな結月の表情を読みとって、執事は、結月の前に膝をつき、真剣な表情をして囁きかけてきた。

「お嬢様、この先、餅津木 冬弥とは、絶対に二人きりにならないで下さい」

「え? でも……冬弥さんは、私の……っ」

「では、必ず私をお傍に置いてください。大丈夫ですよ。お嬢様のことは、私が必ずお守り致しますから」

「……っ」

 その言葉に、また胸がいっぱいになる。

 そんなこと、言わないで欲しい。
 あまり優しくしないで欲しい。

 でなくては、もっともっと、好きになってしまうから──

「顔が赤いですね。もしかして、熱が?」

「ッ──!?」

 だが、その瞬間、執事の手が額に触れて、体中の熱が爆発寸前まで膨れ上がった。

 サッと手袋を外して、直接、触れた執事の手。その感触に、心臓がバクバクと鳴り響いて、いまにもパニックになりそうだった。

 触れられたところが──熱い。

 いつもと変わらないはずなのに、自分が好きだと意識しただけで、こんなにも、ドキドキしてしまうなんて───

「きゃぁぁぁぁ、だ、大丈夫! 熱なんてないわ!! あ、あの、そうだわ! お風呂! お風呂に入りたいから、沸かしてきてちょうだい!!」

 反射的に悲鳴が上がって、執事に命令を下した。

「は、はは、早く出ていって……私、まだこんな格好だし」

「…………」

「……五十嵐?」

「いえ…………かしこまりました」

 すると、執事は、どこか腑に落ちない表情をしつつも、一礼したあと部屋から出ていって、結月は一人になった部屋の中で、熱くなった頬に両手をそえ、うずくまる。

(ッ……身体が、熱い)

 恥ずかしくて、とっさに話を逸らしてしまった。でも──

(どうしよう……これから五十嵐に、どんなふうに接すればいいの?)




 ✣

 ✣

 ✣



 ──パタン

 その後、結月の部屋から出ると、レオはその扉の前で、サッと自分の口元を押さえた。

(っ……あんな顔、されたら)

 顔を真っ赤にして、まるで、好きな人を前に恥じらうかのような反応。

 あんな顔をされたら、つい、期待してしまう。

 結月が、自分のことを、好きになってくれたんじゃないかって──

(昨日のあれは……どういう意味の?)

 あの言葉の『答え』が知りたい。

 目を閉じれば、鮮明に思いだす。

 上気する肌も、熱い吐息も、抱きつかれた時に感じた少し高めの体温も。

 そして、縋るように見つめられて囁かれた

 あの言葉──





『あなたが、好き……っ』




 あの、"好き"は『執事』として?

 それとも──『男』として?



「五十嵐さん!」

「……!」

 瞬間、扉の前に立ち尽くしているレオに向かって、メイドの恵美が、慌てて声をかけてきた。

「お嬢様は、大丈夫ですか?」

「はい。先程、目を覚まされました。今から、お風呂に入りたいそうで……」

「あ、それなら私が準備します。それより五十嵐さん。今、から連絡が入っていて、五十嵐さんに、今すぐ来るようにと」

「…………」

 その言葉に、レオは表情を曇らせ、昨夜の冬弥との一件を思い出した。

 相手は、婚約者。
 こうなることは、なんとなく予測していた。

(やっぱり、来たか……)

 その刹那、すぐさま気持ちを切り替える。
 いつまでも、浮かれているわけにはいかない。

 まずは、あの"不始末"を何とかしないと、自分は、この先、結月の傍にいることすら叶わなくなるから。

「分かりました。今すぐ、むかうと伝えてください」

 そう言うと、レオは歩き出した。

 今、結月を守れるのは、自分しかいない。

 なにより、あの男にだけは、絶対に渡したくないと思った。

 あの男──『餅津木 冬弥』にだけは。
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