上 下
64 / 289
第7章 夢の中の男の子

俺の知らない君の全て

しおりを挟む
「どうして、そんなにも、病院がお嫌いなのですか?」

「そ、それは……っ」

 切実に思いを訴えてくる執事に、結月は躊躇する。

 自分でも、よく分かっていた。それが、子供じみたわがままだということは……そして、そのせいで、彼を困らせているということも。

 でも──

「それを聞いて、どうするの? 病院に行かない理由をきいたところで、またを聞かされるだけよ」

「………」

「お父様は、私にゆりの花のように、純粋で汚れのない娘でいろとおっしゃるけど、決してそんなことはないの。負の感情だって、いっぱい持ってる。五十嵐だって、人の悪口ばかり聞きたくはないでしょう?」

 まるでマリア様のように、慈愛に満ちた笑みを浮かべているのに、その言葉は、酷く似つかわしくないものだった。

 生まれた時から親に嫌われ、捨てられたも同然で生きてきた結月が、ここまで心根の優しい娘に育ったのは、きっと屋敷で、共に過ごしてきた使用人たちの「愛」があったから。

 だが、それでも、幼い頃から彼女を蝕み続けてきた、この"阿須加"という"鎖"は、今もその心に、深い深い淀みを作り続けてる。

(親の……悪口か)

 一体、その心には、どれだけの怒りや哀しみが隠されているのだろう。

 できるなら、全て吐き出させてやりたいと思った。

 たとえそれが、耳を覆いたくなるような、真っ黒な感情だったとしても、彼女が楽になるなら、何もかも吐き出させてやりたい。

「──お嬢様」

 そっと手を伸ばすと、シーツの上に散らばった結月の髪をすくい上げ、それに口付けながらレオは囁きかける。

「前にも申し上げましたが、私が忠誠を誓うのは、お嬢様、ただお一人だけです。ですから──貴女ことは、全て知っておきたい」

 喜びも、哀しみも、怒りも
 夢も、希望も、絶望も

 俺の知らない君の全てを、何もかも知り尽くしておきたい。

 それは"執事"としてではなく

 君を愛する、一人の"男"として──


「それとも、まだ信用できませんか?」

 そう言って、また微笑みかければ、結月はレオを見上げたまま考えた。

(……私は)

 ──どう思っているのだろう?

 信用してるか、してないかで問われたら、きっと、信用してる。

 五十嵐の前だと、不思議と自然体でいられる。

 素直に、怒ったり、泣いたり。

 それはまるで、凍っていた心が溶けていくかように、人形のような無機質な自分が、人へと変わっていく──

「……本当に、誰にも話さない?」

 結月が、恐る恐るレオを見上げた。すると、躊躇いがちに放たれた言葉に、レオは穏やかな声で語りかける。

「はい。なんなら、また指切りでもしますか?」
「ふふ……」

 そう言って微笑むレオに、結月はクスッと小さく笑みを漏らすと、その後また、ポツリポツリと話しを始めた。

「私ね、幼いころ心臓が弱くて、体調を崩すことが多かったの。少し熱が出たり、咳をしただけで、直ぐに病院に連れていかれたり、専属医に来てもらったりしていたわ。お父様とお母様には、もう子供は望めなかったから、私に万が一のことがあったらいけないからって、ろくに屋敷からも出してもらえなかった」

「……」

「でもね、初めはそれがだと思っていたの。大事だから、守りたいから、屋敷から出さないんだって──」

 大切な大切な宝物を『箱』の中に閉じこめておくように、大事に大事に『屋敷』の中に閉じ込めて──

「でも、どんなに具合が悪くても、高い熱が出ても、あの二人はお見舞いどころか、電話一本下さらないのよ。私のことは全部使用人たちに任せっきり……段々分かってきたわ。あの二人が大事にしているのは、私ではなく、私の中に流れるだけなんだって。ただこの家を継ぐを、失いたくないだけなんだって」

「………」

「病院に行っても虚しくなるだけよ。それに、わかってるはずなのについ期待してしまうの。今度は、心配してくれるんじゃないかって……もう嫌なのよ。期待してしまう自分も、期待して、また裏切られるのも。だから今朝のことも、あの二人には話さなくていいわ。話したところで、私の記憶のことなんて、あの二人は全く興味ないもの」

 淡々と話す結月の言葉に、酷く胸を締め付けられた。

 きっと病院に行く度に、結月は実感したのだろう。自分が親に、全く愛されていないと言うことを──

『私、お父様とお母様に、嫌われてるの』

 一体結月は、あの言葉にたどり着くまでに、何度、親に裏切られて、何度その心を傷つけられてきたのだろう。

「……五十嵐、そんな顔しないで?」

 すると、酷く悲しげな執事を見上げ、また結月が微笑んだ。

「そんなに心配しなくても、本当に具合が悪い時はちゃんと医者にかかるわ。あなたは心配しすぎよ」

「心配……しますよ」

 結月の言葉に、レオは酷く苦しそうにその顔を歪ませた。まるで、自分の事のように、心配してくれるのが、結月は嬉しかった。

 分かってるはずだった。それが心配しているということは……

 だけど、どうして五十嵐には、こんなにも、心を許してしまうのだろう。


『───結月』

 すると、その瞬間、また、あの男の子の声がこだました。

 呆然と執事を見上げたまま、結月は無意識に手を伸ばすと、レオの頬にそっと、手を触れてみた。

 肌の温かさがじわりと指先に伝わる。

 すると、少しだけ驚いた顔をした執事に、結月は、記憶の中の"男の子"を結びつける。

 髪の色が──同じだった。

 声は、子供の声だったから、違うようにも聞こえたけど、声質や、その雰囲気は、どことなく似ている気がした。

「五十嵐、あなたは──」

しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

×一夜の過ち→◎毎晩大正解!

名乃坂
恋愛
一夜の過ちを犯した相手が不幸にもたまたまヤンデレストーカー男だったヒロインのお話です。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

砂漠の国でイケメン俺様CEOと秘密結婚⁉︎ 〜Romance in Abū Dhabī〜 【Alphapolis Edition】

佐倉 蘭
キャラ文芸
都内の大手不動産会社に勤める、三浦 真珠子(まみこ)27歳。 ある日、突然の辞令によって、アブダビの新都市建設に関わるタワービル建設のプロジェクトメンバーに抜擢される。 それに伴って、海外事業本部・アブダビ新都市建設事業室に異動となり、海外赴任することになるのだが…… ——って……アブダビって、どこ⁉︎ ※作中にアラビア語が出てきますが、作者はアラビア語に不案内ですので雰囲気だけお楽しみ下さい。また、文字が反転しているかもしれませんのでお含みおき下さい。

幽霊な姉と妖精な同級生〜ささやき幽霊の怪編

凪司工房
キャラ文芸
土筆屋大悟(つくしやだいご)は陰陽師の家系に生まれた、ごく一般的な男子高校生だ。残念ながら霊能力はほとんどなく、辛うじて十年に亡くなり幽霊となった姉の声が聞こえるという力だけがあった。 そんな大悟にはクラスに憧れの女子生徒がいた。森ノ宮静華。誰もが彼女を妖精や天使、女神と喩える、美しく、そして大悟からすれば近寄りがたい女性だった。 ある日、姉の力で森ノ宮静華にその取り巻きが「ささやき幽霊の怪を知っている?」という話をしていた。 これは能力を持たない陰陽師の末裔の、ごく普通の高校生男子が恋心を抱く憧れの女子生徒と、怪異が起こす事件に巻き込まれる、ラブコメディーな青春異能物語である。 【備考】 ・本作は「ねえねえ姉〜幽霊な姉と天使のような同級生」をリメイクしたものである。

ヤンデレストーカーに突然告白された件

こばや
キャラ文芸
『 私あなたのストーカーなの!!!』 ヤンデレストーカーを筆頭に、匂いフェチシスコンのお姉さん、盗聴魔ブラコンな実姉など色々と狂っているヒロイン達に振り回される、平和な日常何それ美味しいの?なラブコメです さぁ!性癖の沼にいらっしゃい!

逃げて、追われて、捕まって

あみにあ
恋愛
平民に生まれた私には、なぜか生まれる前の記憶があった。 この世界で王妃として生きてきた記憶。 過去の私は貴族社会の頂点に立ち、さながら悪役令嬢のような存在だった。 人を蹴落とし、気に食わない女を断罪し、今思えばひどい令嬢だったと思うわ。 だから今度は平民としての幸せをつかみたい、そう願っていたはずなのに、一体全体どうしてこんな事になってしまたのかしら……。 2020年1月5日より 番外編:続編随時アップ 2020年1月28日より 続編となります第二章スタートです。 **********お知らせ*********** 2020年 1月末 レジーナブックス 様より書籍化します。 それに伴い短編で掲載している以外の話をレンタルと致します。 ご理解ご了承の程、宜しくお願い致します。

お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?

すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。 お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」 その母は・・迎えにくることは無かった。 代わりに迎えに来た『父』と『兄』。 私の引き取り先は『本当の家』だった。 お父さん「鈴の家だよ?」 鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」 新しい家で始まる生活。 でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。 鈴「うぁ・・・・。」 兄「鈴!?」 倒れることが多くなっていく日々・・・。 そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。 『もう・・妹にみれない・・・。』 『お兄ちゃん・・・。』 「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」 「ーーーーっ!」 ※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。 ※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 ※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。 ※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...