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第10章 餅津木家とお嬢様
告白
しおりを挟む「お初にお目にかかります。餅津木 冬弥様。私は、結月お嬢様の"執事"です」
空になったワインを手に、不敵に微笑む男の姿を見て、冬弥はじわりと汗をかいた。
──執事。
その言葉に一瞬躊躇する。だが、容赦なくワインをかけられた頭は、冷えるどころか更に沸点を上げ、冬弥は勢いよくレオの胸ぐらを掴みあげた。
「執事だぁ? お前、俺が誰だか分かってんのか!?」
「…………」
シャツをネクタイごと鷲掴み、冬弥がレオを睨みつける。
誰だか、分かっているのか──
つまりは、結月の"婚約者"だと知って、こんなことをしているのかと聞きたいのだろう。
だが、レオはそんな冬弥の手を払い除けると、空になったボトルをテーブルに置き、結月の元へと歩み寄った。
ソファーにもたれかかり、今にも遠のきそうな意識を必死につなぎ止めている結月。
そんな結月の前に膝をつくと、レオは冬弥に向けていたものとは全く違う優しい目をして、結月に語りかけはじめた。
「お嬢様」
「ん……ぃがら……し?」
「はい、五十嵐です。もう大丈夫ですよ。私がお嬢様を、必ず屋敷まで送り届けて差し上げますから。どうぞ、安心してお休みください」
「……っ」
その言葉に、文字どおり安堵した結月は、ほっと息をついたあと、ゆっくりと目を閉じた。
だが、酔いが回って、ぐったりとしている結月の姿を見ると、冬弥への怒りが更に増していくのを感じた。
これだけ酔い潰れてしまえば、きっと"何を"されたとしても、抵抗一つ出来ないだろう。
「おい、俺が誰だかわかってるのかと聞いてるんだ!お前、阿須加家の執事なんだろ!」
すると、執事に無視され、痺れを切らした冬弥が、また怒鳴りつけてきた。
再度、食ってかかる冬弥を流しみると、レオは、その後、眠る結月を抱き上げながら、言葉を返す。
「分かっておりますよ。餅津木グループ・餅津木 幸蔵氏の四男、冬弥様。先程申し上げたかと」
「じゃぁ……」
「ですが、私は、それ以上のことは何も聞かされておりませんので、今、私の目の前にいるのは、まだ未成年者であるお嬢様に、ジュースと騙し酒を飲ませ、乱暴しようとした"犯罪者"しかうつっておりません」
「く……っ」
まるで、お姫様を守る騎士のように、結月を軽々と抱き上げた執事に、冬弥はぐっと息を飲んだ。
穏やかな表情と、礼儀正しい口調。
だが、その目を見れば、指一本で触れたら許さないと、威嚇されているようにも見えた。
「っ……聞かされてないからなんだ。いいか、俺はこの女の婚約者だ! お前、自分の状況が分かってるのか? 俺の一声で、執事なんてすぐにクビにできるんだぞ!」
「…………」
早く部屋から立ち去りたいレオの前に立ち塞がり、冬弥が更に声を荒らげる。
確かに、冬弥は結月の婚約者。
執事に酷い目に合わされたと親にでも報告すれば、すぐさまそれは結月の父に伝わり、自分は、解雇されてしまうだろう。
だが……
「フ……」
「ッ、何がおかしい」
「いえ、ご自分の状況を分かっておられないのは、冬弥様の方では?」
「は?」
「今や、急成長中の大企業の息子が、未成年の女性を酔わせ乱暴しようとした。マスコミが、喉から手が出るほど欲しがるスキャンダルですね。この事実を私がリークすれば、餅津木グループの名は、一気に地に落ちてしまいますよ」
「……っ」
「それに、私はお嬢様のご命令に従ったまでです」
「は?」
「お嬢様は、先程『帰る』と仰っておりました。『五十嵐を呼んでくれ』とも……そんなお嬢様に、貴方は無理やり酒を勧め、あろうことかベッドに連れ込もうとした。私はあくまでも、野蛮な男から、お嬢様をお守りしただけです。それに、私は阿須加の執事ではなく、結月お嬢様の執事。この方を、お守りするためなら、私はなんだって致しますよ。例え──誰に逆らってでも」
「……っ」
その目があまりにも威圧的で、冬弥はぞっと背筋を震わせた。
それに、もしこのことが、本当にマスコミにリークされれば、世間からのバッシングは間逃れない。
お客様商売でもある会社の信用はガタ落ち、更に自分の立場も危うくなる。
冬弥はそれを理解すると、ぐっと唇を噛み締め、苦渋の表情をうかべた。
すると、そんな冬弥を見て、レオは再びにこやかに微笑んだ。
「……どうやら、ご理解頂けたようですね。それでは、私たちはこれで」
結月を抱き抱えたレオは、その後、そそくさと部屋から出ていって
「くそ……ッ!」
と、悔しそうに冬弥が頭を掻き乱すと、背後に控えていたメイドが慌てて駆け寄ってきた。
そして、ワインをかけられ、びしょ濡れになった髪に、シミになったスーツ。あまりの残状に、冬弥はこれでもかと奥歯を噛み締める。
「あの執事、絶対、許さねー……っ」
✣
✣
✣
その後、結月を抱き抱えたまま、地下の駐車場へと戻ってきたレオは、結月を車の後部座席に座らせ、優しく声をかけた。
「お嬢様……!」
薄暗い車内で、同じく後部座席に乗り込んだレオが、酷く心配そうな顔で、結月を見つめる。
初めて飲んだお酒。しかも度数の高いワインだ。このまま目を覚まさなければ、アルコール中毒になっている可能性だってある。
「お嬢様、──結月!」
だが、直接、名前を呼んでも、結月はなかなか目を覚まさなかった。そして、そんな結月を見て、レオは悔しそうに眉をひそめた。
お酒のせいで赤らんだ頬と、上気した肌。胸元が大きく開いた赤いドレスは、とても露出度が高く、目のやり場に困るほどだった。
その結月のあられもない姿は、酷く欲情的で、冬弥が結月を酔わせた目的が、あまりにも非人道的だっただけに、今になって、身が震えた。
もし、あの場に自分がいなかったら、今頃、結月は、どうなっていただろう……
「ん……、」
すると、眠っていた結月が僅かに反応して、レオは慌てて結月の顔を覗きこんだ。
「お嬢様、大丈夫ですか!?」
「ん、……っ」
どこか虚ろだが、それでもうっすらと目を開けた結月。それを見て、レオはホッと息をつくと
「……よかった。今、お水をお持ちします。少し、ここで待って」
「ッ……!」
だが、その瞬間、結月の細い腕が、レオの首元へと伸びてきた。首に腕を回し、ギュッと抱きついてきた結月。その姿に、レオは驚きと同時に、結月を見つめた。
「……お、嬢様?」
「っ……いが……らし……五十嵐……ッ」
小さく身体を震わせながら、何度と執事の名を呼ぶ結月に、レオは耐えきれず、その華奢な身体を抱きしめた。
いきなり婚約者を紹介されて、顔も知らない男と二人っきりにされた。
その上、突然意識を失いかけて、結月は、どれだけ怖い思いをしたのだろう。
それを思うと、先程の冬弥への怒りが、またふつふつと舞い戻ってくる。
だが──
「良かった。無事で……っ」
深く安堵し、結月の長い髪を撫でると、レオは慰めるように、きつくきつく抱きしめる。
深く密着した身体は、まるで縫い付けられたように二人を隙間なく繋いで、これはもう、執事としての領分を侵しているのかもしれない。
だが、それでも今は、こうして、結月の熱を感じていたかった。
そして、それは、結月も同じだった。
抱きつき、抱きしめられ、その熱を感じながら、結月は先程気づいたばかりの気持ちを再確認していた。
(やっぱり……全然、違う……っ)
先程、冬弥に抱きしめられた時と今では、全く違った。
さっきは、身体が冷えていくような感覚がしたのに、今はすごく安心する。
ドキドキして、身体が熱くなって、このまま、ずっと、抱きしめていて欲しいとすら思ってしまう。
「っ……いがらし」
再度名前を呼べば、不意に涙が溢れた。
どうして、今、気づいてしまったのだろう。
どうして、貴方は、私の執事なんだろう。
「っ……ぅ…っ」
クラクラと定まらない意識で、目の前の執事を見上げた。
近い距離で目が合えば、自分を心配するその優しげな瞳に、また涙が溢れた。
「五十嵐……私……っ」
今更、こんなことに気づいても遅い。
執事相手に、こんなことを思ってはいけない。
それなのに──
「私………あなたが、好き……っ」
だが、その言葉を最後に、また意識が遠のいて、結月はレオの腕の中で、再び目を閉じた。
泣きながら囁かれた、その言葉を聞いて、レオが、その後、大きく目を見開いたが、結月がそれに、気づくことはなかった。
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