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第7章 夢の中の男の子

俺の知らない君の全て

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「どうして、そんなにも、病院がお嫌いなのですか?」

「そ、それは……っ」

 切実に思いを訴えてくる執事に、結月は躊躇する。

 自分でも、よく分かっていた。それが、子供じみたわがままだということは……そして、そのせいで、彼を困らせているということも。

 でも──

「それを聞いて、どうするの? 病院に行かない理由をきいたところで、またを聞かされるだけよ」

「………」

「お父様は、私にゆりの花のように、純粋で汚れのない娘でいろとおっしゃるけど、決してそんなことはないの。負の感情だって、いっぱい持ってる。五十嵐だって、人の悪口ばかり聞きたくはないでしょう?」

 まるでマリア様のように、慈愛に満ちた笑みを浮かべているのに、その言葉は、酷く似つかわしくないものだった。

 生まれた時から親に嫌われ、捨てられたも同然で生きてきた結月が、ここまで心根の優しい娘に育ったのは、きっと屋敷で、共に過ごしてきた使用人たちの「愛」があったから。

 だが、それでも、幼い頃から彼女を蝕み続けてきた、この"阿須加"という"鎖"は、今もその心に、深い深い淀みを作り続けてる。

(親の……悪口か)

 一体、その心には、どれだけの怒りや哀しみが隠されているのだろう。

 できるなら、全て吐き出させてやりたいと思った。

 たとえそれが、耳を覆いたくなるような、真っ黒な感情だったとしても、彼女が楽になるなら、何もかも吐き出させてやりたい。

「──お嬢様」

 そっと手を伸ばすと、シーツの上に散らばった結月の髪をすくい上げ、それに口付けながらレオは囁きかける。

「前にも申し上げましたが、私が忠誠を誓うのは、お嬢様、ただお一人だけです。ですから──貴女ことは、全て知っておきたい」

 喜びも、哀しみも、怒りも
 夢も、希望も、絶望も

 俺の知らない君の全てを、何もかも知り尽くしておきたい。

 それは"執事"としてではなく

 君を愛する、一人の"男"として──


「それとも、まだ信用できませんか?」

 そう言って、また微笑みかければ、結月はレオを見上げたまま考えた。

(……私は)

 ──どう思っているのだろう?

 信用してるか、してないかで問われたら、きっと、信用してる。

 五十嵐の前だと、不思議と自然体でいられる。

 素直に、怒ったり、泣いたり。

 それはまるで、凍っていた心が溶けていくかように、人形のような無機質な自分が、人へと変わっていく──

「……本当に、誰にも話さない?」

 結月が、恐る恐るレオを見上げた。すると、躊躇いがちに放たれた言葉に、レオは穏やかな声で語りかける。

「はい。なんなら、また指切りでもしますか?」
「ふふ……」

 そう言って微笑むレオに、結月はクスッと小さく笑みを漏らすと、その後また、ポツリポツリと話しを始めた。

「私ね、幼いころ心臓が弱くて、体調を崩すことが多かったの。少し熱が出たり、咳をしただけで、直ぐに病院に連れていかれたり、専属医に来てもらったりしていたわ。お父様とお母様には、もう子供は望めなかったから、私に万が一のことがあったらいけないからって、ろくに屋敷からも出してもらえなかった」

「……」

「でもね、初めはそれがだと思っていたの。大事だから、守りたいから、屋敷から出さないんだって──」

 大切な大切な宝物を『箱』の中に閉じこめておくように、大事に大事に『屋敷』の中に閉じ込めて──

「でも、どんなに具合が悪くても、高い熱が出ても、あの二人はお見舞いどころか、電話一本下さらないのよ。私のことは全部使用人たちに任せっきり……段々分かってきたわ。あの二人が大事にしているのは、私ではなく、私の中に流れるだけなんだって。ただこの家を継ぐを、失いたくないだけなんだって」

「………」

「病院に行っても虚しくなるだけよ。それに、わかってるはずなのについ期待してしまうの。今度は、心配してくれるんじゃないかって……もう嫌なのよ。期待してしまう自分も、期待して、また裏切られるのも。だから今朝のことも、あの二人には話さなくていいわ。話したところで、私の記憶のことなんて、あの二人は全く興味ないもの」

 淡々と話す結月の言葉に、酷く胸を締め付けられた。

 きっと病院に行く度に、結月は実感したのだろう。自分が親に、全く愛されていないと言うことを──

『私、お父様とお母様に、嫌われてるの』

 一体結月は、あの言葉にたどり着くまでに、何度、親に裏切られて、何度その心を傷つけられてきたのだろう。

「……五十嵐、そんな顔しないで?」

 すると、酷く悲しげな執事を見上げ、また結月が微笑んだ。

「そんなに心配しなくても、本当に具合が悪い時はちゃんと医者にかかるわ。あなたは心配しすぎよ」

「心配……しますよ」

 結月の言葉に、レオは酷く苦しそうにその顔を歪ませた。まるで、自分の事のように、心配してくれるのが、結月は嬉しかった。

 分かってるはずだった。それが心配しているということは……

 だけど、どうして五十嵐には、こんなにも、心を許してしまうのだろう。


『───結月』

 すると、その瞬間、また、あの男の子の声がこだました。

 呆然と執事を見上げたまま、結月は無意識に手を伸ばすと、レオの頬にそっと、手を触れてみた。

 肌の温かさがじわりと指先に伝わる。

 すると、少しだけ驚いた顔をした執事に、結月は、記憶の中の"男の子"を結びつける。

 髪の色が──同じだった。

 声は、子供の声だったから、違うようにも聞こえたけど、声質や、その雰囲気は、どことなく似ている気がした。

「五十嵐、あなたは──」

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