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第一部

第三十三話 悪魔の舌(1)

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――ネルダ共和国中部・鉄道車内 


「あー、退屈!」

 綺譚蒐集者《アンソロジスト》ルナ・ペルッツは頬杖を突いていた。

 さっきまで突いていたメイド兼従者兼馭者の吸血鬼《ヴルダラク》ズデンカのが伝染《うつ》ったのだろう。

「これが汽車の旅だ。お前が一番多く経験しているはずだが」

 ズデンカは呆れた。

「でも、誰とも出会えないなんてつまらないじゃないか」

 ルナは言った。確かに今のところ誰とも行き合っていない。いや、そもそもクンデラを出発してからまだ一つ目の駅にも停まっていないのだ。

「気が早すぎる」

 ズデンカは窘《たしな》めた。

「早く来ないかなあ」

 ルナはそわそわと肩を動かしていた。

 「このハムをパンで挟んだ食べ物、美味しいです」

 旅に同行するナイフ投げ・カミーユ・ボレルは言った。乗車前に買って置いた昼飯を食べ始めたのだ。

「ラ・ロシュフコーを喰ったことがないのかよ」

 ズデンカは驚いた。二百年前にトゥールーズで著名なラ・ロシュフコー男爵が発明したとされる食品だ。ズデンカは物を食べないがそれでも知っているぐらいポピュラーなものだった。

「はい、サーカス団員ってほんとに粗食で。ハムなんかなかなか食べられなかったですよ! オートミールばっかりでした」

 カミーユは顔を輝かせた。

「カミーユ。不憫な子!」

 ルナが目元をハンカチで拭う素振りをした。

「ええっ、ルナさんどうしたんですか!」

 カミーユは慌てた。

「バルトルシャイティスも酷えな。育ち盛りのやつらにろくな食事も与えずに」

 ズデンカは憤った。

 バルトルシャイティスとはカミーユが元いたサーカス団『月の旅団』の団長だ。

「いえいえ、団長も私たちと同じ物を召し上がっていましたよ! それも他より少ないぐらいで」

「知れたもんじぇねえ。口先で聖人君子ぶるやつなんざ幾らでもいる」

 ズデンカは腕を組んだ。最初はカミーユを押し付けられて腹が立っていたのが、今は腹を立てる理由が変わってしまっている。

「団長は凄い人ですよ! 一度は諦めたサーカス団を作り上げたんですから」

 カミーユはムキになってバルトルシャイティスを擁護する。

「そりゃ自分の欲だろ。やりたいことをやって稼ぐのが人間って動物だ」

 ズデンカは冷たく言った。

「いえいえ、何でそうマイナスの方にマイナスの方にばかり取るんですかズデンカさんは! サーカスをいちから作るなんて、私じゃとても出来ませんよ!」

 カミーユはいきり立った。

「ちょっと、二人とも。喧嘩になってる喧嘩になってる」

 ルナは微笑みながら繰り返した。

 「いや、あたしは喧嘩したくねえが……」

 ズデンカは腕を組んだ。

 カミーユはぶすくれたまま、ラ・ロシュフコーを頬張って喉を詰まらせ、水筒を急ぎ口に運んでいた。

「まあ喧嘩ができるようになったってことは仲間になったってことさ。これまでカミーユはお客さんだった。あえて腹の内をぶちまけ合うって瞬間も人生の一時期にはあって然るべきじゃないかい」

 ルナはパイプを掌の上に置いて左右から眺めていた。

「……」

 カミーユとズデンカは無言のままだった。

 と、そこで個室の扉が大きく揺れた。続いて引き開けられる。

 陰気な大男がのそのそと中に入って来て、ルナの横に腰掛けた。
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