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第一部
第二十八話 遠い女(1)
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中立国ラミュ北部――
「ルナがリヒャルト・フォン・リヒテンシュタットの殺害に関わった、という話についてどう思う?」
オルランド公国軍医総監アデーレ・シュニッツラーは訊いた。
ルナ――綺譚収集者《アンソロジスト》ルナ・ペルッツと従者兼メイド兼馭者吸血鬼ズデンカはオルランド隣国ヒルデガルト共和国の都市ホフマンスタールで、劇作家として国際的に評価の高かったリヒャルト・フォン・リヒテンシュタットをとある理由により殺害したことがある。
――まさか、今さらになって問題になるとは。
もう何ヶ月も前のことなのでズデンカもとりわけ気にしていなかったが、今目の前でその話を訊くと面倒なことになったと言う思いを禁じ得なかった。
襲撃にあって、急停止した行軍の途中、二人だけの話がしたいとアデーレから呼び出されたのだ。
「だとしたら、どうだ」
ズデンカは腕を組み、アデーレを睨んだ。
「リヒテンシュタット殺害事件は今でもまだルナとの関わりが取り沙汰されている。ヒルデガルトは我が国とは友好国だ。刑事犯の引き渡しには応じなければいけない、わかるな」
アデーレはあからさまに不安そうだった。
――そりゃ、確かにそうだろう。
アデーレはルナが好きだ。引き渡しなど、したくないに決まっている。
だが、同時に彼女は軍人でもある。身分は高いが、上には上がいる。命令は絶対だ。
懇願をするように、アデーレはズデンカを見詰めていた。
――あたしの答え次第か。
ズデンカは一瞬迷った。
もちろん自分としてもルナを守りたい。なら、嘘を吐く以外に選択肢はない。
しかし、ルナを乗せた馬車が急に止まって動きを見せない現在。オルランド軍と行動を共にし続けるのもどうかと思えてきた。
――隣国ネルダの境まで送ってくれると言う話だったから付いていくことにしたが、延々と付き合わされるのは真っ平御免だ。
「どうなんだ」
アデーレは急かした。
好奇心旺盛なルナのことだ。いつやってくるかわからない。
「関係ねえよ」
ズデンカは言い切った。
――面倒ごとにはならねえ方がいい。
「そうか」
アデーレは安心したようだった。実際は合理的に納得した訳ではなく、少なくとも自分には責任はないと言質を取りたかったのだとズデンカには感じられた。
「さっさと戻るぞ、メイド」
アデーレは歩き出した。ズデンカも異論はなかったので従った。
もう春のはずだが、このあたりはとても寒い。いや、ズデンカにはわからないのだが、前を歩くアデーレが両肩を震わせているのに気付いて何となく察したのだ。
――後ろから襲ったら殺せるな。
不謹慎かも知れないがそんなことを思った。だが、殺す理由もないし、ルナが馬車の中にいる。
もちろん殺して何食わぬ顔をして、戻って逃がせば良いだけの話だが、ルナはアデーレが好きかも知れない。利用しているだけかもしれないが。
そんなことを考えてしまうほど、ズデンカはアデーレが嫌いだった。
嫌いの理由はなかなかわからない。好きがわからないのと同じく。
気付いたら嫌いになっているようなものだ。
さて、馬車に戻ってみるとルナはちゃんと馬車の中にいた。
どうやら、旅に同行することになったナイフ投げカミーユ・ボレルと話が盛り上がっているらしく、キャッキャと色めきだっている。
ズデンカはそのさまを車窓から覗き、少し悔しい思いがした。
「ルナがリヒャルト・フォン・リヒテンシュタットの殺害に関わった、という話についてどう思う?」
オルランド公国軍医総監アデーレ・シュニッツラーは訊いた。
ルナ――綺譚収集者《アンソロジスト》ルナ・ペルッツと従者兼メイド兼馭者吸血鬼ズデンカはオルランド隣国ヒルデガルト共和国の都市ホフマンスタールで、劇作家として国際的に評価の高かったリヒャルト・フォン・リヒテンシュタットをとある理由により殺害したことがある。
――まさか、今さらになって問題になるとは。
もう何ヶ月も前のことなのでズデンカもとりわけ気にしていなかったが、今目の前でその話を訊くと面倒なことになったと言う思いを禁じ得なかった。
襲撃にあって、急停止した行軍の途中、二人だけの話がしたいとアデーレから呼び出されたのだ。
「だとしたら、どうだ」
ズデンカは腕を組み、アデーレを睨んだ。
「リヒテンシュタット殺害事件は今でもまだルナとの関わりが取り沙汰されている。ヒルデガルトは我が国とは友好国だ。刑事犯の引き渡しには応じなければいけない、わかるな」
アデーレはあからさまに不安そうだった。
――そりゃ、確かにそうだろう。
アデーレはルナが好きだ。引き渡しなど、したくないに決まっている。
だが、同時に彼女は軍人でもある。身分は高いが、上には上がいる。命令は絶対だ。
懇願をするように、アデーレはズデンカを見詰めていた。
――あたしの答え次第か。
ズデンカは一瞬迷った。
もちろん自分としてもルナを守りたい。なら、嘘を吐く以外に選択肢はない。
しかし、ルナを乗せた馬車が急に止まって動きを見せない現在。オルランド軍と行動を共にし続けるのもどうかと思えてきた。
――隣国ネルダの境まで送ってくれると言う話だったから付いていくことにしたが、延々と付き合わされるのは真っ平御免だ。
「どうなんだ」
アデーレは急かした。
好奇心旺盛なルナのことだ。いつやってくるかわからない。
「関係ねえよ」
ズデンカは言い切った。
――面倒ごとにはならねえ方がいい。
「そうか」
アデーレは安心したようだった。実際は合理的に納得した訳ではなく、少なくとも自分には責任はないと言質を取りたかったのだとズデンカには感じられた。
「さっさと戻るぞ、メイド」
アデーレは歩き出した。ズデンカも異論はなかったので従った。
もう春のはずだが、このあたりはとても寒い。いや、ズデンカにはわからないのだが、前を歩くアデーレが両肩を震わせているのに気付いて何となく察したのだ。
――後ろから襲ったら殺せるな。
不謹慎かも知れないがそんなことを思った。だが、殺す理由もないし、ルナが馬車の中にいる。
もちろん殺して何食わぬ顔をして、戻って逃がせば良いだけの話だが、ルナはアデーレが好きかも知れない。利用しているだけかもしれないが。
そんなことを考えてしまうほど、ズデンカはアデーレが嫌いだった。
嫌いの理由はなかなかわからない。好きがわからないのと同じく。
気付いたら嫌いになっているようなものだ。
さて、馬車に戻ってみるとルナはちゃんと馬車の中にいた。
どうやら、旅に同行することになったナイフ投げカミーユ・ボレルと話が盛り上がっているらしく、キャッキャと色めきだっている。
ズデンカはそのさまを車窓から覗き、少し悔しい思いがした。
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