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第一部
第二十三話 犬狼都市(3)
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頭上高くから張られたサーカスの赤と白のテントはしばらくもしないうちに見えてきた。
「へえ、これが『月の隊商』か」
ルナは素直に感心しているようだった。
再び馬車を停め、降りると三人と一匹は薄く開いた間から光の漏れるテントを押しのけて中に入った。
傍に控えていたピエロから観覧券を三つ買う。
既に多くの人が集まって仮拵えの座席に坐っていた。皆そわそわとささやきを交わしている。
ルナとズデンカとマテオは端の端に腰を下ろした。
太鼓を叩く音が高らかに響き、喇叭《ラッパ》の音が轟いた。
多重円をなすかたちで設えられた座席の真ん中、一番大きな円で電灯に照らされた下に、色とりどりの継ぎ接ぎを付けてねじくれた三角帽を被った男が一人、立っていた。
男が脱帽すると禿げ頭が灯りに輝いた。
「さあ、紳士淑女の皆々さま。ご覧じろ御ご覧じろ。小生《わたくしめ》は『月の隊商』座長なるバルトルシャイティスにございます。本日お目に掛けまするは、世にも奇妙な一幕にて、煩わしき日常をば、しばらくお忘れくださりますよう願い奉ります」
その言葉と共に、いななきが場内を満たした。
そこだけが多重円の裂け目となっていた入場門から、鼻の長い、巨大な生き物――象に乗ったサーカス団員が続々と姿を現した。周りの席に坐っていた観客たちは怯えるように身を引き離していた。
団員たちは見事に象の動きを導いて、観客にぶつからないようすれすれまで近づけては遠ざけていく。
「象か。滅多に見られないな」
動物園でも飼っているところは限られている。
ズデンカも見るのは初めてだったので、思わず心が躍った。
象に続いて、もっと珍しい鰐《ワニ》が入ってきた。人を噛まないように口枷を入れられ、それに繋がる鎖の先を団員が握りながら先導している。
続いて獅子《ライオン》がたてがみを靡かせながら悠々と入場だ。その姿を見ると、観客の間に割れるような響《どよ》めきが起こった。こちらは動物園でも比較的常連だが、ここではあるはずの柵がないのだ。
間近で目にした観客の中には席を立ち上がって退く者まで現れ始めた。
――もしルナに噛みつこう者なら直ぐにでも顎を砕くけどな。
とズデンカは考えた。
虎に、豹に、猟豹《チーター》、次から次へと凶暴なことで知られる獣たちが、枷もはめられぬまま入ってくる。皆よく訓練されているようで、観客を目にして襲いかかってこない。
「只今お目に掛けましたるも、一座のほんの一部でござりまする」
バルトルシャイティスは礼をする。
「本来であれば銃を巧みに撃てる猩猩《オランウータン》をお目に掛けたいのですが、生憎と……」
その時だ。
「待ってください! そのオランウータンなら既にわたしたちが捕まえてます!」
ルナがいきなり立ち上がって大声で叫んだ。
「あちゃー」
ズデンカは思わず額を押さえた。
――終わるまで待つのが常識だろうが!
ルナは脇目も降らずすたすたと歩いていき、猛獣たちにも怯まず、座長の前まで進む。
もちろんズデンカもそれに従った。
「おや、あなたさまは……」
流石のバルトルシャイティスも目を丸くしてルナを見詰めている。
「わたし、ルナ・ペルッツと申しまして、旅の途中でサーカスのオランウータンを見かけまして、人に悪さをしているので引っ捕らえたんですよ」
ルナは笑顔で告げた。
「あ、あの高名なペルッツさまですか!」
「それほどでも」
「いえいえ、小生の界隈でもペルッツさまの名を知らない者はありませんよ」
バルトルシャイティスは深々と頭を下げた。
「へえ、これが『月の隊商』か」
ルナは素直に感心しているようだった。
再び馬車を停め、降りると三人と一匹は薄く開いた間から光の漏れるテントを押しのけて中に入った。
傍に控えていたピエロから観覧券を三つ買う。
既に多くの人が集まって仮拵えの座席に坐っていた。皆そわそわとささやきを交わしている。
ルナとズデンカとマテオは端の端に腰を下ろした。
太鼓を叩く音が高らかに響き、喇叭《ラッパ》の音が轟いた。
多重円をなすかたちで設えられた座席の真ん中、一番大きな円で電灯に照らされた下に、色とりどりの継ぎ接ぎを付けてねじくれた三角帽を被った男が一人、立っていた。
男が脱帽すると禿げ頭が灯りに輝いた。
「さあ、紳士淑女の皆々さま。ご覧じろ御ご覧じろ。小生《わたくしめ》は『月の隊商』座長なるバルトルシャイティスにございます。本日お目に掛けまするは、世にも奇妙な一幕にて、煩わしき日常をば、しばらくお忘れくださりますよう願い奉ります」
その言葉と共に、いななきが場内を満たした。
そこだけが多重円の裂け目となっていた入場門から、鼻の長い、巨大な生き物――象に乗ったサーカス団員が続々と姿を現した。周りの席に坐っていた観客たちは怯えるように身を引き離していた。
団員たちは見事に象の動きを導いて、観客にぶつからないようすれすれまで近づけては遠ざけていく。
「象か。滅多に見られないな」
動物園でも飼っているところは限られている。
ズデンカも見るのは初めてだったので、思わず心が躍った。
象に続いて、もっと珍しい鰐《ワニ》が入ってきた。人を噛まないように口枷を入れられ、それに繋がる鎖の先を団員が握りながら先導している。
続いて獅子《ライオン》がたてがみを靡かせながら悠々と入場だ。その姿を見ると、観客の間に割れるような響《どよ》めきが起こった。こちらは動物園でも比較的常連だが、ここではあるはずの柵がないのだ。
間近で目にした観客の中には席を立ち上がって退く者まで現れ始めた。
――もしルナに噛みつこう者なら直ぐにでも顎を砕くけどな。
とズデンカは考えた。
虎に、豹に、猟豹《チーター》、次から次へと凶暴なことで知られる獣たちが、枷もはめられぬまま入ってくる。皆よく訓練されているようで、観客を目にして襲いかかってこない。
「只今お目に掛けましたるも、一座のほんの一部でござりまする」
バルトルシャイティスは礼をする。
「本来であれば銃を巧みに撃てる猩猩《オランウータン》をお目に掛けたいのですが、生憎と……」
その時だ。
「待ってください! そのオランウータンなら既にわたしたちが捕まえてます!」
ルナがいきなり立ち上がって大声で叫んだ。
「あちゃー」
ズデンカは思わず額を押さえた。
――終わるまで待つのが常識だろうが!
ルナは脇目も降らずすたすたと歩いていき、猛獣たちにも怯まず、座長の前まで進む。
もちろんズデンカもそれに従った。
「おや、あなたさまは……」
流石のバルトルシャイティスも目を丸くしてルナを見詰めている。
「わたし、ルナ・ペルッツと申しまして、旅の途中でサーカスのオランウータンを見かけまして、人に悪さをしているので引っ捕らえたんですよ」
ルナは笑顔で告げた。
「あ、あの高名なペルッツさまですか!」
「それほどでも」
「いえいえ、小生の界隈でもペルッツさまの名を知らない者はありませんよ」
バルトルシャイティスは深々と頭を下げた。
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