270 / 526
第一部
第二十六話 挾み撃ち(3)
しおりを挟む
大きく揺れて馬車の動きが止まるのも、それとほぼ同時だった。
「中にいろ!」
ズデンカは叫んで、外へ飛び出した。
勢いよく馬や騒然とする兵士たちを追い抜いて、先頭まで走り込んだ。
その速さ、わずかに二秒。
しかし、既に血の臭いがした。
多くの兵士たちが身体をずたずたに刻まれて腸を引きずり出されている。
既にたくさんの遺骸が、道上に積み重ねられていた。
ズデンカにとってはよく見る風景ではあるが。
兵士たちの腹を抉っていた黒い影がいきなり飛びかかってきた。
激しい打撃を受ける前にズデンカは腕で受け止める。
相手の身体はボールのように跳ねて着地した。
掌の指だけをちゃんと地面につけて。
紫色の長い髪が扇状にぱっと広がった。
「お久しぶり」
体勢を立て直した声の主はズデンカへ近付いて来た。
「お前か、バッソンピエール」
ズデンカは間合いをとる。
ルツィドール・バッソンピエール。旧スワスティカ残党カスパー・ハウザーによって新に編成された『詐欺師の楽園』の席次二。
ズデンカは一度は交戦したが、撥ね飛ばされた経験がある。
よほどの手練れか、特殊な能力をハウザーから与えられているのだろう。
「今回はこっちがやられちゃったね」
ルツィドールは微笑んだ。
「同じ手は二度と喰わんさ」
ズデンカも笑い返したが、心の裡は警戒の念で満ちていた。
後ろへ後ろへ、空いているところへ退きながら。
「逃げるばかりじゃあ負けるよ!」
一瞬にしてルツィドールの身体は消失し、ズデンカの目の前に現れていた。
――こいつ!
首根っこを掴まれ、道脇に生えている樹木に押し付けられた。
凄い力により、背後の幹の皮まで削り取られているのがわかった。
「いくら切り刻んでも、あんたは再生するからなあ。吸血鬼《ヴルダラク》だから」
「なぜ、それを知っている?」
ズデンカはほとんどの臓器を持たないため、痛みは感じないのだったが、自分の身体が簡単に押さえつけられ、それを引き剥がすことが出来ないのは、良い気分ではなかった。
相手は答えなかった。
「でも、これを使えばどうなるかなぁ?」
もう片方の手で腰に提げていた剣を抜き放つ。
その切っ先は、鋭く眩い輝きを放っていた。
「これは聖剣だ。今を去ること千年あまり前、救世主が流した血を受けた三本の内の一つ」
滔々とルツィドールは説明する。
ズデンカは嫌な感じがした。
聖剣はズデンカの腕を一筋斬った。
――創《キズ》が治らない?
血は少しも流れない。ただ細い傷口の中には虚ろな身幹が見えるだけだった。
普通ならばただちに再生するはずだ。だが、いつまで経っても治らない。
「これであんたを細切れに砕ききってしまえば、流石に死ぬだろう。いや、死なないとしても戻るまで数年は掛かるだろうね」
ルツィドールは切っ先を突き付け、歪んだ笑みを浮かべた。
ズデンカはかつて覚えたことのない、いや、覚えはしたのだろうがずっと前で忘れきっていた感情を思い出した。
恐怖だ。
最初のうち、それはとても認めたくなかったが、迫り上がってくる感情を出来るだけ冷静に観測しようと努めた結果、認めざるを得ないのだった。
――あたしは恐がってる。
ズデンカはそれでも、ルツィードールを睨み続けた。
「まずは頭からにしようかねぇえ!」
ルツィドールは奇声を上げながら、聖剣をズデンカの額へ叩き付けた。
――ルナ。
「中にいろ!」
ズデンカは叫んで、外へ飛び出した。
勢いよく馬や騒然とする兵士たちを追い抜いて、先頭まで走り込んだ。
その速さ、わずかに二秒。
しかし、既に血の臭いがした。
多くの兵士たちが身体をずたずたに刻まれて腸を引きずり出されている。
既にたくさんの遺骸が、道上に積み重ねられていた。
ズデンカにとってはよく見る風景ではあるが。
兵士たちの腹を抉っていた黒い影がいきなり飛びかかってきた。
激しい打撃を受ける前にズデンカは腕で受け止める。
相手の身体はボールのように跳ねて着地した。
掌の指だけをちゃんと地面につけて。
紫色の長い髪が扇状にぱっと広がった。
「お久しぶり」
体勢を立て直した声の主はズデンカへ近付いて来た。
「お前か、バッソンピエール」
ズデンカは間合いをとる。
ルツィドール・バッソンピエール。旧スワスティカ残党カスパー・ハウザーによって新に編成された『詐欺師の楽園』の席次二。
ズデンカは一度は交戦したが、撥ね飛ばされた経験がある。
よほどの手練れか、特殊な能力をハウザーから与えられているのだろう。
「今回はこっちがやられちゃったね」
ルツィドールは微笑んだ。
「同じ手は二度と喰わんさ」
ズデンカも笑い返したが、心の裡は警戒の念で満ちていた。
後ろへ後ろへ、空いているところへ退きながら。
「逃げるばかりじゃあ負けるよ!」
一瞬にしてルツィドールの身体は消失し、ズデンカの目の前に現れていた。
――こいつ!
首根っこを掴まれ、道脇に生えている樹木に押し付けられた。
凄い力により、背後の幹の皮まで削り取られているのがわかった。
「いくら切り刻んでも、あんたは再生するからなあ。吸血鬼《ヴルダラク》だから」
「なぜ、それを知っている?」
ズデンカはほとんどの臓器を持たないため、痛みは感じないのだったが、自分の身体が簡単に押さえつけられ、それを引き剥がすことが出来ないのは、良い気分ではなかった。
相手は答えなかった。
「でも、これを使えばどうなるかなぁ?」
もう片方の手で腰に提げていた剣を抜き放つ。
その切っ先は、鋭く眩い輝きを放っていた。
「これは聖剣だ。今を去ること千年あまり前、救世主が流した血を受けた三本の内の一つ」
滔々とルツィドールは説明する。
ズデンカは嫌な感じがした。
聖剣はズデンカの腕を一筋斬った。
――創《キズ》が治らない?
血は少しも流れない。ただ細い傷口の中には虚ろな身幹が見えるだけだった。
普通ならばただちに再生するはずだ。だが、いつまで経っても治らない。
「これであんたを細切れに砕ききってしまえば、流石に死ぬだろう。いや、死なないとしても戻るまで数年は掛かるだろうね」
ルツィドールは切っ先を突き付け、歪んだ笑みを浮かべた。
ズデンカはかつて覚えたことのない、いや、覚えはしたのだろうがずっと前で忘れきっていた感情を思い出した。
恐怖だ。
最初のうち、それはとても認めたくなかったが、迫り上がってくる感情を出来るだけ冷静に観測しようと努めた結果、認めざるを得ないのだった。
――あたしは恐がってる。
ズデンカはそれでも、ルツィードールを睨み続けた。
「まずは頭からにしようかねぇえ!」
ルツィドールは奇声を上げながら、聖剣をズデンカの額へ叩き付けた。
――ルナ。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
新婚初夜に浮気ですか、王太子殿下。これは報復しかありませんね。新妻の聖女は、王国を頂戴することにしました。
星ふくろう
ファンタジー
紅の美しい髪とエメラルドの瞳を持つ、太陽神アギトの聖女シェイラ。
彼女は、太陽神を信仰するクルード王国の王太子殿下と結婚式を迎えて幸せの絶頂だった。
新婚旅行に出る前夜に初夜を迎えるのが王国のしきたり。
大勢の前で、新婦は処女であることを証明しなければならない。
まあ、そんな恥ずかしいことも愛する夫の為なら我慢できた。
しかし!!!!
その最愛の男性、リクト王太子殿下はかつてからの二股相手、アルム公爵令嬢エリカと‥‥‥
あろうことか、新婚初夜の数時間前に夫婦の寝室で、ことに及んでいた。
それを親戚の叔父でもある、大司教猊下から聞かされたシェイラは嫉妬の炎を燃やすが、静かに決意する。
この王国を貰おう。
これはそんな波乱を描いた、たくましい聖女様のお話。
小説家になろうでも掲載しております。
【完結】7年待った婚約者に「年増とは結婚できない」と婚約破棄されましたが、結果的に若いツバメと縁が結ばれたので平気です
岡崎 剛柔
恋愛
「伯爵令嬢マリアンヌ・ランドルフ。今日この場にて、この僕――グルドン・シルフィードは君との婚約を破棄する。理由は君が25歳の年増になったからだ」
私は7年間も諸外国の旅行に行っていたグルドンにそう言われて婚約破棄された。
しかも貴族たちを大勢集めたパーティーの中で。
しかも私を年増呼ばわり。
はあ?
あなたが勝手に旅行に出て帰って来なかったから、私はこの年までずっと結婚できずにいたんですけど!
などと私の怒りが爆発しようだったとき、グルドンは新たな人間と婚約すると言い出した。
その新たな婚約者は何とタキシードを着た、6、7歳ぐらいの貴族子息で……。
隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました
ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら……
という、とんでもないお話を書きました。
ぜひ読んでください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる