355 / 526
第一部
第三十四話 貴族の階段(3)
しおりを挟む
「結婚です。親から嫌な相手を押し付けられそうになりました」
エルヴィラは意外と率直に話した。
「よくある話だな」
ズデンカは苦笑いした。
――もう少し回りくどく言われるのかと思ったぜ。
「はい。いわゆる政略結婚ですね。南側にあるムロージェク伯爵家の子息と結婚しろと父に言われました。所領・家格ともにあちらの方がはるかに上です。父にとったら、望ましいのでしょう」
「なるほど、でもあなたはそれがお嫌なんですよね?」
ルナが誘導する。
「はい」
エルヴィラは同じ答えを返した。
「なら、あなたには別にご相手がいらっしゃる訳ですね?」
ルナは普通の人なら躊躇するようなことも平気で訊ける。それは美点でもあったが。
「そうですね。よくおわかりになりました」
「政略結婚なんて誰でも嫌ですからね。とくに女性ならなおさらだ。出来うるなら自分の選んだ相手がいい。そう思うでしょう? わたしは関係ないことですけどね。さて、どのような方ですか?」
ズデンカはそこに男はそう思わないのでは、と言う含みを感じ取った。
「優しい方です」
「ふむ。それだけじゃよくわからないな。もう少し具体的にお願いできませんか」
ルナはすっかり冷たくなっていたパイプを仕舞った。
「園丁の娘でした。毎日のように父親が剪定に来るので、付添として来ていました。私は花を見るのが好きで、庭を歩いているとよく擦れ違って、最初は躊躇いもあったけど、やがて打ち解けて話せるようになりました」
「素敵な出会いですね」
ルナは笑った。
「名前は何て言う?」
ズデンカは訊問調を崩さない。
「アグニシュカです」
「お二人ご一緒に逃げなかったのですか?」
「先にゴルダヴァまで行くという話になりました。そこで待ち合わせる予定なのです」
と言ってエルヴィラは不安そうな顔をした。
「あなたたちは幸せに向かわれているのに、どうしてそう暗い顔をなさるのですか?」
――察しろよ。
ズデンカは前に坐っているルナの革靴を軽く蹴った。
甘やかされて育った貴族出身の女が逃げ出してすぐに暮らしていけるほど世の中は甘くない。ましてや貧乏だろう庭師の娘と二人連れだ。親からの支援も受けられないのにどうやって生活すればいいか、将来が不安になるのも当然だろう。
「……」
エルヴィラは顔を伏せた。
ズデンカは立ち上がって、ルナに耳を寄せて囁いた。
「かくかくしかじか、じゃねえのか」
「なるほど! エルヴィラさんが叶えて貰いたい願いって、つまり生活費のことか!」
ルナは謎が解けたように朗らかな顔付きになって言った。
エルヴィラは顔を赤らめた。
「申し訳ありません。貴族は現金を持ってはいけないと父から厳しく躾けられていて。何とかかき集めたお金も切符で遣ってしまい……ペルッツさまをお見かけして、願いを叶えて頂けることを思い出し咄嗟に身体が動いて……」
「二枚も買うからだ」
ズデンカは腰に手を当てて言った。
「本当に済みません……」
エルヴィラは恐縮した。
「いえいえ、喜んで小切手を提供しましょう。わたしはありあまるほど金があるんだから、困っている方を助けるのはやぶさかではない……しかし、綺譚《おはなし》を訊かせてくだされば、ですけどね」
「今までのお話ではいけないのでしょうか……」
「足りないですね。もうちょっとぴりっとした香辛料がないと。でも、どんな人も綺譚《おはなし》を一つぐらい持っているはずです」
ルナはウィンクした。
「それなら、あの話を聞いて頂けますか? 私が階段を降りた話を」
「階段を?」
ズデンカは怪訝《かいが》した。
エルヴィラは意外と率直に話した。
「よくある話だな」
ズデンカは苦笑いした。
――もう少し回りくどく言われるのかと思ったぜ。
「はい。いわゆる政略結婚ですね。南側にあるムロージェク伯爵家の子息と結婚しろと父に言われました。所領・家格ともにあちらの方がはるかに上です。父にとったら、望ましいのでしょう」
「なるほど、でもあなたはそれがお嫌なんですよね?」
ルナが誘導する。
「はい」
エルヴィラは同じ答えを返した。
「なら、あなたには別にご相手がいらっしゃる訳ですね?」
ルナは普通の人なら躊躇するようなことも平気で訊ける。それは美点でもあったが。
「そうですね。よくおわかりになりました」
「政略結婚なんて誰でも嫌ですからね。とくに女性ならなおさらだ。出来うるなら自分の選んだ相手がいい。そう思うでしょう? わたしは関係ないことですけどね。さて、どのような方ですか?」
ズデンカはそこに男はそう思わないのでは、と言う含みを感じ取った。
「優しい方です」
「ふむ。それだけじゃよくわからないな。もう少し具体的にお願いできませんか」
ルナはすっかり冷たくなっていたパイプを仕舞った。
「園丁の娘でした。毎日のように父親が剪定に来るので、付添として来ていました。私は花を見るのが好きで、庭を歩いているとよく擦れ違って、最初は躊躇いもあったけど、やがて打ち解けて話せるようになりました」
「素敵な出会いですね」
ルナは笑った。
「名前は何て言う?」
ズデンカは訊問調を崩さない。
「アグニシュカです」
「お二人ご一緒に逃げなかったのですか?」
「先にゴルダヴァまで行くという話になりました。そこで待ち合わせる予定なのです」
と言ってエルヴィラは不安そうな顔をした。
「あなたたちは幸せに向かわれているのに、どうしてそう暗い顔をなさるのですか?」
――察しろよ。
ズデンカは前に坐っているルナの革靴を軽く蹴った。
甘やかされて育った貴族出身の女が逃げ出してすぐに暮らしていけるほど世の中は甘くない。ましてや貧乏だろう庭師の娘と二人連れだ。親からの支援も受けられないのにどうやって生活すればいいか、将来が不安になるのも当然だろう。
「……」
エルヴィラは顔を伏せた。
ズデンカは立ち上がって、ルナに耳を寄せて囁いた。
「かくかくしかじか、じゃねえのか」
「なるほど! エルヴィラさんが叶えて貰いたい願いって、つまり生活費のことか!」
ルナは謎が解けたように朗らかな顔付きになって言った。
エルヴィラは顔を赤らめた。
「申し訳ありません。貴族は現金を持ってはいけないと父から厳しく躾けられていて。何とかかき集めたお金も切符で遣ってしまい……ペルッツさまをお見かけして、願いを叶えて頂けることを思い出し咄嗟に身体が動いて……」
「二枚も買うからだ」
ズデンカは腰に手を当てて言った。
「本当に済みません……」
エルヴィラは恐縮した。
「いえいえ、喜んで小切手を提供しましょう。わたしはありあまるほど金があるんだから、困っている方を助けるのはやぶさかではない……しかし、綺譚《おはなし》を訊かせてくだされば、ですけどね」
「今までのお話ではいけないのでしょうか……」
「足りないですね。もうちょっとぴりっとした香辛料がないと。でも、どんな人も綺譚《おはなし》を一つぐらい持っているはずです」
ルナはウィンクした。
「それなら、あの話を聞いて頂けますか? 私が階段を降りた話を」
「階段を?」
ズデンカは怪訝《かいが》した。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
【完結】7年待った婚約者に「年増とは結婚できない」と婚約破棄されましたが、結果的に若いツバメと縁が結ばれたので平気です
岡崎 剛柔
恋愛
「伯爵令嬢マリアンヌ・ランドルフ。今日この場にて、この僕――グルドン・シルフィードは君との婚約を破棄する。理由は君が25歳の年増になったからだ」
私は7年間も諸外国の旅行に行っていたグルドンにそう言われて婚約破棄された。
しかも貴族たちを大勢集めたパーティーの中で。
しかも私を年増呼ばわり。
はあ?
あなたが勝手に旅行に出て帰って来なかったから、私はこの年までずっと結婚できずにいたんですけど!
などと私の怒りが爆発しようだったとき、グルドンは新たな人間と婚約すると言い出した。
その新たな婚約者は何とタキシードを着た、6、7歳ぐらいの貴族子息で……。
隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました
ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら……
という、とんでもないお話を書きました。
ぜひ読んでください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる