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第一部
第二十一話 永代保有(8)
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オドラデクの眼は妖しく光っていた。
見詰められたフランツは自分の口がパクパクと言葉を発さず動いていることに気付いた。
「すっかり話してくださいよ。何が起こったのかを」
何とか言葉を絞り出すとフランツは体験したことを悉皆話し始めた。
オドラデクはふんふん頷きながら聞く。傘を差し出しながら。
「なるほどね、あなたは詩集『白檀』をぼくに投げつけられて怒り、走りだしてこの雑貨屋に入り込んだと。ふむふむ。なるほど」
オドラデクは俯き加減になっていたフランツの顎を指で持ち上げた。
「でも、それはぼくが見た光景とは全然違う」
「え」
フランツはまた口をパクパク言わせた。
「あなたは詩集なんて取り出さなかったし、ぼくも何度も鞄の中は見てますけど、そんなものは最初からなかった。ただ、いきなり立ち上がって走りだしたんです。何も言わずに。追いかけようとも思ったけど、雨に濡れたら嫌だから追わなかった」
「……」
フランツは黙っていた。オドラデクに対して、反論する気すら起こらなかった。
「戻ってきたら傘も差して服も乾いていて、おかしいなと思ったんですよね」
「……だが……俺は……ルナに……」
はっとなった。
――俺はルナに何を言われたというのだろう。
思い出せない。過去の回想をしていたはずだが、それがないのだ。
――じゃあ、あの雑貨屋で俺が見たのは……。
「メルセデスは?」
小さく呟いた。
「今はわからない。でもね」
とオドラデクは即座に男へ身を変じた。閉じた傘をフランツに押し付けて、ひらりと舞うように走りだした。
「……」
フランツは立ち尽くしていた。
いつしか、また雨が降り始めていた。
傘を開く。
赤、青、黄、黒、紫、茶。あるいはその中間の色。
目の前を巡りゆく色とりどりの他の傘を眺めていた。
「あーあ、困ったもんですね。天候の気まぐれさには」
オドラデクはすぐに戻ってきた。両肩をびっしょり濡らして。
心細くなっていたフランツは、その姿を見て不思議な感謝の念を覚えた。
「わかりましたよ。近所の店に幾つか聞いてみれば一発でした。この店はね、一年前に焼け落ちたんですよ。二人亡くなりました。老人とその孫娘です。娘と付き合いがあった男が放火したとかでね。祖父の方は寝たきりで動けなくなって、娘は助けようとして死んだってことですね。新聞にも出たぐらい大きな事件だった。面白いのがここの土地です」
とオドラデクは瓦礫を指差した。
「ぐっちゃんぐっちゃんに散らかっちゃって誰も掘り返せないんですってさ。だから登記の名義はまだ老人のものになっています」
「永代保有」
フランツは呟いた。
「そう、永代保有。まあ整理されるのも時間の問題って気もしないじゃないですが」
オドラデクはニヤリと笑った。
――いったい、何だったんだ。俺が見たのは、いや今まで俺の中にあった……。
フランツは、その先を思考することは拒んだ。
考えてしまったら自分がバラバラになってしまいそうで怖かった。
「あなたは霊と会ったのかも知れない。普通によくあることですから珍しくない。でも、あなたと霊を結び付けるきっかけになった本がそもそも幻だったなんて、実に面白いじゃありませんか」
オドラデクはフランツの差す傘の下に入った。
無理に肩を掴まれるのを感じた。そのまま押し出されるように歩き出す。
「戻りましょう。ぼくらは船に乗らなくちゃいけない。先にいかなくちゃならない。そういうものです。この人生はね」
フランツは項垂れながら、笑顔で話すオドラデクの声を聞いた。
見詰められたフランツは自分の口がパクパクと言葉を発さず動いていることに気付いた。
「すっかり話してくださいよ。何が起こったのかを」
何とか言葉を絞り出すとフランツは体験したことを悉皆話し始めた。
オドラデクはふんふん頷きながら聞く。傘を差し出しながら。
「なるほどね、あなたは詩集『白檀』をぼくに投げつけられて怒り、走りだしてこの雑貨屋に入り込んだと。ふむふむ。なるほど」
オドラデクは俯き加減になっていたフランツの顎を指で持ち上げた。
「でも、それはぼくが見た光景とは全然違う」
「え」
フランツはまた口をパクパク言わせた。
「あなたは詩集なんて取り出さなかったし、ぼくも何度も鞄の中は見てますけど、そんなものは最初からなかった。ただ、いきなり立ち上がって走りだしたんです。何も言わずに。追いかけようとも思ったけど、雨に濡れたら嫌だから追わなかった」
「……」
フランツは黙っていた。オドラデクに対して、反論する気すら起こらなかった。
「戻ってきたら傘も差して服も乾いていて、おかしいなと思ったんですよね」
「……だが……俺は……ルナに……」
はっとなった。
――俺はルナに何を言われたというのだろう。
思い出せない。過去の回想をしていたはずだが、それがないのだ。
――じゃあ、あの雑貨屋で俺が見たのは……。
「メルセデスは?」
小さく呟いた。
「今はわからない。でもね」
とオドラデクは即座に男へ身を変じた。閉じた傘をフランツに押し付けて、ひらりと舞うように走りだした。
「……」
フランツは立ち尽くしていた。
いつしか、また雨が降り始めていた。
傘を開く。
赤、青、黄、黒、紫、茶。あるいはその中間の色。
目の前を巡りゆく色とりどりの他の傘を眺めていた。
「あーあ、困ったもんですね。天候の気まぐれさには」
オドラデクはすぐに戻ってきた。両肩をびっしょり濡らして。
心細くなっていたフランツは、その姿を見て不思議な感謝の念を覚えた。
「わかりましたよ。近所の店に幾つか聞いてみれば一発でした。この店はね、一年前に焼け落ちたんですよ。二人亡くなりました。老人とその孫娘です。娘と付き合いがあった男が放火したとかでね。祖父の方は寝たきりで動けなくなって、娘は助けようとして死んだってことですね。新聞にも出たぐらい大きな事件だった。面白いのがここの土地です」
とオドラデクは瓦礫を指差した。
「ぐっちゃんぐっちゃんに散らかっちゃって誰も掘り返せないんですってさ。だから登記の名義はまだ老人のものになっています」
「永代保有」
フランツは呟いた。
「そう、永代保有。まあ整理されるのも時間の問題って気もしないじゃないですが」
オドラデクはニヤリと笑った。
――いったい、何だったんだ。俺が見たのは、いや今まで俺の中にあった……。
フランツは、その先を思考することは拒んだ。
考えてしまったら自分がバラバラになってしまいそうで怖かった。
「あなたは霊と会ったのかも知れない。普通によくあることですから珍しくない。でも、あなたと霊を結び付けるきっかけになった本がそもそも幻だったなんて、実に面白いじゃありませんか」
オドラデクはフランツの差す傘の下に入った。
無理に肩を掴まれるのを感じた。そのまま押し出されるように歩き出す。
「戻りましょう。ぼくらは船に乗らなくちゃいけない。先にいかなくちゃならない。そういうものです。この人生はね」
フランツは項垂れながら、笑顔で話すオドラデクの声を聞いた。
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