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第一部

第二十四話 氷の海のガレオン(12)

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「だとしたら良いな」

 だが、ファキイルはにこやかに微笑んだ。初めてハッキリと表情が動いた。

 オドラデクは続けて質問しなかった。

 こうなるとかえってフランツが知りたくなる。神話の本を繰り返し読んでいたことがあるのだ。

 アモスの死はファキイルの去就と同じように大きな謎とされていた。

 今、その謎の答えが目の前にいるのだ。

 ぜひとも訊きたいという気持ちがわき上がってきた。

 だが大昔あの船にいた海賊たちはファキイルの目の前でアモスを馬鹿にし、三百年間骨になっても海の上を彷徨い続けさせられたのだ。

 フランツはそんな眼には遭いたくなかった。

 実際、目の前の少女は空を飛んでいるのだから、疑うことはできない。いや、ファキイルを僭称する超自然の何者かだったとして、不用意な発言で敵対関係に陥るのは避けたかった。

――スワスティカとは何も関係ないしな。

 交戦したとして勝算はない。しかも現在空中を移動しているのだ。

――どう見ても偽っているようには思えない。

 赤い瞳で中空を見据えるファキイルには一切の邪念が感じられなかった。

「あの船の髑髏は、どんな奴らだった?」

 どうにかして会話を続けようと試みて、やっと捻り出した言葉がこれだった。

「大方は忘れたが、粗暴なやつらだった」

 ファキイルは血管も透いて見える白い手で髪を掻き上げ、静かに答えた。

「お前の指示で動く奴らと、動かない奴らがいたな」

「それは船の中に捕えられていた奴隷たちだろう。我が呪いをかけたのは海賊たちだけだ」

 忘れたという割りに、ファキイルは詳しく語った。

「助け出そうとは思わなかったのか」

 フランツは思わず口走っていた。

「我は人助けをしていた訳ではない」

 ――ルナ・ペルッツみたいだな。

 また、ルナを思ってしまった。

「だが、俺がお前だったら助け出していた。奴隷たちには、何の咎もないのだから」

「そうか。汝は優しいのだな」

「やっ、優しくはない」

 フランツは戸惑った。なぜだか知らないが顔から火が出そうだった。

 滑空にはかなり慣れてきていた。自分の足の下に床がない、と言うことにも。

 だが、ファキイルの服の裾を離せば自分は一瞬にして地に落ちて死ぬのだ。

 オドラデクならどうか知らない。だが体術は心得ているとはいえ、並の人間であるフランツは重力に逆らえない。

 つまり生殺与奪はファキイルに握られていると言ってよい。

「うんうん、フランツさんは優しいですよ。でも、ちょっとだけ思い込みが激しくて、分別が足りないかなぁ」

 オドラデクはこくこく頷いていた。 

「うるさい」

 フランツはその頭を小突いた。片手で裾を握ることになったわけで、より慎重に動きはしたが。

「いたたぁ!」

 オドラデクはあまり痛がっていないような声をあげた。

「海を見よ」

 ファキイルは穏やかに言った。

 西舵海が果てしなくどこまでも広がっていた。

――船に乗っていたときは、こんなに大きいとは思いもしなかった。

 波が押し寄せては、しなるように引いていく。蛇の尾のような、独特のうねり方をしている。

 渦巻きもたびたび起こり、見詰めていると中に吸い込まれそうだ。

 西舵海に添ってロルカを南東に下ると黒羊海が滔々と開けている。

「この方向でよかったのか」

 ファキイルが訊いた。

「あ、ああ」

 そう答えるフランツは荷物を入れたトランクを船に忘れてきてしまったことに気付いた。

――確か、オドラデクが部屋を検分しにいくと言うんで渡したんだったな。

 フランツは多少恨みがましく、オドラデクを見た。

「ふふふ、ぼくが忘れてきたと思ったでしょ?」

 オドラデクは薄ら笑みを浮かべた。そのままま器用に片手だけでシャツをはだけ、胸元を露わにした。

 今のオドラデクは男だから、フランツもどぎまぎしなかったが。いきなり皮膚を裂いて、穴を開いたのには驚いた。

「お前」

 穴からはトランクが引き出される。

 オドラデクはそれをぽんと、広がったファキイルのローブの上に置いた。鍵を開けて、何かを取りだし、またすぐに占める。

「はい、『海路道しるべ』!」

 オドラデクはニヤリと笑ってフランツに本を差し出した。
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