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第2章 執事と眠り姫

お嬢様のために

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 ──コンコンコン

 それから三週間が経った、5月中旬。

 休日の昼下がり、部屋で勉強をしていた結月ゆづきの元に、扉をノックする音が響いた。

「どうぞ」

「失礼致します」

 結月が返事をすれば、入ってきたのは、先日来たばかりの新しい執事。

 銀のプレートの上には、ティーポットとケーキがあり、その執事・五十嵐いがらし レオは、優雅な立ち姿で、中央に置かれたテーブルまで歩み寄ると、お嬢様に向けて、優しく微笑みかける。

「お嬢様、お茶をお持ち致しました」

「ありがとう、五十嵐」

 勉強をしていたアンティークデスクから立ち上がると、結月は、そのまま中央のテーブルに移動し、執事にエスコートされるまま席へとついた。

 勉強の合間の、ちょっとした息抜き。

 すると、結月が落ち着いたのを見届けたのか、執事は冨樫シェフが作ったデザートを差し出し、紅茶をれなから説明を始めた。

「本日のデザートは、フランボワーズのムースケーキです。紅茶は、リンネフェルト社のアールグレイをご用意致しました。お気に召すと宜しいですが」

「ありがとう。愛理さんの作ってくれるデザートは、どれも手が込んでいて美味しいものばかりよ。それに、五十嵐が、れてくれる紅茶も、とても美味しいわ」

 明るく返事をすれば、結月は目の前に出された紅茶を手にとり、その香りをたしなむ。

 いつもと変わらない、優雅な休日。

 変わったとしたら、かたわらにいる、この執事くらいだろうか?

「そういえば……フランボワーズって、どういう意味なのかしら?」

 すると、皿に盛りつけられたケーキを見て、結月がポツリと呟く。

「"framboise"は、フランス語で"ラズベリー"を意味する言葉です。つまり、木苺きいちごを使用したお菓子と言うことですね」

「あ、そういうことなのね。五十嵐は、色々物知りね。お菓子のことにも詳しいなんて」

「恐れ入ります。ですが、これに関しては、大した知識ではございません。昔、で暮らしていたことがあったので、知っていただけでございます」

「フランス?」

 瞬間、結月はきょとんと首を傾げ

「五十嵐、帰国子女だったの?」

「はい。生まれは日本ですが、フランスに移り住み、その後イギリスに渡り、執事バトラーの養成学校で学んだあと、また日本に帰国致しました」

「まぁ、そうだったの。どうりで優秀なわけね。矢野も斎藤も驚いていたわ。たったの一週間で屋敷の業務を全て覚えてしまったって。なんだか私には勿体ないくらい優秀な執事ね」

 結月が、ニッコリと微笑むと、レオもまた、結月を見つめ愛おしそうに微笑む。

 だが、レオが結月と再会して、三週間。

 あれから執事として、ずっと結月の傍にいるが、結月がレオのことを思い出すことはなかった。

(フランスに住んでいたことを伝えても、ダメか)

 自分のことを話せば、少しくらいは、その記憶の片隅に留まっているのではないかと思った。

 だが、それを伝えても、結月の表情は変わらない。

 レオは、ティータイムを楽しむ愛しい人を見つめながら、悲しそうに目を伏せる。

(俺のこと……なんとも思ってなかったのか?)

 そんなに簡単に、消えてしまうような思いだったのだろうか?

 あの日、泣きながら『行かないで』と言っていたのは、結月、お前の方なのに──

「あ!」
「……!」

 すると、急に結月が声を発して、レオは再び、お嬢様に目を合わせた。

 思い出したのだろうか?

 そんな期待が微かに宿る。

「ねぇ、五十嵐。お父様とお母様、次はいつ屋敷にいらっしゃるのかしら? 保護者に確認してもらわなきゃいけない書類を預かっているのだけど」

「………」

 だが、そんな期待は、あっさり打ち砕かれた。

 どうやら、思い出したわけではないらしい。

 レオは軽く落ち込みつつも、また話を続ける。

「旦那様も奥様も、こちらにお立ち寄りになると言ったお話はうかがっておりません」

「そう……なら、父でも母でもいいから、その書類を届けてくれない? 捺印も必要みたいだから」

かしこまりました。それで、その書類はどちらに?」

「デスクの一番上の引き出しよ」

「一番上ですね」

 その言葉に、レオはすぐさま結月のデスクまで足を運び、一番上の引き出しを開けた。

 整理された引き出しの中には、書類の他にも、本や筆記用具など、普段よく使うものが綺麗に並べられていた。

(これか、書類は……)

 だが、書類を手に取ろうとした瞬間、引き出しの一角に置かれたに、レオは目を奪われた。

 それは『正方形の箱』だった。

 淡いブルーの──小さな小さな箱。

「……これ」
「?」

 だが、そんなレオの言葉に、今後は結月が反応する。

 みればデスクの前で、あの『空っぽの箱』を手にした執事が見えて、結月は慌てて立ち上がった。

「い、五十嵐! それはダメ!!」

 直後、結月はレオの側に駆け寄り、箱を手にしたレオの手をギュッと握りしめた。

「っ……」

 白い手袋ごしに、手と手が触れ合えば、さっきまで冷静だったレオの鼓動が微かに早まる。

「お、お嬢様……っ」

「あのね。この中には何も入ってないの! ただの空っぽの箱よ! だから、貴重品ではないから、持って行ったりしないで!!」

「…………」

 その箱が、宝石でも入っていそうな箱だったからか、結月は金庫に保管されるとでも思ったのかもしれない。

 だが──

「……なぜ、からの箱を?」

「え?」

 更に問いかけられ、結月は口ごもる。

 なぜ?──その問いに上手く答えられない。

 何故なら、自分でも分からないのだ。 

 どうして、その箱を手放すことが出来ないのか?

「ど……どうしてかはわからないけど。でも、その箱は私にとって、とてもとても『大切なもの』なの!」

 今は、それしか伝えられなかった。

 ギュッとレオの手を握り、結月はレオを見上げて懇願こんがんする。

 たが、その表情を見れば、結月がこの箱を、どれだけ大事にしてきたのかが良くわかった。

 そうか、結月は、ずっとこの箱を……

「──お嬢様」

 レオはその後、柔らかく微笑むと、自分の手を握りしめている結月の手に、そっと空いた片方の手を重ね合わせた。

「失礼いたしました。お嬢様の『大切なもの』に、勝手に手を触れてしまって──」

「……っ」

 整った顔が近づけば、今にもキスできそうな距離で視線が合わさった。

 そして、その距離に戸惑い、結月の頬は無意識に赤らむ。

「い、五十嵐……っ」

「それと先程、自分には勿体無い執事だとおっしゃいましたが、そんなことはございません」

「え?」

「なぜなら、私は──に、こうして執事となって戻ってきたのですから」

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