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第8章 執事でなくなる日

希望

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「結月」

 すると、再びレオに呼びかけられ、結月は顔を上げた。

「さっきから、何を悩んでるんだ? 猫の話をしてから、少しおかしい気がするけど」

「……っ」

 単刀直入にレオに問いかけられ、結月は息を詰める。
 やばい。バレてる。どうやら挙動不審すぎたのか、突然疑惑の目を向けられ、結月はじわりと汗をかく。

(ど、どうしよう。きっと五十嵐の事だから、あの手この手を駆使して、聞き出そうとしてくるわ……!)

 もう、目が完全に『話せ』といっている。そしてその瞬間、結月の脳裏には、これまでのあられもないシーンが蘇る。

 病院に行きたくない理由を聞き出すためだけにに、わざわざ押し倒してきた執事だ。

 今回も、きっと容赦してくれない。

「あ……あのね、実は」

 すると結月も、覚悟を決めたらしい。その後、申し訳なさそうに話し始めた。

「さっき雑貨屋さんで買った、ぬいぐるみの事なんだけど」

「ぬいぐるみ? あぁ、これ?」

 結月の言葉に、レオは先程預かった結月の荷物の中から、ぬいぐるみを購入した雑貨店の紙袋に視線を落とした。

 お洒落なロゴの入った紙袋。
 結月は、それをレオから受け取ると

「あのね。このぬいぐるみ、名前を付けたら、その場で刻印してくれるサービスをしていて……それで、その……私、このぬいぐるみに『ルナ』と名付けてしまったの……っ」

「え?」

 小さな紙袋から、恐る恐る差し出されたそれは、20センチほどの、小さな黒猫のぬいぐるみだった。

 そこには、レオの愛猫《あいびょう》にそっくりな黒猫がいて、首の赤いリボンについた金色のプレートには、確かに「RUNA」と、名前が刻印されていた。

「……っ」

 すると、その瞬間、レオは目を見開いた。だが、結月はその後、深く頭を下げ
 
「ごめんなさい! 私は五十嵐が、猫を飼っているなんて知らなくて……! それに、まさか名前が同じになるなんて……っ」

「なんで?」

「え?」

「なんで、だった?」

 酷く真剣な表情でレオが詰め寄られ、結月は目を見張った。

 ──なんで?
 そう、聞かれても、自分でもよくわからない。

「な、なんでかは、分からないけど……ただ、なんとなくこの子を見ていたら、ルナって名前がよぎって……っ」

「…………」

 繋がったままの手が、より一層強く握られた気がした。

 怒っているのだろうか?
 黙りこくるレオを、結月はゆっくりとみあげる。

「五十嵐……?」

「っ……ごめん。泣きそう」

「えぇ!?」

 瞬間、放たれた言葉に、結月は酷く動揺した。

 怒るでもなく、あきれるてもなく、話を流すでもなく──泣きそう!?

 これは、予想外の展開だ!!

「(な、泣くほど嫌だってこと!?) あ、あの、ゴメンね! あ、そうだわ! 名前を変えるのはどうかしら! 例えば、ルナから一文字変えて、って名前の男の子にするとか!?」

(うわぁ……それ絶対嫌だ)

 瞬時に、金髪のフランス人のことが頭に過ぎって、レオはあからさまに顔を顰めた。

 好きな女が、友人の男の名前を呼びながら、ぬいぐるみを愛でている姿なんて、絶対見たくない。

「変えなくていい」

「え、でも……」

「むしろ、絶対に──」

 レオが、そう言って、まっすぐに結月を見つめると、結月は戸惑いつつも頬を赤らめた。

「で、でも……すごく大切な猫なのでしょう?」

「そうだよ。でも、だからこそ、結月があの屋敷でルナと呼ぶたびに、俺もルナのことを思いだせるから……だから、たくさん呼んでやって」

 そっと手を伸ばすと、レオは結月が手にした黒猫のぬいぐるみを撫でながら、嬉しそうに微笑んだ。

 まるで、本当に自分の愛猫を可愛がるかのように……

「でも、本当にいいの?」

「そんなに、気にしなくてもいいよ」

「……気にするわよ」

「ふ……じゃぁ、一つだけ俺の頼み、聞いてくれる?」

「頼み?」

「あぁ、うちのルナに、おもちゃを選んでほしい」

 それは、あまりに唐突なお願いで、結月はあからさまに拒否をする。

「そ、それは、ダメよ! 飼い主なんだから、五十嵐が選んだ方が……!」

「聞けない? 俺のお願い」

「……っ」

 だが、軽く小首をかしげ、まるで懇願するように、見つめられると、なんだか、聞いてあげたくなってしまう……

「っ……な、なんでもいいの? 私、猫のおもちゃとか、よく知らないけど」

「いいよ。結月が選んだものなら、何だって」

 ふと視線をそらせば、店の一角にはボールや猫じゃらしなど、猫が喜びそうなオモチャがいっぱい置いてあった。

 結月は手にしていた猫のぬいぐるみを再びレオに預けると、その中から、とても真剣にルナのオモチャを選び始めた。

 そして、そんな結月の姿を見つめながら、レオはおもう。

(ルナ……結月は忘れてないよ)

 ──俺のことも、ルナのことも。

 今は、まだ眠っているだけだ。

 だから、いつか必ず結月の『記憶の箱』をこじ開けて、なにもかも、思い出させてあげよう。

 そうしたら、いつか俺のことも

(レオ……って、呼んでくれるかな?)



  たった半日だけの魔法も、もうすぐ解ける。

 友人のように
 恋人のように

 名前を呼んで、手を繋いだ時間。

 魔法がとければ、また、お嬢様と執事に
 ──逆戻り。

 だけど、それでも、今日という日は、決して無駄ではなかったなのだと

 レオは、そっと目を閉じると、結月がルナと名付けたぬいぐるみを、優しく優しく握りしめた。

 それはまるで、小さな小さな、希望の光を包みこむかのように……



 ✣

 ✣

 ✣


 だが、それから暫くして──

 おもちゃを選ぶ結月を見つめていると、レオはセーフと言わんばかりに苦笑いを浮かべていた。

(ここが、で良かった……っ)

 そう。もし、これが、屋敷の中で二人っきりだったら、絶対抱きしめて、何かヤバいこと口走っていた。

 あまりにも嬉しすぎて、一瞬我を忘れそうになった。ここが公衆の面前でなければ、どうなっていたことか?

(でも、いきなりアレは反則だよな。ぬいぐるみにルナなんて……っ)

「ねー、五十嵐!」

 すると、おもちゃを選んでいた結月が、楽しそうに声をかけてきた。

「ルナちゃんのおもちゃ。あそこにある、キャットタワーはどうかしら?」

(ん? キャット……タワー?)

 結月が指さした方向には、畳半畳ほどの立派なキャットタワーがあった。

 猫のではなく、立派なを選んだ結月。

 さすが、お嬢様!
 選ぶ、おもちゃの規模が違う!

「え……と。一応、で預かってもらってるので、あまり大きくて場所を取りそうなものは……ちょっと」

「あ、そうよね。確かに大きいと迷惑よね。ごめんなさい。ショーケースの中の猫たちが、すごく楽しそうに遊んでいたから、ルナちゃんも喜ぶんじゃないかと思って……」

 だが、その後、シュンとした結月をみてレオは

「それにしよう」

「え、でもお友達が?」

「大丈夫だよ。それに、俺が何でもいいって言ったんだし……(別に、ルイの家が多少狭くなろうが、いいか。アイツ独り暮しだし)」



 ✣✣✣



 そして、その頃、ルイはというと……

「くしゅ……!」

 自宅の日本家屋の中で、ルナと猫じゃらしを使いながら戯れていたのだが

「うーん。なんか、さっきから、くしゃみ止まんないな~」

「にゃ~」

「あはは、心配してくれるの、ルナちゃん。大丈夫だよ。風邪とかではないから。誰かが噂話でもしてるんじゃないかな。僕、すっごくだから♪」

 だが、まさか、その数日後──レオが購入した立派なキャットタワーが勝手に郵送で送られてくるなんて、ルイは夢にも思っていないのであった。

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