上 下
351 / 526
第一部

第三十三話 悪魔の舌(9)

しおりを挟む
「わたしは使役なんて出来ませんよ。ただこちらが少しだけ有利になるようにして頂いてるってだけでしてね。それより」

 ルナは朗らかに言った。

「わたしの訊いたことにちゃんと答えて貰ってないですね」

 ルナの微笑みには恫喝が含まれていた。

 悪魔は目に見えて狼狽え始めた。

「カッ、カスパーの心臓は人間のものではない! だからこそやつは悪魔を言うがままに扱えるのだ」

「ほう。それは初耳の情報です」

 ズデンカも思わず耳を欹《そばだ》てた。

「カスパーの心臓は、鼠の三賢者、カスパールだ!」

 モラクスは喚いた。

「鼠の三賢者!」

 ルナは手を叩いた。

 ルナとズデンカはかつて、ランドルフィ王国のパヴェーゼにて、鼠の獣人の祖と言われた三賢者の一人、バルタザールと会ったことがある。ルナは本を多く読んで情報を知ったようだが、ズデンカは残る二人の行方を訊いていない。

「その名はバルタザール、メルキオール、カスパール。うん。確かにカスパーは地域によってはカスパールと発音する! 繋がりはありそうだけど、なんで心臓を?」

 「三賢者は最初、とても小さかった。今でもいる鼠と同じぐらいはな」

「あ、それは知ってます。本で読みました!」

 ルナはあくまで暢気だった。

「程良い大きさで留まったバルタザール、巨大化を続けたメルキオール、とは異なり、カスパールは己の姿を小さなままに留めた。だが、その持つ魔力は他の二人を遙かに凌ぐ。このことは悪魔なら誰でも知っている」

「それは読書では身に付かない知識ですね。ほんと、勉強になるなあ」

 ルナは手帳を取り出してメモをし始めていた。

――悪魔の願いも叶えるって言うんじゃねえだろうな。

 ズデンカは訝しんだ。

「カスパー・ハウザーは、その存在を知り、強大な魔力を得たいと望んだ。ハウザーとカスパールの間でどう言う協定があったのかそれは知らないが、カスパールを己の心臓の代用としたという」

「面白い! 面白い! 鼠を心臓にするなんて、カスパーのやることはほんと傑作だ!」

 ルナは全身を使って貧乏揺すりを始めていた。両手が塞がっているのでポーズを取れないためだろう。

「それによって『鐘楼の悪魔』が作られた訳か」

 ズデンカは訊くともなく訊いた。

 「いや、カスパールがハウザーに力を授けたとしても、それだけでは、あれほどの本を作り出せなかっただろう。何かがあったに違いない」

 モラクスは言った。少し落ち着きを取り戻してきたようだ。

「何かとは何だ?」

 もうズデンカが尋問官となっていた。

「俺は知らない。悪魔にもわからないことがある」

「何だとてめえ!」

 ズデンカはなぜか頭にきて声を荒げた。

 モラクスは目を瞑った。瞼まで震えている。さきほどの威勢はすっかり削がれてしまったらしい。

――いや、あたしは知っている。

 ズデンカは気付いていた。

 ルナの持つ幻想を実体化する能力。それをハウザーが得たことが『鐘楼の悪魔』を各地に拡散させるきっかけに繋がっているのではないか、と。

 そう推測するに足る根拠は長い旅で断片的ながら得ていた。

 だが、ズデンカは口にしたくなかった。それはルナに責任を帰することだ。

――悪いのは全部ハウザーだ。

「そっかぁ、じゃあ仕方ないなあ。実に興味深い綺譚《おはなし》を聞かせて貰いましたよ。あなたのお願いを一つだけ叶えることができる」

――悪魔は人を騙すんだぞ!

 ズデンカは焦った。

 じじつ、目を開いた悪魔の顔に歪んだ笑みが浮かんだ。

「ただし」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

【完結】7年待った婚約者に「年増とは結婚できない」と婚約破棄されましたが、結果的に若いツバメと縁が結ばれたので平気です

岡崎 剛柔
恋愛
「伯爵令嬢マリアンヌ・ランドルフ。今日この場にて、この僕――グルドン・シルフィードは君との婚約を破棄する。理由は君が25歳の年増になったからだ」  私は7年間も諸外国の旅行に行っていたグルドンにそう言われて婚約破棄された。  しかも貴族たちを大勢集めたパーティーの中で。  しかも私を年増呼ばわり。  はあ?  あなたが勝手に旅行に出て帰って来なかったから、私はこの年までずっと結婚できずにいたんですけど!  などと私の怒りが爆発しようだったとき、グルドンは新たな人間と婚約すると言い出した。  その新たな婚約者は何とタキシードを着た、6、7歳ぐらいの貴族子息で……。

隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました

ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら…… という、とんでもないお話を書きました。 ぜひ読んでください。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

処理中です...