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第一部

第八話 悪意(4)

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 また、お腹が鳴った。

 結局、夕食を抜かしてしまうことになった。

 ランチを食べたのがずいぶん前のことのように思える。ルナは懐の中で手を何度も擦り合わせた。

――暖かい。

 自分の体温の暖かさだ。また、寝台の記憶を思い出した。

 布一枚ではとても真冬の寒さがしのげない。母親の寝台へ行って暖め合った。他の人が一緒にやってくることもあった。

 怖い人が見張りに来そうな時は、誰かが知らせてくれる。

――今は、独りだ。

 誰かと寄り添いたい。そればかり考えてしまう。

 やっと空が白々と明けると、ルナは立ち上がった。

――アデーレにじかに会ってみないと。

 パン屋で幾つかパンを買ってくると、立ちながらむさぼり食った。他人から見られると指を差して笑われると思ったが、空腹を何とかするのが先だった。

 ルナは宿所の前に戻った。さっきの門番はもう離れている。

 何時間か粘った。

 馬車が開かれた鉄柵から走り出していく。その窓の中にアデーレの姿を認めたルナは必死に走り出した。

 馬車と並んで、中を見上げる。

「待って!」

 アデーレは不審そうな顔で外を見た。

「ほう」
「わたしだよ! ルナ・ペルッツだ!」

 ルナは泡を食いながら自分の名前を叫んだ。普段なら、するはずもないことだった。

「だからどうした」

 馬車に縋り付くルナを見下しながら、アデーレは言った。

「今、お金に困ってるんだ! 助けて!」

 ルナは恥も外聞も捨てて叫んだ。

「はぁ……」

 アデーレは眼鏡の柄を指で持ち上げると、

「自分で何とかしろ」

 と冷たく笑った。
 そこには悪意が浮かんでいた。

 ルナは一気に顔面から血の気が引いていくのを覚えた。

 足がガクガク震えている。煙草が欲しくなった。

 必死で押さえた。

――人から拒絶されることが、こんなにも辛いなんて。

 もちろんルナだって、旅の間には何度も酷いことを言われたし、言ってきたつもりもある。

 でも、つい先日までは親しく接してくれていたはずの相手に突然冷たくあしらわれることが、こんなにも身を切られるようだとは始めて知った。

 人の愛に飢えている自分に気付いた。

――誰もまともに話してくれない。

 今、前のように男がナンパしてきたら、有無を言わずに付いていくだろう。たとえ、家に誘われたとしても。

 だが、ルナに声を掛けてくれようとする人はいなかった。

 心なしかみすぼらしくなったルナの身なりを指差して、遠巻きに密かに嘲笑い合うだけだった。

 ふらふらとルナは歩き続けた。

 そら相変わらず濁り切っている。当分晴れ間は見えなそうだ。

 と、向こうにまた知った顔が見えるではないか。

 変わったフードを着た、小柄な人影。

――大蟻喰!

 拒絶されるのを内心恐れながらルナは近づいた。

「あー」

 大蟻喰はルナをぼんやりと眺め回した。 

「ずいぶん惨めなかっこうしてるね」
「うん! お金がないんだ! 気付いたら一文無しになってたんだよ!」

 ルナは、普段の気取りも何もかも忘れて大声で叫んだ。

 助けを乞うように。

「だから?」

 大蟻喰は笑った。やはり、その顔にも悪意が張り付いていた。

「助けてください! お願いします!」

 ルナは膝を突いて祈った。

「ははは」

 大蟻喰はまた笑った。

「それじゃあ。乞食だよ」

 すたすたと歩み去っていく大蟻喰にルナは縋り付いた。

「助けてぇ! 誰かがいないとわたしはぁ!」

 ルナは人目も憚らず情けない声をあげた。

「しかも、愛情乞食でもある」

 大蟻喰はルナを軽く押した。

 地面に倒れた。

 ルナが起き上がるまでにその姿は見えなくなっていた。

「なんで……」

 皆がクスクス笑いをしていた。

――もう、お金持ちの住んでいるところなんていられない!

 エルキュールも市街戦でかなり焼けたとは言え、貧しい者たちが住む区画はまだ残っている。

 ルナはそちらに向かって歩いた。
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