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第一部
第三十二話 母斑(9)
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「なるほど、その鏡にエルフリーデの霊が宿っていたところ、ずっと後になって同じ名前の女が邸にやってきた。そして、鏡を見た時に憑依したんだな」
ズデンカは納得した。
「戦争もあったし、邸の所有者は今と違うそうだよ。血縁関係もないとかで」
ルナは補足した。
「でも、君の見立てでほとんど間違いないかな。エルフリーデさんは死ぬ前の記憶を忘れ、それまで生きてきたようにこの世を生き始めた」
「社会が変わり過ぎるだろう。五十年じゃ」
「あれ? 君にしたらあっという間じゃないの?」
ルナはとぼけた。
「それぐらいわかる。経験だ」
ズデンカは訳のわからない恥ずかしさを覚えながら言った。
「霊って言っても百パーセント生前の記憶を持っているわけじゃない。わたしの能力で過去を補完する前はエルフリーデさんは記憶を大部分失っていたようなんだ。もちろん、生い立ちに関してはしっかりと覚えていたけどね」
「確かに! 話に訊く限りですけど、幽霊ってあまり話さなかったりしますもんね!」
カミーユは突然立ち上がって叫んだ。
「そうなんだよ。霊体ってのはわれわれ生きている人間ほど記憶の容量がないようなんだ」
ルナはこくこくと何度も頷いていた。
「でもあいつは生い立ちのことは詳しく話したじゃないか」
ズデンカはいささか抗弁気味に言った。
「それは誰だって忘れられないさ」
ルナは遠くを眺めやるような目付きをして言った。
ズデンカはもっと色々話そうと思ったがここで打ち切ることにした。
「さてと」
ルナはベンチに横たえた妻を上から眺めるヒュルゼンベックに向かって言った。
「奥さんが目を覚まされる前に少しだけお話ししましょう。エルフリーデさん――もちろん、憑依した方ですが――はたまに家を空けられることがありましたね」
「ああ」
握り締めた両手をブルブルと震わせながら、ヒュルゼンベックは言った。
「おそらく、高級娼婦としての仕事をされていたんでしょうね」
「……」
「それを許せますか? 正直に言いますが、許せるだけの度量があなたにおありでしょうか。お話を聞いている限りではそう思ってしまうんです。妻の不貞(という言葉を使っておきますが)を許せない夫というのはいるものだ。幸いカザックは離婚がそこまで煩雑じゃなかったと記憶しています。別れるというのも一つの手ですよ?」
「……ある」
ヒュルゼンベックは重々しく言った。
「理由は?」
ルナはしつこく問う。
「僕の妻だからです。そもそもエルフリーデに罪はないんだ。責めることができるか」
「なるほどなるほど、納得出来ました」
ルナは手帳を閉じた。
「ところで、わたしは綺譚《おはなし》を聞かせて頂いた方のお願いを一つだけ叶えることにしているんです。今回の場合はエルフリーデさんかな。でも、眠っていらっしゃいますね。ヒュルゼンベックさん、あなたでもいいな」
「今すぐ目の前から消えてくれ」
ヒュルゼンベックは言った。
「はいはい、了解了解」
ルナは歩き出した。
ズデンカはカミーユを連れて従う。
「あれで、良かったんですか?」
カミーユは訊いた。
「そういうこともあるさ。実際エルフリーデさんが眼を覚まして、わたしは何の願いを叶えればいい?」
ルナが質問した。
――この質問は厄介だ。
ズデンカは思った。苛立ちを隠すためのものなのだから。
「えーと……うーん。すみません。人生経験が少な過ぎてわかりません!」
カミーユは素直にかぶりを振った。
ズデンカは納得した。
「戦争もあったし、邸の所有者は今と違うそうだよ。血縁関係もないとかで」
ルナは補足した。
「でも、君の見立てでほとんど間違いないかな。エルフリーデさんは死ぬ前の記憶を忘れ、それまで生きてきたようにこの世を生き始めた」
「社会が変わり過ぎるだろう。五十年じゃ」
「あれ? 君にしたらあっという間じゃないの?」
ルナはとぼけた。
「それぐらいわかる。経験だ」
ズデンカは訳のわからない恥ずかしさを覚えながら言った。
「霊って言っても百パーセント生前の記憶を持っているわけじゃない。わたしの能力で過去を補完する前はエルフリーデさんは記憶を大部分失っていたようなんだ。もちろん、生い立ちに関してはしっかりと覚えていたけどね」
「確かに! 話に訊く限りですけど、幽霊ってあまり話さなかったりしますもんね!」
カミーユは突然立ち上がって叫んだ。
「そうなんだよ。霊体ってのはわれわれ生きている人間ほど記憶の容量がないようなんだ」
ルナはこくこくと何度も頷いていた。
「でもあいつは生い立ちのことは詳しく話したじゃないか」
ズデンカはいささか抗弁気味に言った。
「それは誰だって忘れられないさ」
ルナは遠くを眺めやるような目付きをして言った。
ズデンカはもっと色々話そうと思ったがここで打ち切ることにした。
「さてと」
ルナはベンチに横たえた妻を上から眺めるヒュルゼンベックに向かって言った。
「奥さんが目を覚まされる前に少しだけお話ししましょう。エルフリーデさん――もちろん、憑依した方ですが――はたまに家を空けられることがありましたね」
「ああ」
握り締めた両手をブルブルと震わせながら、ヒュルゼンベックは言った。
「おそらく、高級娼婦としての仕事をされていたんでしょうね」
「……」
「それを許せますか? 正直に言いますが、許せるだけの度量があなたにおありでしょうか。お話を聞いている限りではそう思ってしまうんです。妻の不貞(という言葉を使っておきますが)を許せない夫というのはいるものだ。幸いカザックは離婚がそこまで煩雑じゃなかったと記憶しています。別れるというのも一つの手ですよ?」
「……ある」
ヒュルゼンベックは重々しく言った。
「理由は?」
ルナはしつこく問う。
「僕の妻だからです。そもそもエルフリーデに罪はないんだ。責めることができるか」
「なるほどなるほど、納得出来ました」
ルナは手帳を閉じた。
「ところで、わたしは綺譚《おはなし》を聞かせて頂いた方のお願いを一つだけ叶えることにしているんです。今回の場合はエルフリーデさんかな。でも、眠っていらっしゃいますね。ヒュルゼンベックさん、あなたでもいいな」
「今すぐ目の前から消えてくれ」
ヒュルゼンベックは言った。
「はいはい、了解了解」
ルナは歩き出した。
ズデンカはカミーユを連れて従う。
「あれで、良かったんですか?」
カミーユは訊いた。
「そういうこともあるさ。実際エルフリーデさんが眼を覚まして、わたしは何の願いを叶えればいい?」
ルナが質問した。
――この質問は厄介だ。
ズデンカは思った。苛立ちを隠すためのものなのだから。
「えーと……うーん。すみません。人生経験が少な過ぎてわかりません!」
カミーユは素直にかぶりを振った。
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