99 / 211
第10章 餅津木家とお嬢様
熱い身体
しおりを挟む「……ん」
次の日──結月が、目が覚ますと、カーテン越しに陽の光が差し込んでいるのが見えた。
うっすらと目を開けて、辺りを確認する。
普段と変わらない自分の部屋。だけど、いつもよりも明るいその室内に、結月は慌てて起き上がった。
「今、何時───ッッ!?」
だが、起き上がったとたん、激しい目眩がして、結月はとっさに頭を押さえた。
ズキズキと痛む頭に、気持ちの悪い胸中。なんで、こんなに体調が優れないのかと、結月は、ゆっくりゆっくりと昨日のことを思いだす。
昨日は、餅津木家のパーティに参加した。
そして、そこで──
(あ……そうだ。私、昨日、婚約者を……っ)
突然、婚約者を紹介された。
そして、そのあと別室に招かれて、餅津木 冬弥と二人で話をした。
だけど、その途中で急に気分が悪くなって……
(……冬弥さん、一体、なにを?)
ジュースを飲んでいただけで、あんなに気分が悪くなるのはおかしいような気がした。
もしかしたら、何かされたのかもしれない。それを思うと、ただただ冬弥への不信感がつのっていく。
(私、あの人と……結婚しなきゃならないの?)
痛む頭を押さえながら、結月はきゅっと唇を噛み締めた。
嫌だと思った。
昔、好きだった初恋の人。それなのに、そのモチヅキくんが、今では、恐怖の対象でしかなかった。
(どうして……昔は、あんなに優しかったのに……っ)
夢の中のモチヅキ君を思い出して、結月は、どこか虚しい気持ちになった。
とても優しかったし、とても温かい人だった。
それなのに、どうしてモチヅキ君は、あんなにも、変わってしまったのだろう。
「お嬢様」
「……!」
瞬間、部屋の外から声が聞こえて、結月はハッと我に返った。
いつもの穏やかな声。
柔らかくて、優しくて、心地のよい男性の声。
それは──
「ぃ、五十嵐?」
「はい……入っても宜しいでしょうか?」
「え……ぁ」
その声に、また昨夜のことを思い出して、結月は顔を赤くする。
急に目眩がして不安になった自分を、冬弥のもとから救い出してくれた。だけど、そのあと車の中で──
(あ、ちょっと待って……私、昨日……っ)
ふと、車内での出来事を思い出して、結月は着ているナイトドレスの裾を、きゅっと握りしめた。
名前を呼ばれて、ふと目が合った。水を用意すると言われて、離れていってしまうのが嫌で、思わず抱きついてしまったのは、よく覚えてる。
だけど、その後、とんでもないことを口走ってしまったような気がして、結月の身体は火を吹くように熱くなる。
(……ぁ、うそ、私……っ)
「お嬢様、入りますよ」
「え!? あ、待っ」
だが、待って──と伝える前に、部屋の扉が開らかれた。
重い両開きの扉が開くと、いつもの燕尾服を着た執事と目があって、その瞬間、結月は昨夜のことを鮮明に思い出した。
抱きついて、抱きしめられたあと、思わず『好き』と言ってしまったことを──
「あ、っ……」
二人、しっかりと目が合えば、戸惑う結月を他所に、執事は真っ直ぐ、こちらに向かってきた。
コツコツと響く靴の音が、やけに耳に響いた。
距離が近づくに連れて、鼓動が早まり、体は更に熱くなって、だけど、目をそらすことは出来なくて、自分の心が、この体を介して、必死に訴えてるのがわかった。
今、自分は、この人が好きなのだと──
「お嬢様」
「っ……な……なに?」
「その……ご気分は、いかがですか?」
「え、ぁ……えっと……だ、大丈夫……よ」
「……………」
ただ、ぎこちないまま会話を終えて、二人の空間には、また沈黙が流れた。
昨日のあの言葉を聞いて、五十嵐は何を思ったのだろう。
不安と恥ずかしさとが入り混じる中、結月がふと視線を落とせば、その瞬間、あることに気づく。
(あれ? そう言えば、私……どうやって着替えたのかしら?)
昨日は、赤いドレスを着ていたのに、今は、白のナイトドレスを着ていた。
あの後の……そう、車内で五十嵐に、好きだと言ったあとの記憶がない。
「あの……私、どうやって……服を」
あたふたとカタコトになりながら、結月は執事に問いかけた。すると、執事は
「申し訳ございません」
「え?」
「勝手に脱がすのは、良くないとは思ったのですが」
「ッ!?」
瞬間、体がカッと熱くなる。
勝手に──脱がす!?
「え!? まさか、五十嵐が着替えさせたの!?」
「あ、いえ、着替えは、相原と冨樫に手伝って貰ったので、俺は何も見てません」
「ほんとに! 本当に何も見てない!?」
「は、はい……!」
少し食い気味に執事に問いただして、結月は、その返答にホッと胸をなでおろした。
ただでさえ、心臓が張り裂けそうな恥ずかしいのに、これで裸まで見られていたら……
「それより、お嬢様。昨日のことなのですが」
「……っ」
だが、その言葉に、結月はビクリと肩を弾ませた。
昨日のこと──きっと、"あの言葉"の真意を問いたいのだろう。
無理もない。いきなり、自分の主人に、好きだなんで言われたのだから。
「お嬢様は、俺のこと──」
「あ、あの! 昨日はありがとう!!」
「え?」
「と、冬弥さんのところから連れ出してくれて……その、私……重かったでしょ?」
「いいえ。羽根のように軽かったですよ」
「嘘、言わないで!?」
とっさに話をそらした結月は、その後、逃げるようにレオから顔を背けた。
「そ、それより私、学校に……っ」
「今日は、欠席で連絡しておきました」
「え? 欠席?」
「はい。とてもアルコール度数の高いワインを飲まされていたようなので、まだ体にお酒が残っているのではと」
「ワ、ワイン……だったの、あれ……っ」
再び、昨晩のことを思い出して、結月は顔を青くして震えあがる。
ジュースと偽って、お酒を飲まされていた。しかも、ベッドで休めとも言われた。
(冬弥さん。何を……する気だったの?)
その先は、想像するのすら怖かった。
すると、その不安げな結月の表情を読みとって、執事は、結月の前に膝をつき、真剣な表情をして囁きかけてきた。
「お嬢様、この先、餅津木 冬弥とは、絶対に二人きりにならないで下さい」
「え? でも……冬弥さんは、私の……っ」
「では、必ず私をお傍に置いてください。大丈夫ですよ。お嬢様のことは、私が必ずお守り致しますから」
「……っ」
その言葉に、また胸がいっぱいになる。
そんなこと、言わないで欲しい。
あまり優しくしないで欲しい。
でなくては、もっともっと、好きになってしまうから──
「顔が赤いですね。もしかして、熱が?」
「ッ──!?」
だが、その瞬間、執事の手が額に触れて、体中の熱が爆発寸前まで膨れ上がった。
サッと手袋を外して、直接、触れた執事の手。その感触に、心臓がバクバクと鳴り響いて、いまにもパニックになりそうだった。
触れられたところが──熱い。
いつもと変わらないはずなのに、自分が好きだと意識しただけで、こんなにも、ドキドキしてしまうなんて───
「きゃぁぁぁぁ、だ、大丈夫! 熱なんてないわ!! あ、あの、そうだわ! お風呂! お風呂に入りたいから、沸かしてきてちょうだい!!」
反射的に悲鳴が上がって、執事に命令を下した。
「は、はは、早く出ていって……私、まだこんな格好だし」
「…………」
「……五十嵐?」
「いえ…………かしこまりました」
すると、執事は、どこか腑に落ちない表情をしつつも、一礼したあと部屋から出ていって、結月は一人になった部屋の中で、熱くなった頬に両手をそえ、うずくまる。
(ッ……身体が、熱い)
恥ずかしくて、とっさに話を逸らしてしまった。でも──
(どうしよう……これから五十嵐に、どんなふうに接すればいいの?)
✣
✣
✣
──パタン
その後、結月の部屋から出ると、レオはその扉の前で、サッと自分の口元を押さえた。
(っ……あんな顔、されたら)
顔を真っ赤にして、まるで、好きな人を前に恥じらうかのような反応。
あんな顔をされたら、つい、期待してしまう。
結月が、自分のことを、好きになってくれたんじゃないかって──
(昨日のあれは……どういう意味の?)
あの言葉の『答え』が知りたい。
目を閉じれば、鮮明に思いだす。
上気する肌も、熱い吐息も、抱きつかれた時に感じた少し高めの体温も。
そして、縋るように見つめられて囁かれた
あの言葉──
『あなたが、好き……っ』
あの、"好き"は『執事』として?
それとも──『男』として?
「五十嵐さん!」
「……!」
瞬間、扉の前に立ち尽くしているレオに向かって、メイドの恵美が、慌てて声をかけてきた。
「お嬢様は、大丈夫ですか?」
「はい。先程、目を覚まされました。今から、お風呂に入りたいそうで……」
「あ、それなら私が準備します。それより五十嵐さん。今、別邸から連絡が入っていて、五十嵐さんに、今すぐ来るようにと」
「…………」
その言葉に、レオは表情を曇らせ、昨夜の冬弥との一件を思い出した。
相手は、婚約者。
こうなることは、なんとなく予測していた。
(やっぱり、来たか……)
その刹那、すぐさま気持ちを切り替える。
いつまでも、浮かれているわけにはいかない。
まずは、あの"不始末"を何とかしないと、自分は、この先、結月の傍にいることすら叶わなくなるから。
「分かりました。今すぐ、むかうと伝えてください」
そう言うと、レオは歩き出した。
今、結月を守れるのは、自分しかいない。
なにより、あの男にだけは、絶対に渡したくないと思った。
あの男──『餅津木 冬弥』にだけは。
1
お気に入りに追加
52
あなたにおすすめの小説
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
「あなたの好きなひとを盗るつもりなんてなかった。どうか許して」と親友に謝られたけど、その男性は私の好きなひとではありません。まあいっか。
石河 翠
恋愛
真面目が取り柄のハリエットには、同い年の従姉妹エミリーがいる。母親同士の仲が悪く、二人は何かにつけ比較されてきた。
ある日招待されたお茶会にて、ハリエットは突然エミリーから謝られる。なんとエミリーは、ハリエットの好きなひとを盗ってしまったのだという。エミリーの母親は、ハリエットを出し抜けてご機嫌の様子。
ところが、紹介された男性はハリエットの好きなひととは全くの別人。しかもエミリーは勘違いしているわけではないらしい。そこでハリエットは伯母の誤解を解かないまま、エミリーの結婚式への出席を希望し……。
母親の束縛から逃れて初恋を叶えるしたたかなヒロインと恋人を溺愛する腹黒ヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:23852097)をお借りしております。
王子妃だった記憶はもう消えました。
cyaru
恋愛
記憶を失った第二王子妃シルヴェーヌ。シルヴェーヌに寄り添う騎士クロヴィス。
元々は王太子であるセレスタンの婚約者だったにも関わらず、嫁いだのは第二王子ディオンの元だった。
実家の公爵家にも疎まれ、夫となった第二王子ディオンには愛する人がいる。
記憶が戻っても自分に居場所はあるのだろうかと悩むシルヴェーヌだった。
記憶を取り戻そうと動き始めたシルヴェーヌを支えるものと、邪魔するものが居る。
記憶が戻った時、それは、それまでの日常が崩れる時だった。
★1話目の文末に時間的流れの追記をしました(7月26日)
●ゆっくりめの更新です(ちょっと本業とダブルヘッダーなので)
●ルビ多め。鬱陶しく感じる方もいるかも知れませんがご了承ください。
敢えて常用漢字などの読み方を変えている部分もあります。
●作中の通貨単位はケラ。1ケラ=1円くらいの感じです。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界の創作話です。時代設定、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
お飾り公爵夫人の憂鬱
初瀬 叶
恋愛
空は澄み渡った雲1つない快晴。まるで今の私の心のようだわ。空を見上げた私はそう思った。
私の名前はステラ。ステラ・オーネット。夫の名前はディーン・オーネット……いえ、夫だった?と言った方が良いのかしら?だって、その夫だった人はたった今、私の足元に埋葬されようとしているのだから。
やっと!やっと私は自由よ!叫び出したい気分をグッと堪え、私は沈痛な面持ちで、黒い棺を見つめた。
そう自由……自由になるはずだったのに……
※ 中世ヨーロッパ風ですが、私の頭の中の架空の異世界のお話です
※相変わらずのゆるふわ設定です。細かい事は気にしないよ!という読者の方向けかもしれません
※直接的な描写はありませんが、性的な表現が出てくる可能性があります
『別れても好きな人』
設樂理沙
ライト文芸
大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。
夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。
ほんとうは別れたくなどなかった。
この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には
どうしようもないことがあるのだ。
自分で選択できないことがある。
悲しいけれど……。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
登場人物紹介
戸田貴理子 40才
戸田正義 44才
青木誠二 28才
嘉島優子 33才
小田聖也 35才
2024.4.11 ―― プロット作成日
💛イラストはAI生成自作画像
【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。
112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。
愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。
実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。
アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。
「私に娼館を紹介してください」
娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──
3歳で捨てられた件
玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。
それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。
キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる