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第10章 餅津木家とお嬢様

好きな人

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「彼は、餅津木 冬弥くん。お前の婚約者だ」

 突然の事に、結月は息を飲んだ。思考が追いつかず、ただただ目の前の青年をみつめる。

 スラリと背が高い黒髪の青年だ。若いながらも紺のスーツをしっかり着こなした彼は、流麗で爽やか、それでいて、どことなく鋭い目付きが印象的だった。

 そして、その餅津木もちづき 冬弥とうやは、結月の前に立つなり、そっと手を差し出してきた。

「初めまして、結月さん」
「……っ」

 そう言われ、一瞬躊躇する。
 こんな話は、全く聞いていなかった。

 だけど、いつか、こんな日が来ることは思っていた。

 むしろ、今まで婚約者がいなかったのが不思議なくらいで、それに、このゲストが大勢いる空間で、父と母の前で、無様に取り乱すわけにはいかなかった。

「は、初めまして……」

 結月は、必死に笑顔を作ると、恐る恐るその手をとった。
 触れた瞬間、キュッと締め付けられる感覚がして、微かに肩をビクつかせたが、状況を飲み込んだ結月は、固く覚悟を決める。

 ついに、この時が来たのだと、自分は、この人と『結婚』しなければならないのだと──

「結月、冬弥くんには、うちに婿養子として入ってもらう」

 すると、二人の様子を見つめながら、洋介がまた口を開いた。

「婿養子、ですか……」

「あぁ、そしてゆくゆくは、うちの会社を継いでもらうことになるだろう」

 その予想通りの話を聞いて、結月は「はい」とうなづいた。

 自分は一人娘。
 ならば、婿養子というのは当然の話だった。

 しかも、餅津木家には息子が四人いる。一人くらい婿養子に出したところで、痛くも痒くもないだろう。

「驚かせてしまったね。結月さん」

 すると、冬弥の父である幸蔵が、申し訳なさげに話しかけてきた。

「とんだサプライズになってしまったようだ。そうだ、冬弥。ここで立ち話というのも失礼だ。上の部屋で、ゆっくり話をしてきなさい」

「それがいい。結月、お前もいきなり婚約者と言われてもピンと来ないだろうからな。まずは、お互いをよく知ることからはじめなさい。──冬弥くん、頼んだよ」

「はい。じゃぁ、行こうか。結月さん」

「え、ぁ……っ」

 握手を交わしていた手をそのまま引かれ、結月は焦りの表情をうかべた。

 いきなり、初対面の男性と二人きりになるのだろうか? さすがに、不安が過ぎる。

 だが、のちに旦那様になる相手の誘いだ。やすやす断れるはずがなく……

「は………はぃ」

 結月は、その後小さく返事をすると、言われるまま冬弥の後についていった。

 そして、そんな二人を見届けながら、父親たちが話をする。

「本当に、忘れているんですね、結月さんは」

「はい。その節は大変失礼なことを」

「いえ、謝るのはこちらの方です。それに、8年前は、結月さんもまだ小学生でしたし、ワガママを言うのは当然ですよ。ですが、今では自分の立場をよく分かっているようだ」

「はい。そのように教育しましたから」

「そう言えば、"好きな人がいる"と言っていましたが、あれは、もう解決したんですか?」

「……あぁ、あんなの所詮は子供の戯言ざれごとです。それに、仮にいたとしても、もう綺麗さっぱり忘れていますよ」


 ✣

 ✣

 ✣



 その頃、ロビーで待機していたレオは、遠目から、結月と冬弥が会場から出てくるのを目撃していた。

 どこに行こうとしているのか、結月の手を我が物顔で握る冬弥を、レオはまるで威嚇するように睥睨する。

 先程の黒沢の話は、どうやら本当らしい。

 きっと結月は何も知らされず、いきなり婚約者を紹介されたのだろう。

 相変わらず、やり口の汚い両親だ。

(あの様子だと、二人きりで話してこいとでも言われたな)

 見失ったら厄介だ。レオは、すぐさま二人を追いかけることにした。

 だが──

「五十嵐」
「……!」

 その瞬間、会場から出てきた、美結みゆに声をかけられた。

 どこか不機嫌そうに佇むその姿は、今日、このホテルに来た時から、ずっと変わらなかった。

「はい。如何なさいました、奥様」

「屋敷に戻るわ。車を出してちょうだい」

「え?」

 思わぬ要求に、レオは口篭る。

 いきなり何を言い出すのか、別邸までは車で20分はかかる。送り届けて帰ってきて、往復40分。

 さすがにそんな長い時間、結月から離れるわけにはいかない。

「あの、旦那様は?」

「洋介は、あとから黒沢と帰宅するわ。私だけ先に帰るのよ」

「ですが、奥様だけ途中で退席というのは」

「うるさいわね! いいから、あなたは、つべこべ言わず私の言うことを聞いていればいいの!」

 やたらと機嫌の悪い美結。それを見て、レオも首を傾げる。

「何をそんなに、苛立っておられるのですか?」

 恐る恐る問いかければ、美結は小さく息を漏らし

「これ以上あの人達と、同じ空気を吸っていたくないのよ。性根の腐った奴ばかりで、吐き気がするわ!」

「…………」

 それをお前がいうのかと、思わず突っ込みたくなったが、余程頭にくることでもあったのだろう。美結は、一刻も早くこの場を立ち去りたいと譲らなかった。

「結月は、冬弥君が送り届けてくれるそうだから、あなたも私を送り届けたら、屋敷に戻っていいわ」

「冬弥様が? なぜ、わざわざ」

「…………」

 その問いかけに、美結が、口をとざす。
 レオはそれを見ると

「お言葉を返すようですが、いくら奥様のご命令でも、お嬢様を置いて帰るわけには参りません」

「そう、なら私を送り届けたら、また戻って来ればいいでしょ! それとも私に逆らう気!?」

「……っ」

 荒んだ声が響いて、レオは息を詰めた。

 執事である自分は、明らかに立場が弱い。これ以上、口ごたえしてクビになったら、それこそ結月を守れなくなる。

(仕方ない。早いところ送り届けて……っ)

 こうして、言い争っている時間すら勿体ない。レオはそう思うと

「畏まりました」

 だが、その時だった。

「あれ、モチヅキくん?」

「「!?」」

 レオに向けて、誰かが語り掛けてきた。
   
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