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第2章 執事と眠り姫

箱の中

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『お嬢様、お身体に触ります。少しお休み下さい』

 父と母が帰ったあとは、メイドの矢野に連れられ、幼い私は自分の部屋へと戻った。

 部屋の中を呆然と見渡すと、先程の父の言葉が蘇ってきて、溢れそうになる涙を必死に堪える。

『女としての価値を失うところだった』

 その言葉は、ひたすら頭の中を駆け巡っていた。

 辛かった。

 愛されていないのが、父と母にとって、自分はただの『道具』でしかないということが。

 そして、母親のように思ってた人を、突然失ってしまったことに……

『っ……白木さん……ごめん、なさい……っ』

 お医者様には、頭を強く打ったショックで、半年ほど記憶を失っているといわれた。

 記憶がないが故に、私は白木さんが悪くないということを、なにも証明できなかった。

『どう、して……っ』

 包帯で巻かれた頭をおさえながら、私は必死になって考えた。

 どうして、覚えてないの?

 どうして、忘れてしまったの?

 なんで私は、階段から落ちたの?

『っ、お願い……思い、出して……っ』

 なんでもいいから、思い出したかった。

 部屋の中を見回し、私は自分の記憶を必死になって手繰り寄せようとした。

 だけど、カレンダーは、いつの間にかに半年近く進んでいて、学校で使っているノートは、確かに自分の字で書かれているのに、その授業の内容には全く覚えていなかった。

 本棚には、読んだことのない本が何冊も並んでいて、下ろしたてだと思っていた消しゴムは、いつの間にか半分に減っていた。

 見回せば、見回すほど、その部屋には、記憶にないものが至る所にあった。

『う……うぅ……っ』

 ──思い出せない。

 階段から落ちる前の、約半年分の記憶。

 どれだけ部屋の中をひっくり返しても、どれだけ思いだそうと思考をめぐらせても、その「空白の期間」のことだけは、何一つ思い出せなかった。

 だけど

『なに……これ』

 そんな時だった。

 この『箱』を、見つけたのは──

 それは、最後に開けた引き出しの中。

 その一角に、大切そうにしまわれていた、淡いブルーの小さな箱。

 だけど、それは全く記憶のない箱で、私は震える手で、そっとその箱を手にとった。

 見覚えのない箱。
 知らない箱。

 だけど、それは、初めてとは思えないほど手に馴染んで、私はすがる思いで、その箱を開けてみた。

『え……?』

 小さく音を立てて開いた、その箱の中。

 だけど、そこには何も入っていなかった。

『空っ……ぽ?』

 それは、どこにでもありそうな、何の変哲もない箱だった。

 だけど、その箱の底を見た瞬間、なんでかわからないけど、急に涙が溢れてきた。

『っ……ぅ、うぅっ』

 まるで崩れ落ちるように、その場に座り込むと、私は箱を握りしめたまま、しゃくり上げるように声をあげて泣き始めた。

『っ、ぅう……うっ、ぁぁあああぁ……っ』

 父のこと、母のこと、白木さんのこと。

 そして、記憶がないということ。

 それまで堪えていたものが、一気に溢れ出してきて──

『……け……て…っ』

 私は、その箱をみつめながら

『……たす、け……て……っ』

 ただひたすら、そう呟いていた。

 それはまるで、身体の奥から叫ぶように
 なにかを訴えかけるかのように

 ただただ箱を抱きしめたまま
 何度も、何度も……


 その時のことは、今でもよく覚えてる。

 どうして、こんな箱を持っているのか?
 どうして、箱を見て泣いているのか?

 どうして、こんな空っぽの箱に、こんなにも胸がしめつけられるのか?

 何もわからないはずなのに、その日私は、涙と声が枯れるまでの間、ずっとずっと、その『箱』に

 ──助けを求めていた。




 ✣

 ✣

 ✣



 銀のプレートの上に、ティーセットを一式用意したレオは、コツコツと靴の音を響かせ、二階にあるお嬢様の部屋にむかっていた。

 階段を上り、向かって左の部屋。

 結月が使用している部屋の前に立つと、レオはコンコンと数回扉をノックする。

「……?」

 だが、いつもなら、すぐに返事が来るはずが、扉の奥はシンと静まりかえったままで、レオは軽く首を傾げると、再度扉を叩き、中の人物に声をかける。

「お嬢様」

 だが、その後しばらく待っても、中から返事はなく、心配になったレオは、そっと扉を開けて中を覗き見ることにした。

 すると……

(……寝てる、のか?)

 どうやら、眠ってしまったのか、天蓋付きの大きなベッドの中には、小さく寝息をたてている結月の姿あった。

 レオは、そのまま部屋の中に入ると、物音を立てないよう、そっと扉を閉める。

 中央に置かれた丸テーブルまで歩み寄り、手にしたティーセットを置くと、その足で、眠るお嬢様の元へと進んだ。

 窓が開いているからか、優しい風が室内に入り込み、それは、カーテンを揺らし、同時に結月の前髪をサラサラと揺らす。

 綺麗にメイキングされたベッドは、持ち主が眠る部分にだけ皺がより、清潔感のある白のシーツには、長く綺麗な髪が無造作にちらばっていた。

 そして、白く柔らかそうな頬と、ほのかに色づいた唇。

 目を閉じ眠るその姿は、まるで、おとぎ話に出てくるお姫様のよう。

「お嬢様、お茶をお持ちしましたよ」

 その愛らしい姿を見つめながら、レオは優しく声をかけた。

 だが、それでも結月が起きることはなく、レオは、静かにベッドの上に腰掛けると、結月の頬に、そっと指を滑らせる。

 遠慮がちに、優しく。

 だが、触れた指先には、手袋ごしでも、しっかりと結月の体温が伝わってきた。

 あの日、別れてから8年。

 成長し、女になった結月は、とてもとても綺麗で……

「お嬢様……起きないのですか?」
 
 再度囁くが、よほど眠りが深いのか、結月は寝息をたてるだけで、レオは、触れていた頬から、一旦指を離すと、そのまま結月の横に手をつき、覆い隠すような体勢になった。

 キシッ──

 と、体重をかけていた場所が、ベッドの中央に移動する。

 こんな所を誰かに見られたら、自分の立場は一気に悪くなる。

 それは、わかっているはずなのに……

「結月──」

 愛しい人を見下ろし、レオはハッキリとその名を口にした。

 お嬢様を呼び捨てるなんて、執事としては、有るまじきこと。
 
 だけど、本当には、ずっとこうしたいと思っていた。

 ここに来た日から、ずっと。

 執事としてではなく男として、 彼女の名を呼び、彼女に触れたいと、ずっとずっと思っていた。

「結月……起きて。起きないと──」

  言いかけて、そのままレオは、結月の唇に視線を落とした。

 まるで、誘うように色づく唇は、他の誰でもない自分だけのモノ。

 誰にも渡したくないし、誰にも触れさせたくない。

 そんな思いが溢れた瞬間、レオは更に距離を詰め、眠る結月の唇に、ゆっくりと自身の唇を近づけた。

 

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