363 / 526
第一部
第三十五話 シャボン玉の世界で (1)
しおりを挟む
ランドルフィ王国北部パピーニ――
火事場で上がる黒煙をすっかり吸い込んだかのように、空は暗かった。
天候は好転する様子がない。
ぽつぽつと窓にぶつかる雨を眺めながらスワスティカ猟人《ハンター》フランツ・シュルツは項垂れた。
――こんな場所に留まってはいられない。
先日大空から降下して、パピーニを探索しようとしたのだが、生憎の大雨で連日部屋の中に閉じ込められてしまっていた。
ここはベッドで蚤が跳ねるような古い宿屋だ。豪華なホテルもあるのだが人嫌いなフランツはあえてここを選んだ。
そもそもなぜランドルフィ王国へ来たのかと言うと、旧スワスティカ特殊工作部隊『火葬人』のクリスティーネ・ボリバルの分身の存在を聞きつけていたからだ。
本体は既に十年以上前、スワスティカの陥落とともに自殺を遂げている。
だが、このボリバルは物を複製できる能力を持っており、自身の身体も同様に
複製できた。
しかも、その複製もまた、複製が可能らしい。
つまり、指数関数的にどんどん増えていくということだ。
実際、トルタニアの各地でもその姿を同時発見されており、報告は引っ切りなしにシエラレオーネ政府まであがってくる。
複製する能力は実に厄介だ。兵器などをたくさん作られては戦争の種を播《ま》くことにも繋がりかねない。
当然、フランツの元にも数多くの情報が寄せられていた。
「ねぇ~、遊ばないんですかぁ?」
同行するオドラデクはベッドの上で気怠そうに転がっていた。
蚤はフランツが細心の注意を込めて取り、それでも見落としたものを同行する犬狼神ファキイルが残らず取った。
ファキイルは無口なようで、これでなかなか気がまわるところがある。
今は部屋の壁に凭れて両足を床にのばして、ぼーっとした顔でフランツを見詰めていた。
「フランツさん、フランツさぁん」
いきなり雨は止んだ。だが、またすぐに降り出すかも知れない。
「俺たちは元々目立ってはいけないんだ」
フランツが言った。
「またぁ、フランツさんはお堅いこと言っちゃって。少しぐらいなら羽根を伸ばして良いじゃありませんかぁ~!」
オドラデクは肘を寄せて、合わせた手の上に顎を置いた。首を左右に揺すっている。
――こいつ、可愛《かわいこ》い子ぶっているつもりなのか……?
フランツは鬱陶しく思った。
「雨は今日は降らないだろう」
ファキイルがぽつりと口にする。
「こんな空だぞ」
「鈍色のままで留まることもある」
ファキイルは詩を吟ずるように言った。
「神さまが言うんですから、きっと間違いないでしょー!」
オドラデクが調子よく応じた。
「神ではない」
ファキイルは断った。
「……仕方ないな」
フランツは立ち上がった。
「うわーい」
オドラデクはすとんとベットから滑り落ちた。
「少しでも雨が降り出したらすぐに戻るぞ」
と言いながらフランツは外出の用意を始めた。
――屋内にずっといても仕方ないからな。
と自らを納得させつつ。
確かに雨は降る気配がない。
黒い空は黒いままで、滴を垂らすには到らないのだ。
三人は石畳の道を歩んだ。
「ふぁふぁふぁ、お出かけ楽しいなっ」
オドラデクははしゃいでグルグルと辺りを回っていた。
「お前は金を使うの禁止な」
フランツは釘を刺した。
「えええっ、なんでぇ」
オドラデクは情けなそうな声を出す。買い物する気満々だったのだ。
「あれはなんだ」
ファキイルは遠くを指差した。
フランツはその方を見た。
ボンネットを被った人のサイズほどもある野ネズミが、路の向こうからのそりのそりと歩いてくるのだ。
「獣人……ですねぇ」
オドラデクが言った。
火事場で上がる黒煙をすっかり吸い込んだかのように、空は暗かった。
天候は好転する様子がない。
ぽつぽつと窓にぶつかる雨を眺めながらスワスティカ猟人《ハンター》フランツ・シュルツは項垂れた。
――こんな場所に留まってはいられない。
先日大空から降下して、パピーニを探索しようとしたのだが、生憎の大雨で連日部屋の中に閉じ込められてしまっていた。
ここはベッドで蚤が跳ねるような古い宿屋だ。豪華なホテルもあるのだが人嫌いなフランツはあえてここを選んだ。
そもそもなぜランドルフィ王国へ来たのかと言うと、旧スワスティカ特殊工作部隊『火葬人』のクリスティーネ・ボリバルの分身の存在を聞きつけていたからだ。
本体は既に十年以上前、スワスティカの陥落とともに自殺を遂げている。
だが、このボリバルは物を複製できる能力を持っており、自身の身体も同様に
複製できた。
しかも、その複製もまた、複製が可能らしい。
つまり、指数関数的にどんどん増えていくということだ。
実際、トルタニアの各地でもその姿を同時発見されており、報告は引っ切りなしにシエラレオーネ政府まであがってくる。
複製する能力は実に厄介だ。兵器などをたくさん作られては戦争の種を播《ま》くことにも繋がりかねない。
当然、フランツの元にも数多くの情報が寄せられていた。
「ねぇ~、遊ばないんですかぁ?」
同行するオドラデクはベッドの上で気怠そうに転がっていた。
蚤はフランツが細心の注意を込めて取り、それでも見落としたものを同行する犬狼神ファキイルが残らず取った。
ファキイルは無口なようで、これでなかなか気がまわるところがある。
今は部屋の壁に凭れて両足を床にのばして、ぼーっとした顔でフランツを見詰めていた。
「フランツさん、フランツさぁん」
いきなり雨は止んだ。だが、またすぐに降り出すかも知れない。
「俺たちは元々目立ってはいけないんだ」
フランツが言った。
「またぁ、フランツさんはお堅いこと言っちゃって。少しぐらいなら羽根を伸ばして良いじゃありませんかぁ~!」
オドラデクは肘を寄せて、合わせた手の上に顎を置いた。首を左右に揺すっている。
――こいつ、可愛《かわいこ》い子ぶっているつもりなのか……?
フランツは鬱陶しく思った。
「雨は今日は降らないだろう」
ファキイルがぽつりと口にする。
「こんな空だぞ」
「鈍色のままで留まることもある」
ファキイルは詩を吟ずるように言った。
「神さまが言うんですから、きっと間違いないでしょー!」
オドラデクが調子よく応じた。
「神ではない」
ファキイルは断った。
「……仕方ないな」
フランツは立ち上がった。
「うわーい」
オドラデクはすとんとベットから滑り落ちた。
「少しでも雨が降り出したらすぐに戻るぞ」
と言いながらフランツは外出の用意を始めた。
――屋内にずっといても仕方ないからな。
と自らを納得させつつ。
確かに雨は降る気配がない。
黒い空は黒いままで、滴を垂らすには到らないのだ。
三人は石畳の道を歩んだ。
「ふぁふぁふぁ、お出かけ楽しいなっ」
オドラデクははしゃいでグルグルと辺りを回っていた。
「お前は金を使うの禁止な」
フランツは釘を刺した。
「えええっ、なんでぇ」
オドラデクは情けなそうな声を出す。買い物する気満々だったのだ。
「あれはなんだ」
ファキイルは遠くを指差した。
フランツはその方を見た。
ボンネットを被った人のサイズほどもある野ネズミが、路の向こうからのそりのそりと歩いてくるのだ。
「獣人……ですねぇ」
オドラデクが言った。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました
ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら……
という、とんでもないお話を書きました。
ぜひ読んでください。
【完結】7年待った婚約者に「年増とは結婚できない」と婚約破棄されましたが、結果的に若いツバメと縁が結ばれたので平気です
岡崎 剛柔
恋愛
「伯爵令嬢マリアンヌ・ランドルフ。今日この場にて、この僕――グルドン・シルフィードは君との婚約を破棄する。理由は君が25歳の年増になったからだ」
私は7年間も諸外国の旅行に行っていたグルドンにそう言われて婚約破棄された。
しかも貴族たちを大勢集めたパーティーの中で。
しかも私を年増呼ばわり。
はあ?
あなたが勝手に旅行に出て帰って来なかったから、私はこの年までずっと結婚できずにいたんですけど!
などと私の怒りが爆発しようだったとき、グルドンは新たな人間と婚約すると言い出した。
その新たな婚約者は何とタキシードを着た、6、7歳ぐらいの貴族子息で……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる