190 / 526
第一部
第十八話 予言(9)いちゃこらタイム
しおりを挟む
馬車は轣轆《れきろく》と進む。
荒れた道だったので、ズデンカは車輪が小石を飛ばし、ルナへ当たらないか細心の注意を払っていた。
そんな気遣いにも我関せずで、ルナはウイスキーですっかり酔っ払っているようだった。
「うぃー!」
「酔っ払いの典型みたいな声をあげんなよ」
ズデンカは笑った。
「呑みたい気分なのさ」
ルナは言葉短かに答えた。
「どうした、なんかあったのか?」
ズデンカは即座に察した。ルナの機嫌は決して良くないのだ。
「なんにも」
「まあ、中てられるけどな」
ズデンカは半笑いで答えた。
「予言みたいに?」
「予言じゃねえさ。お前が今思ってることだ」
「中ててごらん」
ルナの声は少し上擦っていた。
「見殺しにしちまったことを悔やんでるんだろう。ジェルソミーナを」
「……」
ルナは答えなかった。
「お前の手の内なんてわかりきってんだよ」
「……」
「仕方ねえだろ。あいつは自分からあの本を手にとって、山羊に変わったんだ。誰にも止めることは出来なかった」
「……でも」
「でももへちまもあるかよ」
「わたしには特別な力があるのに」
ほろ酔いのルナの声は囁くかのようだった。
「さっき、何でも出来る訳じゃないってお前は繰り返してたじゃねえか」
ズデンカは必死になっていた。
しかし、飽くまで後ろは振り返らないことにした。ルナの泣き顔を見ると、心が掻き乱されるからだ。その間に襲撃などあったら、かえって守り切れないかもしれない。旅はとても長いのだ。
ズデンカは鬼になることに決めた。
「わたしは、何かするべきだったんだろうか?」
「……」
「ねえ」
「……」
「ねえったら、ねえ!」
「……」
「話してくれないの?」
しばらく黙っていると、ルナが縋り付くようにしつこく訊いてくる。不安そうだった。
「うるせえな。そんなことは自分で考えろよ」
「ひっく」
酒のせいか、涙を啜り上げているのか、どちらとも判別が付かなかった。
「過ぎたことはくよくよしても仕方ねえだろうがよ。予言は実現してしまった」
実際帰るときに確認したのだが、マラリアの患者はなお病院に運び込まれ続けていたし、大地のひび割れはそのままだった。ルナとズデンカを街の人々が忘れたとして、黒い山羊の化け物の遺骸は道具屋の客間に残り続けるだろう。
起こったことは戻せない。
長い年月の中を過ごしたズデンカには痛いほどそれがわかっていた。
「予言なんてしなければよかったんだ。あのベンヴェヌートさんが」
ルナはぶつぶつ言った。
「ああ言うやつはいつの時代でも少なからず出てくるさ。『鐘楼の悪魔』すらなかったら、誰も死なずに済んだ。悪いのは全部、ハウザーのやつだ」
これほど妥当性のある責任転嫁は、他にないように思われた。
「……うん」
ルナも何となく納得したようだった。ごくごくウイスキーを飲み干す音が聞こえた。きっと、ラッパ飲みしているのだろう。
「ほどほどにしとけよ」
「……うん」
ルナはアルコール中毒なのだ。いつか止めさせないと死を早めるとズデンカは考えた。
だが。
酒など飲まないし、体質上飲めもしないが、憂さを晴らしたいという気持ちだけは少し分かる気がした。
それほど、この世の中には悲しいことが多すぎるのだから。
荒れた道だったので、ズデンカは車輪が小石を飛ばし、ルナへ当たらないか細心の注意を払っていた。
そんな気遣いにも我関せずで、ルナはウイスキーですっかり酔っ払っているようだった。
「うぃー!」
「酔っ払いの典型みたいな声をあげんなよ」
ズデンカは笑った。
「呑みたい気分なのさ」
ルナは言葉短かに答えた。
「どうした、なんかあったのか?」
ズデンカは即座に察した。ルナの機嫌は決して良くないのだ。
「なんにも」
「まあ、中てられるけどな」
ズデンカは半笑いで答えた。
「予言みたいに?」
「予言じゃねえさ。お前が今思ってることだ」
「中ててごらん」
ルナの声は少し上擦っていた。
「見殺しにしちまったことを悔やんでるんだろう。ジェルソミーナを」
「……」
ルナは答えなかった。
「お前の手の内なんてわかりきってんだよ」
「……」
「仕方ねえだろ。あいつは自分からあの本を手にとって、山羊に変わったんだ。誰にも止めることは出来なかった」
「……でも」
「でももへちまもあるかよ」
「わたしには特別な力があるのに」
ほろ酔いのルナの声は囁くかのようだった。
「さっき、何でも出来る訳じゃないってお前は繰り返してたじゃねえか」
ズデンカは必死になっていた。
しかし、飽くまで後ろは振り返らないことにした。ルナの泣き顔を見ると、心が掻き乱されるからだ。その間に襲撃などあったら、かえって守り切れないかもしれない。旅はとても長いのだ。
ズデンカは鬼になることに決めた。
「わたしは、何かするべきだったんだろうか?」
「……」
「ねえ」
「……」
「ねえったら、ねえ!」
「……」
「話してくれないの?」
しばらく黙っていると、ルナが縋り付くようにしつこく訊いてくる。不安そうだった。
「うるせえな。そんなことは自分で考えろよ」
「ひっく」
酒のせいか、涙を啜り上げているのか、どちらとも判別が付かなかった。
「過ぎたことはくよくよしても仕方ねえだろうがよ。予言は実現してしまった」
実際帰るときに確認したのだが、マラリアの患者はなお病院に運び込まれ続けていたし、大地のひび割れはそのままだった。ルナとズデンカを街の人々が忘れたとして、黒い山羊の化け物の遺骸は道具屋の客間に残り続けるだろう。
起こったことは戻せない。
長い年月の中を過ごしたズデンカには痛いほどそれがわかっていた。
「予言なんてしなければよかったんだ。あのベンヴェヌートさんが」
ルナはぶつぶつ言った。
「ああ言うやつはいつの時代でも少なからず出てくるさ。『鐘楼の悪魔』すらなかったら、誰も死なずに済んだ。悪いのは全部、ハウザーのやつだ」
これほど妥当性のある責任転嫁は、他にないように思われた。
「……うん」
ルナも何となく納得したようだった。ごくごくウイスキーを飲み干す音が聞こえた。きっと、ラッパ飲みしているのだろう。
「ほどほどにしとけよ」
「……うん」
ルナはアルコール中毒なのだ。いつか止めさせないと死を早めるとズデンカは考えた。
だが。
酒など飲まないし、体質上飲めもしないが、憂さを晴らしたいという気持ちだけは少し分かる気がした。
それほど、この世の中には悲しいことが多すぎるのだから。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
新婚初夜に浮気ですか、王太子殿下。これは報復しかありませんね。新妻の聖女は、王国を頂戴することにしました。
星ふくろう
ファンタジー
紅の美しい髪とエメラルドの瞳を持つ、太陽神アギトの聖女シェイラ。
彼女は、太陽神を信仰するクルード王国の王太子殿下と結婚式を迎えて幸せの絶頂だった。
新婚旅行に出る前夜に初夜を迎えるのが王国のしきたり。
大勢の前で、新婦は処女であることを証明しなければならない。
まあ、そんな恥ずかしいことも愛する夫の為なら我慢できた。
しかし!!!!
その最愛の男性、リクト王太子殿下はかつてからの二股相手、アルム公爵令嬢エリカと‥‥‥
あろうことか、新婚初夜の数時間前に夫婦の寝室で、ことに及んでいた。
それを親戚の叔父でもある、大司教猊下から聞かされたシェイラは嫉妬の炎を燃やすが、静かに決意する。
この王国を貰おう。
これはそんな波乱を描いた、たくましい聖女様のお話。
小説家になろうでも掲載しております。
隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました
ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら……
という、とんでもないお話を書きました。
ぜひ読んでください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる