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第2章 執事と眠り姫

母親と記憶

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「辞めさせられてしまったんだ。8年前に」

 その瞬間、声を暗くし答えた斎藤を見て、レオは眉をひそめた。

 辞めさせられた。

 そして、その言葉が、重く深くレオの思考にのしかかる。

「白木君はね。お嬢様が赤ちゃんの時から面倒をみていたメイドでね。お嬢様にとっては、母親のような人だったんだ」

「…………」

 そして、その話は、レオの古い記憶とも繋がった。

 あの頃、結月は確かにそのメイドのことを、母親のように慕っていた。

 何度と結月の話にもでてきて、レオ自身も、幾度か、その白木というメイドを見かけたことがあったが、本当に仲睦まじい親子のような関係だった。

 それなのに──

「なぜ、その白木さんは、辞めさせられてしまったのですか?」

 レオが問いかければ、斎藤は草取りの手を止め、レオに視線を向ける。

「実は、その8年前に、お嬢様が屋敷の階段から落ちて大ケガをしてしまってね。頭から出血して昏睡状態になって、一週間、目を覚まさなかったんだ」

「…………」

「このまま目を覚まさないんじゃないかって、みんなして心配したよ。でも、幸い一命は取りとめて、お嬢様は無事だったんだが、白木君は、その責任を負わされて解雇されてしまってね」

「…………」

「あの時のお嬢様は見ていられなかった。『自分のせいで、白木さんが辞めさせられちゃった』って、酷く泣いてらしてね。……まぁ、結月様は、阿須加あすか家の大事な一人娘だ。旦那様と奥様の気持ちも分からなくはないが、それからお嬢様は、あまり外出したいと言わなくなってしまってね。きっと、また自分が怪我でもしたら、使用人に迷惑がかかるとでも思っているんだろう」

 斎藤が、小さくため息をつけば、レオもまた胸を痛めた。

 自分の知らない間に、結月は親よりも深い絆を得ていた使用人を、一人失っていたのだと。

 時には優しく、時には厳しく。

 全く親から見向きもされなかった結月を、我が子のように慈しみ、あのような優しい娘に育ててくれたのは、きっと、そのメイド──白木しらき 真希まきだ。

 彼女がいなければ、レオだって、結月に恋することはなかったかもしれない。

(……そうか、それで)

 斎藤の話を聞きながら、レオは手にしたデッキブラシのをきつく握りしめた。

 は、結月の気持ちなんて、何も考えていない。

 そう、何よりも嫌悪感を抱くのは、結月の親。

 ──『阿須加あすか 洋介ようすけ』と『阿須加あすか 美結みゆ』だ。


「五十嵐君、ありがとう。すっかり綺麗になった」

 すると、斎藤に再び声をかけられ、レオはハッと我に返った。

 見れば、斎藤は花壇の手入れを終え、噴水の前まで歩み寄ってきていた。

「あとは大丈夫だから、シャワーでも浴びておいで」

「……あ、はい」

 斎藤の呼びかけに素直に答えると、レオは噴水の中から出て、その後、また問いかけた。

「あの、斎藤さん、ひとついいですか?」

「ん? なんだい?」

「お嬢様が、階段から落ちて目を覚ましたあと、なにも変わったことはありませんでしたか?」

「変わったこと? いや、特には……あ」

 だが、なにかを思い出したのか、斎藤は言葉を詰まらせた。

「そういえば、医者には、と言われたそうだ。でも、その半年間、特に変わりなく過ごしていたから、食事会に参加した相手の名前を忘れているとか、学校の授業内容が半年遅れたくらいで、とくに生活に支障はなかったけどね」

「……そうですか」

 だが、その言葉に、レオはある確信を得た。

 結月はその時、頭を強く打って昏睡状態になり、一週間目を覚まさなかった。

 ならば、なにか後遺症が残っていても不思議ではない。

 つまり、結月は今──

 そして、その「空白の記憶」の中に……

(俺との時間記憶が、あるってことか)

 その瞬間、結月のことを思い、レオはそっと目を閉じた。

 自分が結月と別れた後、そんな事があったなんて、全く知らなかった。

 目を覚ましてくれて、良かった。
 無事でいてくれて、良かった。

 だが、目が覚めたあとの結月のことを思うと、酷く心が傷んだ。

 半年分の記憶を失って呆然とする中、同時に母親のような人を失い、全く記憶のないあの『箱』を目にして、結月は何を思ったのだろう。

 それを思うと、今すぐにでも抱きしめたくなった。

 だが、そんなこと出来るはずもない。

 なぜなら、記憶を失っている結月にとって、今の自分は、でしかないのだから──

「五十嵐くん」

 すると、また斎藤に声をかけられ、レオが振り向けば、斎藤は噴水の中を綺麗に流し終え、また新たに水を溜めているところだった。

 ゆっくりとその水面が満ちていく中、レオはそれを呆然と見つめながら斎藤の話に耳を傾ける。

「私は、今夜からに戻るつもりなんだが、夜の管理は一人でも大丈夫かい?」

「はい。問題ありません」

「はは、君が優秀で良かった」

 にこやかに笑う斎藤。通いに戻ると言うことは、今夜から、この屋敷に寝泊まりする男は自分だけになると言うこと。

 そんなことを漠然と考えながら、レオは少しだけ考え込むと、斎藤の姿を見つめ、また微笑む。

「斎藤さん、後で部屋に伺っても良いでしょうか?」

「え?」

 唐突に出たその言葉に、斎藤が首を傾げる。

「私の部屋に? 別に構わないが、どうかしたのかい?」

「少し、お話したいことがあって」

「話? なんだい改まって。時間のかかる話かい?」

「いいえ──」

 その返答に、レオはすっと目を細めると

「大丈夫ですよ。すぐに終わりますから」

 そう、小さく笑った。



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