上 下
86 / 526
第一部

第九話 人魚の沈黙(9)

しおりを挟む
「もったいない。面白い情報がたくさん載っていたのに」

 少しもそう思っていなそうな声でオドラデクは言った。

 フランツは飽くまで沈黙を守った。

 と、いきなりオドラデクが動いた。剣の先に集まっていた糸が一本、ピンと広がったのだ。

 フランツを狙って放たれた弾丸を真っ二つにしてはじき飛ばしていた。

 ケートヒェンだった。煙を上げる猟銃を手に震える顔で立っていた。

 何か予感を覚えたのか夫が心配になって付けてきたのだろう。中は近くの小屋に放置されているものを急いで持ってきたのか、いささか錆びているようだった。

「なかなかしっかりした撃ち方ですね。さすが、野山を駆けまわっていたのは伊達じゃない」

 オドラデクは笑った。そう言いながら、ケートヒェンの手から猟銃を糸で絡め奪い取った。

「何で夫を! 罪のないあの人を!」

 フランツは黙ったままだ。

「罪がないってね、奥さん。あの人は本名ゴットフリート・フォン・グルムバッハって言ってケッセルなんて名前は偽りなんですよ。経歴だって全部嘘で塗り固めたもの。旧スワスティカ親衛部特殊部隊『火葬人』の一人と言やあ少しはお分かりでしょう。あなたも子供の時に戦争を経験しているはずですからね」

 オドラデクはかえって饒舌に喋り立てた。

 ケートヒェンは何か思い当たる節があったのか呆然とした顔をしていたが、じきに、

「それが……本当だったとしてもこの村に、来てからはとても偉い人でした! いえ、私にとって大事な人だったんです!」

 フランツは何か言おうと口を開き掛けた、しかし、それを遮るように、

「あなた、グルムバッハとはだいぶ歳が離れているでしょ? 単に子供の頃好きだったおじさんへの延長線上で結婚したんじゃあないですかね? それとも向こうから色々されちゃったんですかね」

 オドラデクは馬鹿にしたように言った。

 ケートヒェンの青ざめた顔に急激に血の気が昇った。

「私はあの人を好きだったんだ! 他人からどうこう言われる筋合いはない!」

 フランツの顔にふいに物憂い影が走った。そのままケートヒェンの懐に飛び込み、頭を強く殴った。

 たちまち気絶してどさりと崩れ落ちるケートヒェン。

「結局最後まで会話せずに済ましましたね。なるほど、大した『沈黙』だ」

「お前は喋りすぎだ」

 鞄から出した捕縛用の縄でケートヒェンを木の幹に縛り付けながらフランツは言った。

「いいでしょう? さっきまでずっと黙らされていたんですから喋りたくもなりますよ」

 まだ目覚める様子のないケートヒェンを眺めながらフランツは歩き出した。

「殺さなくていいんですか。目撃者ですよ」

 糸を鞘の中にスルスルと治めながらオドラデクが言った。

「無駄な殺しはしない。俺が殺すのはスワスティカだけだ。名前も変えてるしな」

 やっと長めに話すフランツ。

「顔を覚えられているでしょう」

「もうこんな村来ることはない。俺は西へ行く」

「エルキュールの警察庁に届けられるかも知れませんよ」

「この国にそこまでの警察力はない。出発直前に起こった某大学の襲撃事件も結局うやむやのままだからな」

 フランツはそれだけ言いきると後は喋りかけてくるオドラデクを無視して歩き続けた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

新婚初夜に浮気ですか、王太子殿下。これは報復しかありませんね。新妻の聖女は、王国を頂戴することにしました。

星ふくろう
ファンタジー
 紅の美しい髪とエメラルドの瞳を持つ、太陽神アギトの聖女シェイラ。  彼女は、太陽神を信仰するクルード王国の王太子殿下と結婚式を迎えて幸せの絶頂だった。  新婚旅行に出る前夜に初夜を迎えるのが王国のしきたり。  大勢の前で、新婦は処女であることを証明しなければならない。  まあ、そんな恥ずかしいことも愛する夫の為なら我慢できた。  しかし!!!!  その最愛の男性、リクト王太子殿下はかつてからの二股相手、アルム公爵令嬢エリカと‥‥‥  あろうことか、新婚初夜の数時間前に夫婦の寝室で、ことに及んでいた。  それを親戚の叔父でもある、大司教猊下から聞かされたシェイラは嫉妬の炎を燃やすが、静かに決意する。  この王国を貰おう。  これはそんな波乱を描いた、たくましい聖女様のお話。  小説家になろうでも掲載しております。

【完結】7年待った婚約者に「年増とは結婚できない」と婚約破棄されましたが、結果的に若いツバメと縁が結ばれたので平気です

岡崎 剛柔
恋愛
「伯爵令嬢マリアンヌ・ランドルフ。今日この場にて、この僕――グルドン・シルフィードは君との婚約を破棄する。理由は君が25歳の年増になったからだ」  私は7年間も諸外国の旅行に行っていたグルドンにそう言われて婚約破棄された。  しかも貴族たちを大勢集めたパーティーの中で。  しかも私を年増呼ばわり。  はあ?  あなたが勝手に旅行に出て帰って来なかったから、私はこの年までずっと結婚できずにいたんですけど!  などと私の怒りが爆発しようだったとき、グルドンは新たな人間と婚約すると言い出した。  その新たな婚約者は何とタキシードを着た、6、7歳ぐらいの貴族子息で……。

隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました

ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら…… という、とんでもないお話を書きました。 ぜひ読んでください。

処理中です...